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キャリア的視点274 -表現の違和感:主語を換える-

毎日ブログ 274日目(2020/11/28)


昨日に続いて、今日も日本語に対する違和感を書いていきます。

最近、といってもここ十年強の間、TV番組をみていて感じることがあります。多分これは私だけの感覚なのでしょう。という程に番組を見ているとみんな当たり前に使っているのです。
特に芸人さんの話を聴いていると感じる機会が多いのです。

「僕らはそこに来ているお客さんを笑わせてなんぼなんです」
「人を笑わせてあげるのが僕らの生きがいなんですよ」

良くあるインタビュー系のコメントなのですが、いかがですか? 皆さんは違和感を感じませんか?
他にも、これは芸人さんではないですが、
「僕の作品で観た人に感動を与えることができたら…」
なんて言葉にも引っかかります。

これは両者(この場合は芸人さんとお客様)の関係性を発言者がどの様に捉えているか、という観点から感じる違和感なのではないかと自己分析をしているのです。

「○○させる」という表現が、毎回私の心をひっかくのです。
何だろう、上から目線的な嫌な感じです。

発言している本人にそのような自覚があるとは思っていません。逆に意気込みという意味では「〇〇させてやる」「〇〇を与える」というのは確かに大切なのかも知れません。
でもそれを口に出すのは、公共の場で言うのはどうかな、と感じてしまうのです。

例えばこの様な表現の仕方ならどうでしょうか?

「僕らはそこに来ているお客さんを笑わせてなんぼなんです」

「僕らはそこに来ているお客さんを笑ってもらってなんぼなんです」
「人を笑わせてあげるのが僕らの生きがいなんですよ」

人に笑ってもらうのが僕らの生きがいなんですよ」
「僕の作品で観た人に感動を与えることができたら…」

「僕の作品を観た人が感動を感じてもらえたら…」

ちょっとの表現の違いで、受ける印象が代わります。皆さんはどう感じられますか?

言い方を変えれば「主語を替える」とでも言いましょうか。「私が」から「あなたが」への転換です。
人に話をするのであれば、人が聞く言葉であるなら、主語をその相手の方に置き換えてみるのがポイントの様に思います。

先にも言いました様に、自分の心意気としては主役は「私」なので「〇〇させる」「〇〇を与える」でバッチリなのです。いっそそれくらいの心意気が欲しいですよね(^^)

でも外に対しても表現は、少し「言われる側」「聴く側」の意識・認識・感情を考えてみると、出てくる表現は自然に変わってくるのではないでしょうか?

私もサービス業を営んでいます。芸人さんも、「笑い」という人の感情に働き掛けるのであれば、一種のサービス業なのだと思います。であれば同じ事が言えるのかな、と思ったりするのです。

人は「他人」をよく観ています。
その人が何を意識して生活しているかによって、触れる琴線は異なります。
その時にあなたが触れるのが琴線なのか逆鱗なのか。どうせ触れるなら琴線のが良いじゃないですか^^;

今日はホンのちょっとした「言いまわし」の話でした(^^)



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