意識とそこから生まれる思考について最低限知っておきたい特徴

前々回前回の記事で人の思考プロセスの全体像から、
無意識に焦点を当ててその特徴等についてお話してきました。

ここでは意識に焦点を当ててお話していきます。

意識、誰もが成長するにつれていつの間にか持っているもの。

自分に意識がある、引いては自己があることに疑いを持つ人は、
あまり多くはないでしょう。

じゃあそんな当たり前にある意識とは具体的にどんなものか、
どんな能力や特徴があってどのように自己を形作るのか?

そう聞かれて明確に答えられる人もまた少ないと思います。

当たり前にある、当たり前に活用できるが故に疑問を持つことがない、
ですが知っていてかつ当たり前に活用できる方が、
知らないままでいるよりはうまく扱えるようになるでしょう。

それは意識的な思考のレベルを少なからず引き上げると思っています。

ここではそんな意識を最大限活用するために最低限知っておきたい、
基礎知識や特徴についてお話してみようと思います。


意識の特徴や能力を一言でまとめるなら想像力

では、意識とはどのようなものなのか?その能力や特徴は?

詳細に話していけばいくらでも語ることがあるのですが、
ざっくり一言でまとめるなら想像力と言えるでしょう。

前回の記事でお話しましたが無意識は過去から現在を見る、
加えて自身が認識できるものが全てという特徴があるために、
まだ起こり得ない未来を考えることができません。

しかし、意識はまだ自身の中に存在しないあらゆる可能性を、
今ある情報等によって想像することが可能なのですね。

例えば論理的思考によってまだ確定していない先を仮説としてたてる、
客観的視点によって自分以外の誰かの思考や感情を想定する、
現実をモチーフに現実にはない空想的な世界観を作り出す。

こういった意識的な思考が必要となる能力の全ては、
想像力に支えられていると言っていいでしょう。

意識を語るうえで想像力を避けて通れないということは、
まず覚えておいてもらうと良いと思います。

意識的思考を支える3つの特徴

ここからはもう少し具体的に2つの特徴をお話していきます。

  • 俯瞰できるということ

  • 選択できるということ

  • 環境を生み出すということ

俯瞰できるということ

なぜ人は何かを想像することができるのか?

それは自己から離れて物事を俯瞰することができるからです。

ここで重要なのは自己から離れることができるというキーワード。

そもそも、自己というのは自他が存在するということを把握できる、
他人がいるから自分があるという前提の元に成り立っています。

なお、気をつけてほしいのが自己があることと、
自分かそれ以外しかないということは違う。

自己とは自分以外の存在にもまた同じように自己がある、
このことを理解できてはじめて自己と自他の間に、
明確な線引を引くことができるが故に生まれる観念です。

しかし、無意識は自分以外にも自己があるということを理解できない、
あるのは常に自分という存在と自分が認識する外界という線引のみ。

ですから、自然界の大抵の生物に自己という認識はない、
自分とは何かということに意味も疑問も持つことはありません。

例えば犬に鏡とかを見せてもそれを自分だと思えないから、
まるで知らない相手であるかのように吠えたりなど攻撃的になる。

これは自己という認識を持ってないことを表してると言っていいでしょう。

無意識しか持たない、あるいは無意識の影響が強い生物は常に、
自らの視点から認識したものが全てであるのです。

ですが、人間は元々持っていた無意識を生み出す脳とは別に、
新たに意識を生み出す脳の部位を発達させてきた。

ようは後天的に意識という機能を後付してきたがために、
無意識という自分から離れることが可能になった、
それが自他という存在を生み自己を確立するに至った。

引いては自己の外から物事を認識できる俯瞰という能力を持ち、
想像力を持つことが可能となったわけですね。

人間は誰であれ2重人格とは良く使われる表現ですが、
これは無意識という自分の認識が全てである人格と、
自分を離れることで新たに生まれた自己という人格を表してるわけです。

選択できるということ

人間は意識によって自己から離れることを可能にした、
自分の外には自分からは見えない道があるということを、
何らかの形で想像し想定できるようになった。

故に、人は選択するという能力を持つことになります。

繰り返しになりますけど無意識は自分しかないので道は常に一本です。

今の自分が認識できる世界の姿に対して、
過去の自分が積み重ねてきたものを利用し、
どのように対処するかという選択肢しかない。

そのため、自分に対処できない何かが起こった時は、
運が良ければ何とかなるという現実を受け入れるしかない。

ですが、意識は自分が今歩く道以外にも無数に道があることを想像できる、
想像できれば道の先を今の行き先から別の方向に向けることができる。

選択するということが可能になったわけですね。

環境を生み出すということ

自己から離れることで物事を俯瞰することができ、
俯瞰できるが故に選択するという能力を持つ。

これをまとめて言うなら環境を生み出すことができるということです。

前の記事でお話したのですが無意識は環境に流されるためのもの、
ありのままを受け入れその結果に適応するか否かによって、
先々まで生き残るかそれとも淘汰されるかを決めるもの。

僕はこれを流れの中に同化すると表現しています。

人間以外の生物はほぼこの流れの中に同化することによって、
現在の環境を受け入れたうえで何をするかということしか考えない。

ようは受ける影響に対してほぼ受動的であるわけですが、
人間は自ら環境を作り出すことが可能になった。

環境による影響を受け入れ適応することを考えるのではなく、
どうすれば自分にとって都合の良い環境を生み出せるか?

能動的に考え自分の外にある環境はもちろんのこと、
時には自己(無意識)を変化させることすらも可能にした。

流れに同化せず流れの外から物事を見ることによって、
流れから抜け出ることはできなくともその行き先を変える、
変えるために必要な環境を生み出す能力を持ったのですね。

意識という能動的な思考をうまく扱うために

以上、意識の特徴についてざっとお話してきましたが、
つまるところ受動性のみならず能動性を獲得した。

生物は世界という大きな流れの中に同化することで、
自然のまま、ありのままに生きて死んでいく存在だった。

ですが、人間は意識を獲得することで流れの中にありながら、
流れを外から眺めることが可能になったが故に、
少しではあるものの流れに干渉することが可能になったのです。

例えば知識を後世に残すというのもその1つ。

もし自己と自他という観念がなければ次世代に種を残すこと以外に、
何かを残すということを意識的に行なうことはできないしする必要もない。

自分以外の全ては自分の無意識に影響を与える何かにすぎないのだから。

だけど、自己があるように自他があるという認識ができるからこそ、
何かを別の誰かに残そうという意思を持つことができる。

そうして、生来的な性質以外の様々なものを後世に残し蓄積しながら、
徐々に技術や思想等を洗練させ文明を発達させてきたことで、
現代のような高度な社会を形成するに至った。

これは間違いなく意識というものの大きな功績の一つでしょう。

とは言え、必ずしも良いことばかりではなかった。

自己と自他を分けること、流れにいながら流れの外にもいるということは、
自分という存在が大きな流れの中にある矮小な個でしかないということを、
否応なく自覚させることとなった。

加えて自分以外の全ては完全には理解することも同化することもできない、
常に未知の存在であるという現実をも直視せずにはいられない。

それは過度な孤独感や不安や恐怖といった他の生物とは一線を画す、
新しく複雑な感情を形成することにもなったのです。

そんな感情から解放されたいとの思いがマイナスな方向に傾くと、
例えば武力戦争という直接他者を排除するという過激な行動や、
宗教などを通じ絶対的な存在への過度な依存などを引き起こす。

自然と同化する生物にはありえない大きな悪影響を、
他者や社会に与えるようなことにもなるのですね。

意識は人間にとって良いものであったかどうか?

その特徴を理解したうえで良いものであったと胸をはって言えるような、
そんな生き方を意識的に選択していくこと。

それができるということはぜひ覚えておいて置いたうえで、
何をしていきたいかを能動的に考えてみてもらえればと思います。

それが意識というものの一番の活用法だと思うからです。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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