人間社会の未知を予測するのが難しい理由

想像力を獲得し自身を含め客観的に物事を捉えられるようになった人間は、
目の前や過去の物事など既知から生まれる認識だけでなく、
未知や不可視、概念的な物事を認識する能力を手に入れた。

例えば未来、身体機能では捉えられないもの、心、自我、魂など、
世界、自然の流れを客観視し精神的に断絶することが可能なことで、
大多数の自然の流れに沿う生物とは違う視点を持つに至る。

ですが、それ故の生の苦しみもまた当然のように生まれた、
未来に対する不安、死後の自身の在り方への恐怖、
五感で捉えられない存在に対する危機感。

心という主観的にはあるように思えるけど実体は捉えがたいものの、
淀みや穢れといった漠然とした感覚に対する嫌悪感や忌避感など。

そういったものから逃れたい、安定した精神状態でありたいために、
時に人間は未知を予測することに大きく憑りつかれることがある。

例えば未来予測なんかはその最たるものでしょう。

未来がわかれば今何をすべきかが明確になる、
自分のやってることがより良い何かにつながるか否か、
無駄になるのかならないのかなどに心煩わされることがない。

迷いなく今を進んでいくことができるようになるでしょうし、
だから未来予測には大きな需要があるわけです。

占いなどスピリチュアル的なものから専門家のある分野から見た予測まで、
様々なものが世間には溢れています。

ですが、その予測が当たっていることって短期的にはそこそこ、
長期的にはほとんどないと言っていいように思う。

特に人間社会の物事を予測することは極めて難しい、
絶対にそうなると大多数の人に信じられるようなこと、
確かな根拠があるように思えるようなことでさえ。

時に大きく外れてしまうようなことがある、
それがまた不安や恐怖を生み出すことにもなる。

じゃあなぜ、人間社会はここまで予測することが難しいのか?

まず、前提として予測には大きく2つあることを知っておくのが大事。

1つは過去や現在から未来、未知を探求していく予測。

これまでの経験や蓄積されたデータなどからパターンや論理を導き出し、
同じような状況において未来もこうなるだろうと考える。

これは人間だけでなくあらゆる生物が大なり小なり可能な予測である、
生物が生来的に持つ思考傾向、人間であれば無意識と呼ばれる領域。

パターンや論理とはつまり世界、自然の流れであり、
それに沿う形で活動する生物はこの既知からの予測に従い、
こうすればこうなるだろうという考え方の中で生きている。

ですが、先に話したように人間は想像力を獲得した、
より正確に言えば脳の発達の過程で無意識と同時に、
意識的な思考傾向を生み出す機能を持つこととなった。

ですからこれも先に話したように人間は想像できるが故の視点、
未知や概念的な物事を認識することができるようになった。

とは言え全くのゼロから未知等を認識するわけじゃない、
何かしらきっけや起点となるものはあるわけですが、
そこから無意識的な思考では考えられない飛躍がある。

この起点からの現状荒唐無稽に思えるような飛躍が、
もう1つの人間特有の予測方法です。

で、ここからが重要なんですが少し触れたように、
人間は意識と無意識の思考傾向を同時に持つ。

2つの思考傾向が1つの器の中で時に衝突し反発し統合されたりしながら、
ある時点で1つの意志を形作りそれが言動に反映されていく。

受ける刺激や積み重ねた経験や訓練、時間経過よる身体機能の劣化などで、
形作られる意志は常に不安定で意識に偏ることもあれば逆も当然ある。

つまり、人間は常に意識と無意識の思考傾向の間を揺らぐ存在である、
時に無意識的に流れの中に生きることもあれば意識を活用し、
現状からは考えられない何かを生みだすこともある。

故に人間社会を予測することは自然の流れに沿った何かを予測するより、
未知を認識しそこに手を伸ばせる性質を持つだけ難しいのです。

加えて知識や思想、倫理道徳観、社会システム、技術等が発達したが故に、
様々な要素が複雑に絡み合いさらに予測が困難になった。

ただ、それはそれで良いと個人的には思う。

予測が難しいということは人間特有の揺らぎが機能している状態、
それはつまり多くの可能性が開かれている状態だと言える。

先に話したように未知を認識できるが故の苦しみがあるけれど、
それを乗り越えて新しい何かを生み出す楽しみもあるわけです。

逆に揺らぎが小さく比較的簡単に予測できるような社会とはつまり、
ある特定のシステムに沿って機械的に動いている状態であり、
そこに未知が生まれる要素はほとんどない。

特定のシステム、例えば思想や社会構造の中で変化成長の必要なく生きる、
それは楽ではあるでしょうけど心を大きく動かす何かは存在しなくなる。

無味乾燥な状況に身を置くことになります。

不安や恐怖はあるけどそれだけ大きな感動もある状態、
予測可能だけどそれ故に心も動かない状態。

どちらがより良いのか、これもまた人間が直面する揺らぎの1つ、
人生を通じて迷い悩み葛藤しながら答えを導き出すものでしょう。

どちらを選択するにせよ性質を把握しておく、
人間社会は人間特有の揺らぎ故に常に予測困難なものと知ったうえで。

だからこそ見いだせる楽しみや嬉しさもあると知れば、
自分からそういうものを前向きに探していく姿勢を持てれば。

人生をより良く生きる助けになるのではないかと、
そう思ったというお話です。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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