進撃の巨人の主人公エレン・イエーガーの生き様から学べること

マンガアニメ共に進撃の巨人が最終回を迎えて、
ああ物語が終わったなという感じですが、
振り返ってみるとほんとに面白かった。

そして同時にものすごく学びが多い話だったと思う。

進撃の巨人はとにかく登場人物1人1人の作り込みがすごくて、
物語に深く関わってくる人物はその全員が例外なく、
主人公と言って過言でないと思います。

誰の視点から見るかで物語の性質とか表現されているものが変わるし、
学べるものもまた変わってくる。

ですから、いくらでも話せることが湧いてくるんですけど、
ここでは公式の主人公であるエレン・イェーガーの生き様から、
人生の意味について学べることというテーマでお話してみたいと思います。

なお、物語の根幹に触れるネタバレありますので気をつけてください。



では本題。

まず、この物語をエレンを主人公としてざっくり表現するなら、
過去から脱却して未来を開くための物語だと言える。

タイトルにもある巨人が進撃の世界の中には文字通り存在しますが、
この巨人を生み出すきっかけとなったのは始祖ユミルと呼ばれる、
1人の少女がある生物と接触したことがきっかけ。

ある生物に関して作中でもはっきりした正体は描かれてませんが、
接触し一体化したことで始祖ユミルは巨人化する力を得て、
またその血族にも不完全ながら巨人化する力を遺伝させた。

この巨人化する能力を得た民族は作中でエルディア人、
ユミルの民などと呼ばれています。

で、不完全というのは巨人の脊髄液を接種しないと巨人化できないこと、
加えて巨人化すると無垢の巨人と呼ばれるものになるのですが、
無垢の巨人は知性や自我を保つことができないのです。

ただ、人間を食らうという本能とも呼べるもののみを頼りに、
例外を除きひたすら人間を食らうことを続ける。

まれに奇行種という一般の無垢の巨人と違う行動を取る巨人も表れますが、
これはおそらく少し知性や自我の影響が残っているのではと考えてます。

そして、始祖ユミルは死ぬ際に自身の魂を9つに分けて、
特殊な9つの巨人化能力を残すことになる。

この巨人化能力はその力を持つ人間の脊髄液を、
エルディア人が接種することで引き継ぐことができます。

そうして、長きにわたりエルディア人は巨人化能力を継承し続け、
その力で作中に出てくるもう1つの民族であるマーレ人を迫害、
支配し続けてきたのですね。

ですが1700年という長い時の中で徐々にエルディア人勢力は弱体化し、
ついにマーレ人がエルディア勢力を打倒することに成功する。

当時のエルディア勢力は敗北後9つの巨人化の内7つを奪われながらも、
パラディ島へと逃げ込み大型の巨人を利用して壁を築くことで、
小さな世界を構築しその中に引きこもることを選びます。

だけど、それで全てが終わることはなかった。

勝利したマーレ人は奪った7つの巨人化能力を兵器として利用し、
他への侵略へ活用しながら同時にエルディア人の生き残りから、
残り2つの巨人化能力を奪うことを画策する。

そのための作戦を実行し始めたのが進撃の巨人の最も印象的な場面、
巨大な壁から壁内を見下ろす超大型巨人の姿と、
それを仰ぎ見る主人公エレンとミカサ、アルミンの3人。

つまり、進撃の巨人という話は巨人の力の奪い合いと、
その力によって起こる悲劇の循環の物語なのですね。

で、この巨人化能力を維持しているのは始祖ユミルという存在。

始祖ユミルは道と呼ばれる過去も未来もない時のない世界、
死のない世界でひたすら巨人化の力を維持するために働き続けている。

その理由を詳しく話し出すと長くなるのでここでは触れませんが、
1つだけ言えるのは始祖ユミルが時のない世界で、
巨人化能力を維持するという意思を持ち続ける限り。

エルディア人は常に巨人化する危険性を孕んだ存在であり続ける、
世界にとって脅威であり便利な兵器であり続けるということです。

それは、巨人化にまつわる悲劇の歴史が続いていくことを意味する。

それを止めようとしたのが主人公のエレン・イエーガーだった。

エレンは特殊な9つの巨人化能力の1つである、
進撃の巨人に変身する力を持つ。

この巨人は道を通じて過去、未来関係なく進撃の巨人の見た世界を、
垣間見ることができると同時に垣間見せる能力を持ってます。

ようは、未来予知であり過去への干渉です。

その能力によってエレンはある時点で将来巨人化能力が、
この世界から消えることがありうること。

ただし、その場合は自分が世界にとっての敵となると同時に、
かけがえのない仲間と敵対して殺されるという最後を迎えることになる。

その過程で全世界の人口の8割を殺戮することになり、
仲間を危険に晒し何人かは失うことを知ります。

エレンは全世界にとって最悪の殺戮者となり仲間を間接的とはいえ殺し、
それでも巨人化という能力を消し去り悲劇の歴史の循環を止めるか、
それとも全てを捨てて愛していたミカサと逃げ出すか。

また、特殊な9つの巨人化能力を得ると短命になるのですが、
巨人化能力自体が消えればその制約もなくなる。

9つの巨人化能力を持ってしまったアルミンや他の仲間の寿命も伸ばせる、
そういう世界や愛、仲間、あらゆるものが複雑に絡み合う葛藤の中。

エレンは巨人化能力を消すために世界にとって最悪の殺戮者となり、
全てを破壊し尽くす道を選びます。

その最中、アルミンと道を通じて会話していた場面が描かれるのですが、
その中でエレンは例え仲間に止められる未来がわかってなくて、
世界の8割どころか全てをまっさらに平らにすることになっても。

世界の敵となることを選んだだろうと、
そういう人間なんだと告白する場面がある。

アルミンから何故と問われただそうしたかったと答えるのですが、
その胸中にはお前は自由だという父親の言葉が思い起こされている。

これは、エレンにとって今の世界は巨人化という能力、
引いては始祖ユミルの意思から続く数多の因縁によって、
閉ざされた世界であること。

また未来を見るという能力のために運命に縛られた自身、
最も求めてやまなかった自身の自由の全てを奪っている。

そして自分以外の全ての人類の自由をも奪っていると、
そう感じていたことを示すのではないかと考えてます。

だから、もし仲間に止められず世界をまっさらにしたとしても、
自由のない世界なら壊してもいいという意思があったのは、
おそらく間違いないのでしょう。

だけどエレンが死んだ後、つまり巨人化能力が失われたため、
もはや見えない未来の先で人類を救うのはアルミンであると、
その全てを託してエレンはその生涯を終える。

その際にエレンは壁の外という言葉を使うのですが、
壁というのはエレンにとって自由を縛るものであり、
幼く何も知らない頃のそれは物理的な壁だった。

成長し世界の実状を知ったエレンにとってそれは抽象的で、
だけど確かにある人間の有様であることを感じとった。

その有様の中心にあるのが巨人化という力であり、
それを支える始祖ユミルが持つある種の執着である。

ようは、全ては人間の心とそれが紡ぐ歴史にあるということを知った。

だからエレンは例えそれが自分のエゴであり独りよがりなものであっても、
世界からあらゆる憎しみをぶつけられようとその中心となるもの、
巨人化能力を消すことで世界という歴史をまっさらにする。

もしかしたらその先には巨人化能力がある前よりもさらに、
凄惨で悲劇的な歴史が紡がれていくことになるかもしれない。

だけど、壁がある限りより良くなる可能性もまたあり得ない、
だから壁を壊してその向こう側へと歩いていくアルミンや、
他の仲間達に全てを託すために。

あらゆるものを自らと共に壊すことを選んだ。

ですから、漫画でのアルミンと話す最後の場面で、
「僕たちのために…殺戮者になってくれてありがとう…
この過ちは絶対に無駄にしないと誓う」

そう言ってくれたアルミンにエレンは間違いなく救われたと思う、
例え何者から否定されようとも可能性を開くために、
人類がより良い道へ進む未来を開くための生き様だったと肯定してくれる。

その人生には意味があった、意味あるものにすると言ってくれる。

そういう存在が1人でもいたことでその死に際におそらく、
何1つの後悔もなかったと思えるからです。

すこし話が散らかってきたので最後にまとめると、
エレンを主人公とする進撃の巨人という物語。

それは、世界の自由を取り戻し未来を開く物語だった。

そう考えた時に学べる最大のことは未来を開くためには、
どこかの段階で過去を何らかの形で受け入れると共に、
乗り越えることが大事ということ。

進撃の世界ではエレンが物理的に世界を壊す選択に行き着くまで、
過去を乗り越えることができなかった。

巨人化とそれにまつわる悲劇、そこから生まれる怒りや憎しみ、
それら負の感情に囚われて前を向くことができなかった。

もちろん、個人として前を向いて歩いていこうとする人はいた、
だけど個人は世界に呑み込まれてしまうのが世の常。

過去に囚われた人が多い世界では前を向く人は異端であって、
排除され時には命の危機に直結することもありうる。

そこまで行き着いてしまったからこそエレンはそういう選択、
世界を壊してまっさらにするという選択をせざるを得なかった。

そういう見方をすることもできるでしょう。

エレンの犯した世界を破壊するという罪はそのまま世界の罪でもありうる。

と言うより、そう捉えなければまた同じように負の循環にはまって、
悲劇を量産する世界が生まれることになるとわかっていたから、
アルミンはエレンに感謝し過ちを無駄にしないと誓うことができた。

仲間、親友であったエレンという個人が犯した過ちを、
自分も含めた世界の過ちと捉えそれを精神的に乗り越えることで、
より良い道を模索していく権利を掴めたと言ってもいい。

そしてこれは、現実においても同じことが言える。

人は誰であれ過去を持っていて現在は過去の延長にある。

その中で時には罪と思えることを犯すこともあったかもしれないし、
後悔している何かもあったかもしれない。

あるいは自分とはまったく関係ない何かが強く影響し、
現在をマイナスに感じるものへと変えてしまうこともある。

だけど、それに囚われているうちは過去と現在が循環し、
また同じような未来に繋がる以外の道を見いだせなくなる。

ですから、ある段階で過去は過去として受け入れたうえで、
未来をより良いものとするために過去に循環するものではなく、
未来にありたい状態に繋がる何かを現在において選択する。

そう強く決意し実践していく必要があってだけど過去の影響力は強く、
様々な感情や衝動がそれを邪魔してくるでしょう。

時には自分の外、他人や集団、社会、世界といったものが、
道を阻みその意思をくじこうとすることもある。

それでも意思の力で乗り越えて1つ1つ必要なことを積み重ねていくこと、
そんなことの大切さをエレンという主人公の例え死ぬとしても、
それが過ちでも貫いていくという生き様。

それを受け取ったアルミンのあり方から学ぶことができる。

未来を開くというテーマにおいて多くのことを学べる、
そんな物語だったと思います。


で、ここからは完全に余談であり主観的であり愚痴、
あくまで僕がそういう印象を抱いたというだけの話なのですが。

そういう視点で物語を見た時にアニメ版の最後は、
正直改悪だったと言わざるを得ない。

アニメ版だと最後のエレンとアルミンの会話の中で、
エレンのしたことは完全な過ちであり悪であると、
アルミンが非難するような感じに変わっている。

大虐殺することは無条件で悪いことであり否定されるべきだと、
日本で特に強い命のみが至上という価値観が大いに反映されていて、
命を通じて何を成すか、残すかということが一切描かれてない。

命こそ目的であり他の全てが手段へと貶められてるように感じる、
だから多くの命を奪ったエレンの選択はそこにどんな意図があろうと、
その全ては悪であるという前提ができてしまっている。

その悪を親友である自分も背負い一緒に地獄へ行こうと抱き合うのですが、
まずここまでお話してきたようにエレンの選択は完全に悪とは言えない、
というか悪と断じ否定し見ようとせず排除するその態度が悲劇を生んだ。

進撃の巨人という物語をエレンと共に歩んできたアルミンには、
そのことがよくわかっていたのではないかと思ってしまう。

だから、あの場面でエレンを頭ごなしに非難し選択を否定するのは、
アルミンという人間のあり方からはありえないとも思う。

命のみが尊いという短絡的なものの見方と安易な感動場面の挟み込み、
日本のドラマとかでよく見られる個人的にマイナスだと思う要素、
その全てが凝縮されていたようにしか見えない。

それが改悪だと思うし残念だなと感じてしまった。

とは言え、原作が素晴らしい作品だというのは変わらないし、
そこから得られる多くのものも変わらない。

なので、この記事を読んでるなら進撃の巨人を読んでるとは思いますが、
もし読んだことないという場合は一度読んで見ることをおすすめします。

読んでる場合もエレンが何を託すかという視点でもう一度読んでみると、
学べることや新しい面白さを発見できると思いますよ。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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