見出し画像

漫画『亜人』から学ぶ意思を統合し本当に大事なものを見定めるコツ

前の記事で人のマインド、価値観や思考傾向が正しく変化成長するには、
精神的な統合が大事ということをゲームを題材にお話しました。


この記事では統合という精神活動について掘り下げてお話しようと思う。

まず、統合と一口に言っても大きく分けると2つある、
自分と外界の統合と自身の中にある意識と無意識の統合です。

前の記事では主に自分と外界の統合をテーマとして扱いましたが、
この統合をうまく扱うにはまず意識と無意識の統合、
自分の中に確固とした軸を確立する必要があります。

自分があやふやだと自分とまったく違う外からの影響を受けた時、
それを受け止めて取り込んでいくことができないからです。

受け入れられず反発拒絶するか影響を受けすぎて流されてしまう。

言うなれば軸とは大海原にあるブイのようなもので、
自分という居場所を定め固定する役割を担っています。

では、意識と無意識を統合するにはどうすればよいのか?

意識と無意識共に受け入れられる大切なものを定める、
あるいは見つけることが大事になってくる。

というのも、大抵の人は意識と無意識で大事だと思ってるものが違う、
というかそもそも機能として大事にしたいものの基準が違う。

例えば意識は未来、理想や新しい目的が大事だと考える傾向にありますが、
無意識は過去、現状維持やルーティン(習慣)が大事と考える傾向がある。

そのため、何か理想や目的を定めて具体的な目標を立てたとしても、
エネルギーが分散しうまく行動できずに挫折みたいなことがおこります。

逆に言えば双方が一致する大事な何かをまず見定めることができれば、
エネルギーを一点集中して迷いなく行動することができる。

迷いのない行動力があれば知識、能力、経験みたいなのは、
後からいくらでもついてくるもの。

加えて、自分にとって大事なものが何かをきちんと理解することは、
あらゆる選択で後悔しないために大切なことです。

大事なものを見誤ったためにどれだけ結果が出ても、
心から満たされることがないということもある。

ですから、自分の中にある価値基準をきちんと把握し、
統合させるということはぜひやってみてほしい。

その際、"正しく"自分の価値基準を把握するのが大事。

繰り返しになりますが意識と無意識では価値基準が違う、
1つだけの確かな答えみたいなものはない。

また、自分では大切だと思っていても実はそれが、
他人や社会から押し付けられただけのものであって、
実際にはそこまで大事じゃなかったということもある。

そんな基準で物事を選択すれば当然ですが、
意識と無意識を統合することはできない。

とは言え、そんなこと言っても特に無意識みたいに意識が届かないものを、
どうやって把握していけばよいのかと思うこともあるでしょう。

正直、これは感覚的なもので教えられてうまくできるようなものではない、
自分のこれまでの積み重ねを紐解き時には人の力を借りたりしながら、
徐々に自分なりの答えを導き出していくしかない。

ただ、何のモデルケースもないとどうしようもないでしょうから、
1つ統合の過程をうまく描いたある作品をここでは紹介しようと思います。

『亜人』っていう漫画です。

この作品を通して自分が本当に大切だと思っているものを、
きちんと把握するコツについてお話してみようと思います。

なお、ネタバレなども含まれてますので、
避けたい場合は気をつけてください。


亜人とはどういう漫画なのか


はじめに亜人という作品の概要について少し話します。

この漫画は人が死んだ時にある条件を満たした場合、
亜人として蘇ることのある世界が舞台。

亜人は不死でありどれだけ外傷を受けても死ぬことがない、
どんな傷でもすぐに回復することができて、
頭をふっとばされようが全身細切れにされようが復活します。

加えて、IBMと呼ばれる基本的には亜人にしか見えず、
強い殺意などの感情を向けられた時のみ普通の人にも見える、
黒い人型の存在を操ることができる亜人も存在する。

その特異な性質から日本での亜人に対する扱いはひどいもので、
亜人を発見し捕まえれば賞金が出るなどのデマが広がり、
死なないからと無茶苦茶な方法で捕まえようとする一般人もいる。

公になって亜人管理委員会という場所に保護された場合、
裏で研究のために拷問まがいの非人道的な扱いを受けたり、
企業に貸し出され人体実験に参加させられたりします。

そんな世界である日、トラックに轢かれて復活し自分が亜人と知り、
周囲に知られてしまった主人公の高校生永井圭(ながい けい)は、
何とか誰にも邪魔されない普通の生活を取り戻そうとする。

ですが、佐藤という亜人とその仲間達が様々なテロ活動をおこない、
亜人=危険という印象を日本中に与えていきます。

佐藤を放置すると自分の境遇も悪くなる一方と考えた圭は、
同じく佐藤を止めたい中野攻(なかの こう)という亜人と共に、
亜人管理委員会の戸崎優(とさき ゆう)と手を組んで佐藤と戦う。

佐藤との戦いの過程でそれまでにない様々な価値観の人達と出会い、
交流しながら精神的に成長していく過程を描いた漫画です。

亜人の主人公から見て取れる大事なものを把握するということ


では、本題に入りましょう。

この作品は主人公からメインの登場人物にいたるまで、
いろいろと学べることが多いのですが今回のテーマ。

意識と無意識を統合し大切なものを見定めるコツを実践してるのは
主人公の永井圭と中野攻。

亜人の主人公は圭ということになってますけど、
個人的にはこの2人が主人公だと思っていて、
精神的な成長が見定めるコツになってるのです。

2人は初期から亜人佐藤と戦うために行動を共にしますが、
お互い正反対の性質を持っているため度々衝突します。

圭はいわゆる合理主義者と呼ばれるタイプで、
あらゆることを理性で考えそれが必要なことであれば、
どんなことでも実行しようとする。

そのために亜人の死なないという性質を最大限利用したり、
必要ならば他人を切り捨てることもいとわないという態度で、
大半の人には冷たいなどの印象を与えてしまいます。

対して攻は情によって行動し人からの信頼を得るのが上手い、
例え不合理でも正しいと思うことを愚直に実行していくことができる。

少年漫画の主人公タイプですね。

佐藤と戦うことを決意したのも圭は打算から、
攻は他人から託されたからと非道を見逃せないから。

そんな正反対の価値観を持ってるものですから、
戦いの手段とかちょっとした場面で、
大抵は意見が割れてケンカになります。

だけどこの2人、実際には思った以上に真逆であると同時に、
どこまでも同じな性質を持っている。

それがわかるのは佐藤のテロを止めることができず敗北し、
一緒に戦った多くの仲間を殺されてしまった時。

佐藤とその仲間は亜人を人体実験に利用していた、
企業の社長を暗殺するというテロを実行しようとする。

それを阻止し佐藤を捕らえるために、
戸崎優が個人的に雇っている戦闘員と共に、
圭と攻は佐藤一派との戦いに備えます。

圭達は亜人の力や他の人の持つポテンシャルなどを把握し、
効率よく最善の作戦を練って佐藤の仲間達を一度は捕らえますが、
佐藤1人に全ての作戦を破られてどうしようもなくなってしまう。

ターゲットも暗殺され仲間もほとんど殺されて、
後は逃げるしかないという完全な敗北を経験します。

そして、佐藤の力を実感し勝てないと思ってしまった圭は、
佐藤との戦いそれ自体をやめようと考えるのです。

文化的な生活を諦めて誰にも知られてない場所で、
新しい生活を始めようとする。

佐藤のせいでどれだけ他人の命が失われようが知らない、
自分のほうが大切だし他はどうでもいいと。

当然ですが攻はこれに反発します。

目の前で人が死ぬのをほっとくのかと、
自分の命も他人の命も同じく大切だと、
御託ばかりと圭を責め立てるのです。

ですが、圭はそれこそ御託だと言い返します。

佐藤を止められず企業の社長が暗殺されてしまった時、
攻は特に反応を示すことはなかったのに、
仲間が殺された時は激しく動揺している。

その事実を突きつけ意識的には綺麗事を並べていても、
無意識では命に価値をつけてるんだと。

それを意識的にやってるからってなぜ責められなくちゃならないのかと。

そんな言葉を突きつけられた攻の反応がこの場面で一番見るべきところ。

意識的には綺麗事を並べ無意識では命に価値をつけていた、
矛盾を突きつけられた攻はそれを静かに受け入れるのです。

そして自分の過去を語り始めます。

攻はある日電球を変えようとして踏み台から落ち頭を打って死んでしまう。

だけど、育児を放棄し家にも帰らない両親の元に生まれたことで、
誰にも見つからず何日も復活するまでそのままだった。

その経験が自分はいらない存在なのかと攻のトラウマとなり、
自分を必要としてくれる人のために全力で応えようという意思を生んだ。

ようは、攻の無意識は打算的なものなのです。

命が大切とか佐藤を止めたいとかいう意識的な意思は、
周りや自分に意思を託してくれた人の印象を悪くして、
自分の居場所を失いたくないという無意識の欲求からくるもの。

だから、どうでもいい人の死にはそこまで動揺もなく、
自分の居場所となってくれた親しい人の死には動揺するのです。

そのことを圭の言葉によって自覚したのですね。

自覚し受け入れたうえでそれでも攻は、
佐藤を止めたいという意思があると告げます。

それは悔しいから。

親しくしてくれた、居場所をくれた人達が大勢殺されて、
悔しいからだと涙を流して圭に助けを求める。

この時、攻の中で1つの統合がおきたのです。

先に話したように攻の無意識は打算的なものであり、
仲間が大事とか命が大切というのも無意識においては、
極めて利己的なものにすぎなかった。

ですから、作中で攻が本気で感情的になる場面って、
実はそんなにないんですよ。

圭と衝突した時も表面的には熱くなってるようにみえるけど、
理があると理解できたときにはあっさり引き下がれたりするのです。

その打算的な面を自覚しないまま正義とか他人のために、
力を尽くして戦うというのが攻という存在だった。

だけど、圭によって自分の中の打算的な面を自覚し、
それを受け入れ意識的な意思と統合して出てきたもの。

それが、自分に居場所をくれた仲間を殺されて悔しい、
殺した佐藤を野放しにしたくないという本当に、
心の底から涙とともに出てきた望みだったのです。

対して、圭はそれを知るかよで一蹴する、
あくまでも理性的な判断に従おうとするのですが、
その顔には悔しさがにじみ出ています。

とても合理的な人間のする顔ではないのですが、
それもそのはずで先に話したように圭は、
攻と正反対でだけど同じ性質を持っている。

攻には意識的には情で動くけど無意識に打算的な面があった。

それとは逆だけど同じように圭は意識的には合理的に動くけど、
それは情に流されやすい無意識があることを自覚してるからなのです。

医師であった圭の父親はかつて1人の患者をどうしても救いたくて、
臓器売買という犯罪に手を出してしまい全てを失っています。

それを見たことで情に流されることは破滅を呼ぶと学び、
だけど自分の中に情の部分があることを自覚していたゆえに、
極端なほど意識的に合理的になったのが永井圭という主人公。

ですから、仲間が殺されて悔しいという思いはある、
だけど佐藤の力を実感しこれ以上戦っても勝率はないから、
合理的には逃げるのは正解だと自分を納得させようとする。

そのために母親に電話をするのです。

母親は情に惑わされず無意識から完全に、
合理的な考え方をすることができる人間。

ですから、逃げる前に最後だからと理由をつけ母親に連絡し、
自分の逃げるという考え方を伝える。

それは合理的に正しい判断だとお墨付きをもらうのです。

これで、逃げるという選択が合理的に考えて、
最善のものであることを確信できた。

だけど逃げなかった。

合理的に考えて最も最善な選択を実行できる状態で、
だけど内から湧き上がる悔しさなどの情を自覚し、
そのうえで佐藤と戦うという判断をくだしたのです。

これが、圭の意識と無意識の統合の場面であり、
統合の過程を知ったうえで出した答えを見ると、
ほんとに感動するので以下にそのまま引用します。


勝率0% この数値は何も干渉しなければ永遠に0のままだ

だから無駄でも行動し続ける

たとえ0.000001%程度だとしても勝機が生まれる可能性を死なせないためにだ

つまり「何はなくとも最後まで戦う」ということは非論理的行動ではない!!

これは0%の勝率を最大限に引き上げるため熟考された!!

完璧な論理的行動だ!!!

亜人より引用

いろんな物語で同じようなことを言う人はいますけど、
個人的には亜人ほどこの言葉が刺さる作品はない。

それは、自身の中の矛盾ときちんと向き合ったうえで、
そこから出てきた本当の意味で大事な言葉だからだと、
僕はそう思ってます。

亜人から学ぶ本当に大事なものを把握するコツ


ここまで亜人の主人公から大事なものを把握することについて、
見て取れることについてお話してきました。

繰り返しお話していますが重要なのは意識と無意識、
矛盾した2つの側面の統合というキーワードです。

どんな人であれ意識と無意識という2つの側面を持っていて、
大抵の場合両者は矛盾した考え方をして反発し合うもの。

永井圭と中野攻にも自覚しているいないの違いはあれど、
それぞれに受け入れがたい別の側面がありました。

圭は長い間父親が情で破滅した姿を忘れられず、
極端なほど合理的な考え方に傾倒することで、
自身の中にある情から目を逸らしてきた。

その結果、周囲にもマイナスな印象を与え続けたのですが、
戸崎優が個人的に雇っていた戦闘員の中に、
平沢さんという人がいて圭に言うのです。

寂しいのかと。

攻が高いコミュ力を発揮して周りと仲良くなる中、
逆に警戒される様子を平沢さんは見ていてそういう言葉をかける。

当然、これに反発し情の無駄とかをまくし立てるのですが、
平沢さんはさらに続けて言うのです。

それでいいと。

学校とかであれば攻のような人間はヒーローで、
圭のような人間は疎まれる存在。

だけど、合理的に物事を取捨選択しなければならない場面は必ずくる、
そういう時に正しい選択をできるのは圭のような人間で、
だからそままで、ありのままの自分でいいのだと平沢さんは言います。

だけど、そんな平沢さんも佐藤との戦いで、
圭を守るために命を落としてしまう。

その際、最後にかけた言葉が圭や攻のことを、
まるで息子のように見ていたんだというものだった。

幼い頃に父親を失っている圭からしてみれば、
この言葉は本当に心に突き刺さったと思うんですよ。

情で破滅し合理的な考え方のきっかけをくれたのが1人目の本当の父親。

その合理的な考え方をありのまま受け入れてくれて、
それでいいのだと認めてくれたのが平沢さん。

ある意味平沢さんはもう1人の父親とも言える存在で、
2度父を失うという経験をするのです。

だけど、その死が圭の情をもう一度呼び覚まし、
最終的に統合するきっかけになった。

で、何が言いたいかというと統合をおこし、
本当の望みを明確にするためには、
何らかの形で意識と無意識を自覚する。

そして、受け入れることが必要ということです。

圭の場合は2人の父親の存在によって、
情と合理性を自覚し受け入れたことで、
先に話した最後の答えを出すに至った。

攻の場合は圭によって無意識を自覚し、
受け入れたうえで統合がおこった。

このように大抵の場合は自分以外の何かがきっかけで、
意識と無意識を自覚することが多いですが、
もちろん自分でできるならそれでもいい。

とにかく何らかの形で自覚し目をそらさず受け入れること、
それができてはじめて本当の望みの答えを出せます。

逆に言えばできなければ誤った答えを出したり、
あるいは何か足りない答えになったりして、
後に必ずマイナスの感情が生まれる。

例えば圭がもし自分の情から目をそらしたまま、
逃げるという選択をし実行してしまったとしたら、
それから先おそらくずっと後悔することになる。

合理的だったと意識的に自分を正当化し続けても、
無意識にある情の部分は常に痛んだことでしょう。

逆に合理性を捨ててただ情のままに佐藤と戦えば、
絶対に佐藤には勝てなかったでしょう。

1度最善だと考えていた作戦全てを破られている相手に対して、
ただ感情のままに戦っても間違いなく勝機はない。

仮に勝ててもそれまで自分の軸であった合理性を捨てたという事実。

それが何らかの形でマイナスの感情を生んだことでしょう。

佐藤を倒し圭にとって最善の最後を迎えるには、
統合という要素は絶対に外せない要素だったのです。

そして、これはどんな人でも同じこと。

自分の意識と無意識をきちんと理解したうえで、
答えを出さないことには必ず後に何かしらの反動がくる。

ですから、統合するという意識は何をするにもぜひ、
持ってみてください。

その際に大切なのが意識と無意識を自覚し受け入れること。

そのきっかけをくれる自分以外の信頼できる誰かと、
きちんと関係を育んでいくことも大事です。

先に話したように意識と無意識は大抵矛盾するので、
自分で自覚し受け入れるというのはやはり難しい。

外からのきっかけは何らかの形で必要になることが多いと思うので、
見つけることに時間を割いてみる。

また偶然であれそういったものを突き付けられるような場面にあった時、
ああこれがきっかけだと自覚し受け入れられるよう心構えしておくなど。

それが、統合をうまくおこすためのコツです。

また、今回の統合という視点で亜人を読んでみると、
学べることも多いので機会があればぜひ、
一度読んでみることをオススメしますよ。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

この記事が参加している募集

#マンガ感想文

19,847件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?