「こだわり」と「素直さ」の心地よいバランス。

こだわりたいと思う。でも素直でいたいとも思う。

このバランスを取るのがなかなか難しい。
今もこだわることについての躊躇いは全然ゼロではないけど、昔はとくに、この2つの感情が心をぐるぐると駆け巡り、しんどい時期があった。

まだ組織にいた頃のこと。
上司がこうしたらいいよ?と言うことに対して、素直に「それいいですね!」と頷けない。彼の人間性は好きだけど、助言をくれたアイデアや企画が、パズルのピースが揃うみたいに、どうしても私のイメージに合わない。

これは私が舵を取って動く場合の話で、彼が中心となって仕事を進める前提なら、私は割り振られた範囲の中で、こだわりを打ち出そうとする。
私の場合、例えば作品全体の「カラー」を決められる権限を与えられたときに、やりがいや充実感を得られるチャンスだと思っていた。

そして、それが世に残ってしまうことを思えば思うほど、より思いが強くなる。

でも、こだわりは頑固と紙一重。
頑固だけじゃない。妥協できない完璧主義者、協調性がない、わがままなどの見方もできるかもしれない。マイナスな面をこうして書き連ねると、自分がそういうふうに思われるのが嫌で、素直さへの憧れが沸々と湧き出しているのではないかとさえ思えてくる。

こだわった先の行方は?というと、そのこだわりを称賛されるケースもあれば、言ってもきかない頑固な人だと飽きれられ、周囲が離れてしまうことだってあるかもしれない。
あるいは、「自信がある」「自分を持っている」などと魅力的な一面としてみられることもあると思う。でも、本当に自信があることと、こだわりが強いことは直結しない。周囲から「そう見える」という部分が大きいと思う。

何事も表裏一体。それはそうなんだけれど、じゃあこだわることと、人の意見を素直に聞くバランスってどう取ればいいのだろう。

こんなことを、わたしはいま悩みながら書いている。

当時のわたしに助言するなら、「わたしはつまらないと思う」と素直に伝えてよかったんじゃない?ということ。そして、わたしが伝えたいことは何なのか、誰のために書きたいのか。そんなことを、彼に説得することを諦めないで欲しかった。

彼のプライドを傷つけることに対して、申し訳ないという気持ち。上司にたてついてはいけないという思い込み。すべて相手のことを本気で思っていなかったと思う。
彼のために作品を作りたいわけじゃない。わたしは、その作品を手に取ってくれる誰かのために書きたかった。それを、本気でプレゼンしていたのなら、彼の反応は変わっていたと思うし、絆も生まれていたと思う。

当時のわたしの心境として、「わかってもらえない」前提があった。感性が合わないから理解してもらえない。企画もどうせOKにならない。彼に話すと面倒になる、という勝手にわたしが作った前提が、その先のゆがんだ発言や行動を決めていた。

正直なところ、わたしは彼のいいと思える意見がないかぎり、取り入れたいと思わなかった。(ほんとうに頑固、、)それに、今でも中途半端なこだわりは良くないと思ってしまう。こだわるものには徹底的にこだわりたい。

でも、こだわりはその人が大切にしている宝物みたいなものだから、きっと範囲は狭いはず。曲げられない意見は伝えるけれど、それ以外のところで素直さを発揮していけばいいのかもしれない。その心地よいバランスを模索中だ。

いまは、彼が意見を言ってくれたことに感謝している。
彼とは感性が合わなかっただけ。それに、人の意見は、わたしの趣味嗜好や感性を知る一つのきっかけになる。それは、相手と関わることでしか生まれない。

noteも同じ。誰のもとに届くかわからない綿毛を飛ばしてみる。それが誰かの気づきになってくれれば嬉しいなあと思う。

#心理学 #こだわりが強い #素直さ #自分にとって大切なこと

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