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伝統にこだわる学校

こんにちは,HARuです。今日は伝統とかしきたりって無駄なものが多いよねというお話し。

私なりの結論

伝統やしきたりを見極めることが重要。思考停止にならないように,日々考え続け,行動していくことが教員には求められている。

学校は伝統にとらわれている

学校現場は伝統としきたりにまみれています。なんなら,暗黙の了解まで追加で。例えば,「年功序列」「女性がお茶汲み」「若手が率先して動く」「飲み会の最後にエールを送る」などなど,あげればキリがない程に。もちろん,伝統があることがプラスに働く場合もあります。ある企業に勤務したい理由として「伝統と格式を重んじていること」と回答する人もいるでしょう。私も伝統自体を悪だとは思いません。ただ,何も考えずに従うだけの伝統は無駄だと考えているのです。

校則が見直されない理由

Wikipediaによると

校則問題(こうそくもんだい)とは、主に日本の学校において、校則が原因となって発生している社会問題のことである。問題となっている校則のなかでも人権侵害的な要素の強いもののことをブラック校則と呼ぶこともある。参照:Wikipedia

「人権侵害」と表記されるほど学校の校則はあり得ないものが多くあります。もっと言えば,なんと文部科学省から通知まで出されるという事態に。

校則が見直されない理由はいくつかありますが,私は大きな理由は2点あると考えます。

1 生徒指導の負担が増えるから。

2 伝統として続いてきたものだから。

理由1 生徒指導の負担が増えるから

学校には生徒指導というものがあります。ちなみに,生徒指導とは

社会の中で自分らしく生きることができる大人へと児童 生徒が育つように、その成長・発達を促したり支えたりする意図でなされる働きかけの総称のことです。
すなわち、 学校生活の中で児童生徒自らが、その社会的資質を伸ばすとともに、さらなる社会 的能力を獲得していくこと(社会性の育成)
そして、 それらの資質・能力を適切に行使して自己実現を図りながら自己の幸福と社会の発 展を追求していく大人になること(社会に受け入れられる自己実現)
そうしたことを願って児童生徒の自発的かつ主体的な成長・発達の過程を支援してい く働きかけのことを、生徒指導と呼んでいます。参照:国立教育政策研究所「生徒指導リーフ」

本来は子供たちの成長を促すために,教員が支援していくことが生徒指導の定義です。しかし,学校現場で使用される「生徒指導」という言葉には「問題を起こさせない様に生徒を管理する」という意味合いの方が多いように感じます。生徒の下着の色を指定することなどは完全にこの意味合いにおける校則の役割なのでしょう。そして,その管理体制を敷いてきたことにより教育は成功してきたという勘違いが蔓延っているのも現状です。さらに,頭髪指導などにおいて,AくんはいいのにBくんはダメなのはなぜですか?という問い合わせに細やかに対応しきれないためということも理由の一つです。それならば,画一的に決定してしまった方が管理しやすく時間も奪われないという考えが根底にあります。教師ならば一人一人のニーズや発達に合わせて対応しろよというお叱りの声もあるかと思います。しかし,以前このnoteでも書いた通り,一人一人の子供たちに細やかに対応する時間がないことが学校現場の現状です。当然のことながら我々教員も子供達一人一人に細やかな対応をしたいのです。教員も保護者も誰しもが子供達をより良くしたいという願いのもと日々の教育活動をおこなっていることだけは紛れもない事実です。ですが,こと「管理」という面においては厳しい校則(ルール)の方が指導にブレもなく,時間もかからないというメリットが採用されているのだと思います。ということで先生方の生徒指導の負担を減らすために厳しい校則が採用されている学校が多くあります。

理由2 伝統として続いてきたものだから。

代々この校則は〇〇校の伝統として受け継がれてきた,だから帰るわけにはいかない。そのように考えている教員も多くいることは事実です。さらに言えば,校則の変更の手続きはかなり大変です。

1 子供達から意見を募る。

2 1をもとに生徒会(児童会)で話し合い,内容を精選。

3 運営会議(各学年主任,管理職等の会議)にかけて承諾を得る。

4 職員会議で全職員に通達,確認。

5 生徒総会にて校則変更の承諾を得て実行。

このようなステップを踏んで校則改正がなされます。(例外として校長等からのトップダウンで変更することもできますが,一般的な手続きとしては上記5つのステップは最低限必要でしょう。)

この伝統は学校の至る所に蔓延っています。学校教育は明治以来100年以上変わっていないと言われるが,この伝統を重んじすぎる傾向が変化を嫌ってきたのでしょう。

論理的に話し合いができない

例えば,校則を変えたり,緩めたりすると何が問題なのかを議題にあげて話し合いをしようとすると,論理的な話し合いにならないことが多くあります。感情論に走る人もいらっしゃるからです。「子供たちのためを思って」という主張から先に進まないのです。教師一人一人が考える「子供たちのためを思って」の行動は違うに決まっています。我々も人間なのですから。だからこそ,話し合いを重ねて,どこが子供たちにとってベストなのか,子供たちの意見も踏まえつつ,時代背景も考慮しつつ話し合いを進めていくことが必要だと私は思うのです。何事にもメリットデメリットはあります。デメリットのみにしか目を向けなければ,我々は何もできなくなってしまうのではないでしょうか。だからこそ,その2つを天秤にかけて,目の前の子供達にとって何が最善なのかを話し合う集団でいたいと思っています。

校則に関しては,学校業務改善アドバイザーの妹尾昌俊さんも以下のような記事を書いています。

納得感のある記事です。教員の方にも,保護者の方にもぜひご一読いただきたいと思っています。ただ,学校も今少しずつ変わろうともがいています。教員の中にも現状が子供達にとってプラスになっていないと感じている者が増えてきています。ですので,読んでいただいた後に,なぜうちの子の学校の校則は変わらないのですか!とお電話いただくのは避けていただけると大変ありがたいです。もし,本当に危機感を持ってくださるならPTA活動を共におこなっていただき,学校を変えるためのお力をお貸しいただけると大変ありがたく思います。


最後に:伝統やしきたりの無駄

教員になってどうしても,これだけはどうあっても納得のできなかったしきたりがあった。それは飲み会の後のエールである。あなたの職場には無いだろうか?飲み会の最後酔っ払ったおじさんたちが盛り上がり,応援団長よろしくエールを送るのである。ここからは完全に個人の感想だが,アレの何が楽しいのかと…。そして,そのエールを送る役目はえてして若手に回ってくるのだ。私はあれが苦痛で苦痛で仕方なかった。ある先輩の先生に相談したことがあったのだが「君は若手で何もできないんだからエールくらいやりなさい」と言われた。若手なことは理解できるが何もできないからエールをやるという理屈が理解できなかった。その後,飲み会の幹事を任された際は,絶対にエールをやらなかった。自分がしたくないこともあるが,それ以上に私以上の若手にその役目を回したくなかったからだ。自分自身が不快に感じたことをわざわざ相手にする必要は全くない。

最後は愚痴のようになってしまい申し訳ありません。結局伝統やしきたりに縛られることが悪いのではなく,本当にそれが必要な伝統やしきたりなのかを見極めることが必要であるということではないかなと思っています。全てを良しとすることはただの思考停止になってしまいます。そうならないように,日々考え続け,行動していくことが教員には求められていると私は思っています。

では,ここまでお読みいただきありがとうございました。

校則に関して素敵な記事を見つけましたので,共有させてください。


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