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「ほんとうの自分」を探しに行くのは、もう終わりにしよう。

ほんとうの自分、探したことありますか?
もっと自分らしく生きたい、そう思ったこと、ありますか?

私は本当に長いこと、自分らしく生きたいと思っていました。


本当の自分を知って、自分を生かして、自分らしく生きたい。

だから
占星術、
数秘、
四柱推命。
アーカシックリーディング……まあとにかく、色々と学びました。
そして、沢山のセッションを受けました。

でも、一向に「ほんとうの私」は見つからなかった。


占い師の先生、カウンセラーさんに言われることは全部、
当たっているような気もして、確かにその瞬間は「なるほど!」と思ったはずなのに、その高揚感が切れ、日々の生活に戻ると結局、こう思うんです。
「‥‥で?」
「‥‥で、私はどうやって生きれば良いの?」


日々の営みの中で、職場の人間関係の中で、実家との関係の中で、
「私らしく生きる」ってどう行動することなんだろう?
何か問題が起きた時、周りに合わせて自分の気持ちを押し殺している今の私ではない、「ほんとうの私」なら、どんな反応をするんだろう?

私らしく生きていれば、どんどん運命が開けて自由に生きられるようになるんじゃなかったの?
どうして私は、こんな日々の小さな出来事につまづいているんだろう?

その迷いの答えを探して、またブログやセミナーを渡り歩く日々。


自己肯定感迷子であったと同時に、
私は「ほんとうの私」迷子でもありました(笑)

ああ、長かった。本当に迷子の時間が長かった。
今となっては笑い話ですが、本当に真っ暗闇の海の上を流されている、そんな感覚で生きていたんです。

どうしてそんなに「ほんとうの私」が知りたかったのか。

 本当にね、どうしてあんなに私は必死だったのか。
自己肯定感を上げて、自分らしく生きたかったのか。


それは「ほんとうの私」で生きれば、幸せになれると思っていたから。
これは、”自己肯定感を上げれば幸せになれる”という信念とセットでありました。

「自己肯定感が上がって私らしく生きている私」が本物で、
今の、世界におびえて抑圧されている私は偽物。
そんな風に信じていたんです。


信じていたという言葉を言い換えれば、
私はそう決めていた

自己肯定感が手に入らない限り、
自分らしく生きる事ができるようにならない限り、
私は幸せにならない、と決めていたんです。


ここ、大事です。

私たちは結局、自分が信じた世界を生きています。
そして、見たいと決めた世界を見続けるんです。

つまり、
自己肯定感が「ない」私
自分らしく生きてい「ない」私
幸せで「ない」私 
この”私”を信じている限り、目の前に現れるのは”ない”世界。

誰も私を信じてくれ”ない”
私の気持ちを誰もわかってくれ”ない”
私は幸せでは”ない”
こういう現実が、延々と目の前に投影され続ける。

だから当時の私は、ある意味自分の願いをかなえ続けていた、とも言えます。「”ない”から、獲得するために努力する私」「”ない”からいつまでも幸せになれない私」見事に潜在意識の望みどおりです。

この、見たい世界を私たちは見ているという意識の仕組み。
ここが腑に落ちると、現実を生きることがぐっと楽になります。

たとえば、小さい頃の親とのやり取りの中で、
・「私のほんとうの気持ちは理解してもらえない」
・「私は理解してもらうだけの価値がない人間だ」
と決めた人がいたとします。
彼女は、現実のあらゆるシーンでこの”私は分かってもらえない””わかってもらえない私は価値がない”という世界を見続けます。

・上司に仕事で注意をされた。
→私が真剣に取り組んだ気持ちを理解してくれない! やっぱり私は大事じゃないんだ!
・夫が育児と家事のやり方について「もっとこうしたら?」と言った。
→私のやり方を否定された! 私だって頑張ってるのに!私の思いを理解しようとしてくれないなんて、やっぱり私は愛されてないんだ!
こんな風に、日々、傷つき続けるのです。

分かりますでしょうか?上司も、夫も、別に彼女を傷つけようなんて意図は無かったかもしれない。もしかしたら愛情からその言葉をかけたのかもしれない。でも彼女が受け取るのは「私は認められなかった」という現実。そして、自動的に傷つき続けるんです。

こんな風になっている意識の仕組みを理解して、自分がどんな信念を持っているのか、何を決めているのか、これを知って、書き換える。
 上記の彼女であれば、「私は愛されている」まで書き換えられれば一番ですが、それが難しければ「私はもしかしたら愛されているかも?」くらいで、起きた出来事を見直してみると、徐々に自分の反応が変わり始めます。それに伴って、現実の方も変化をしてくるのです。

 この、「自分が自分の見たい世界を見ていた」という事実が腑に落ちるまでは、やっぱりそれなりの時間が掛かりました。

 けれどノートでの自己対話を続けて、自分が見ている現実のほとんどが幻だと理解できた時、私の中で「自己肯定感」や「私らしさ」を探す旅が終わりました。
 それは既に今ここ、瞬間瞬間の心の反応の中に在る事が分かったからです。

わたしらしく幸せに生きたい、の奥に隠れたもう一つの願い

この自己肯定感やほんとうの私を探す旅の中で、私はもう一つ気付いたことがあります。
それは、どうしてそんなに「幸せに」なりたかったのか。

これはあくまでも私の場合、ですが、
「お父さんとお母さんに認められたかったから」でした。


自分の信念を紐解く旅の中で、過去にさかのぼるとやはりそこに居るのは、”お父さんとお母さん”なんです。

お父さんとお母さんに、自分を証明したい。
「あなたたちが望むくらい立派になったんだから、私を認めて。私を愛して」ってそう言いたい。
「こんなに幸せになった私なら認めてくれるでしょう?」ってアピールしたい。

これを言い換えると
「ダメな私は愛されない」「幸せになれない私は認めてもらえない」になります。

そしてね、もっと根っこを探ると、
「こんなにダメな私でも愛してくれる?」
「幸せになれない私でも、認めてくれる?愛してくれる?」って、
小さな子がやる愛情確認のゲームを現実を使ってやっていただけ、だったりもするんです。(長くなるので説明はまたどこかで)

さあどうでしょう。
大人になった今でも、こんな風に親(これは現実の親ではなく、頭の中の親、小さい頃に意識の中で作り出した架空の親です)との間で「こんな私でも愛してくれる?」ってやっている自分。
親から認められるために、幸せな私をゲットしたいと頑張る自分。

がっかりしませんか(笑)
私は大いにがっかりしました。


がっかりして、このゲームを降りようと決めました。

ゲームを降りたら、親がそのままの私を認めてくれている証拠が集まり始めました。 ……離婚してシングルで出戻って、仕事を見つけて独立できるまで生活の面倒を見てもらっていたのに、愛されてない!とか思っていた過去の私(涙)


じゃあ、本当の私らしさってどこかにあるの?


じゃあ「ほんとうの私」って何?
「ほんとうの私で生きたら幸せになれる」って色んな人が言うけど、あれはどういう事なの? ってそう思うかもしれません。

その問いに対して、今の私はこう答えます。
今、瞬間瞬間起きているあなたの心の動き、迷ったり悲しんだり喜んだりする感情の波、それこそが本当のあなただよって。


「ほんとうの私」も「偽物の私」もそもそも無いんだよ。

「ほんとうの私で生きたら幸せになれる」これは間違いではないけれど、それは何処かにいる幻の私ではなく、今この瞬間、幸せになりたいと願っている私、幸せじゃないと苦しんでいる私、その私すら私の一部だと認めて、人生の選択肢を選んでいく、これが幸せという事なんだよ、と。


ぶっちゃけて言えば、「私」というのは、ただの反応です。

外界で起きた出来事、ほかの人とのかかわりの中で生まれる感情や思考、その波が「私」なんです。
揺らいで、染まって、時に傷ついて、変化して、それが本質なんです。
それを変わらない、キラキラして固くて傷つかないものにしようとするから、苦しくなるんです。

揺らぐこと、迷う事、悩むことを恐れないでください。
その波の中にこそ、生きる喜びはあふれています。
その波そのものを生きると決めること、これが「自分らしさを生きる」という事なんです。

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もう、誰かに自分らしさを教えてもらおうなんて、そんなのはやめよう。
ほんとうの私を、どこかへ探しに行くのは終わりにしよう。

私らしく在るって、そのままのあなたである事だ。

昨日は頑張れたけど、今日は頑張れないその弱さだ。

失敗するのが怖くて、遠回りして逃げたいその狡さだ。

誰かを傷つけたくなくて、口籠っちゃうその優しさだ。

お母さんに褒められたくて、無理して頑張り続けたその健気さだ。

全部ある。今ここ、あなたの内側に、すべては在るんだよ。

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