どこで判断するかを判断する力を身につけることの大切さ

根本的に無能な人間ってほとんどいないと思っています。

向き不向き、時代や環境に求められるものなどの差があるだけで、
誰もが何かしらの場面で必要となる能力の土台を持ち、
本人の意志次第でそれを伸ばしていくことができる。

向いてないものでもある程度のレベルであれば訓練や経験を積み重ね、
何かを成し得るぐらいのものを身につけられると思います。

思いますが1つ、どんな分野にも共通して能力の高低を決める、
と言うかどれだけ能力を発揮できるかに直結する要素があると考える。

判断力です。

ここで言う判断力とは難しい場面で適切な判断ができる力もそうですが、
それ以上にどの場面で判断すべきかを適切に判断できる力を指します。

と言うのも、よくお話することですが人間には意識と無意識、
2つの思考傾向がある。

意識は文字通り意識できる、自覚できる、能動的に考えられる思考であり、
無意識は意識の届かない領域で様々な情報等を処理しながら、
それを元に何かを考え価値観や基準、システムを形作る思考。

この2つの思考が1人の人間の中で同時に存在しそれぞれの特徴でもって、思考し、考えが統合され時に反発したりもしながら最終的に、
1つの意志となって言動に反映される。

ただ、基本的に無意識の方が意識より持続力が長く情報処理能力も高い、
意識は使えば使うほどにエネルギーを多く消費し働きが鈍くなる。

故に意識は無意識の考えたことを元に方向性等を整えることで、
より良い状況につながるような選択や意思決定、自制など。

つまりは判断することが主な役割となる。

ここで重要なのは、判断はそれがどれだけどうでもいいことでも大事でも、
等しく同じようにエネルギーを消費するということです。

仮にある人の1日に使える判断エネルギーとでも呼びますが、
それが1000あったとした場合。

人生を左右するような判断でも朝食どうしようかみたいな判断でも、
消費するエネルギーは同じく3ぐらい消費するのです。

大事なことや難しいことの判断の方が疲れやすいと思うかもしれませんが、
それは消費するエネルギーの量ではなく数が違うから。

大事、難しいという感覚はその判断に関係する要素が膨大であるため、
より多くの小さな判断を積み重ね最終的な答えを出す必要からくる。

そして意識は判断する度にエネルギーを消費しまともに働かなくなると、
思考は無意識優勢となって意識的に選択、意思決定、自制できず、
無意識の特徴である刺激に反応することでの思考が支配的となります。

ようは意識が働かず無意識優勢になると判断ではなく反応により、
自身の思考、引いては言動が生まれるということです。

反応では目の前の何かまでしか考えることができないため、
視野狭窄になったり認識外の要素に振り回されたりで、
うまく物事を運ぶことができなくなる。

これを客観的に見れば能力がない状態というのでしょう。

以上を踏まえて判断力の話に入りますが先に話したように判断力とは、
ある場面で適切に最善の判断を下せることであり発揮するために、
必要な知識やスキル、経験を積むことは大事。

ですがそれ以上に重要な場面で判断するために必要な、
エネルギーの状態を万全にしておけるかに左右される。

極論言えばどれだけ知識等があろうとその場面でそれを活用し、
適切な方向性を見出せるだけの意識の働きがなければ、
意識が無意識を制御できなければ判断は難しくなる。

特に未知の物事、新しい環境等で適切な判断を下すことができなくなる、
無意識には想像力がないため無意識だけで未知を想定できないからですね。

故に、あらゆる分野において判断力が能力の発揮の度合いを左右する。

能力が発揮できず客観的に無能だと思われやすい人は、
判断の機会を判断することができず意識が常に疲弊し、
大事な場面でもいい加減な判断しかできなかったり。

逆にどんな時でも最善の判断を下す、最善でなくても後に方向転換し、
適切な方向性を見出し軌道修正できるような人は判断の仕方はもちろん、
何を判断すべきかを心得ているのが1つの要素として必ずあると思います。

このことはどんな分野であれ新しいことに挑戦する時であれ、
意識しておくとよりうまく能力を発揮できるようになると思います。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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