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チャンスの神様に愛されたい。

「チャンスはほら目の前に!」

そんなこと投げ銭のように言われても、情報が溢れる世の中で、チャンスを掴むのは難しい。

意識を向けた先の情報をインプットして、私たちは取捨選択をする。けど、選択をした先にどんな出来事や出会いが待っているかは、当たり前だけどわからない。

若い頃はリスクを厭わず、がむしゃらに突き進みがちだ。でも、鎧も知恵も武器もない、未熟な心で行動を起こし続けることは、少しリスキーなようにも思える。敵の弱点も自分の強みもわからぬまま、裸一貫で攻撃を避けもせず戦いに挑むような。

そもそも

挫折した方がいいってほんと?

挫折したら心が折れちゃうよ。

臆病になって当たり前。

心が強い人、そうじゃない人。

心が平和な人、そうじゃない人。

心を守られてきた人、そうじゃない人。

傷跡を癒すには時間がかかるし、記憶に刻み込まれた悲しい出来事を抱えて生きることはとても苦しい。

辛い経験がひとを強くするなんて、ほんとなのだろうか。

大切なのは、

あの時、どうしたかったの?

本当は辛かったよね?

本当は、こう伝えたかったんだよね?

そんな小さな自分の感情に気づくこと。寄り添うこと。

それは一種の「後悔」とも呼べる。

わたしの後悔は、カメラマンの仕事を断ってしまったこと。プロのカメラマンになりたいわけじゃなく、文章と写真を使って表現したいから、上達したいのだけど。なかなか勇気が出ない。(コンフォートゾーンというやつ?)

文章を書くことも特段好きなわけじゃないけど、わたしの自己表現は「話すことではない」と、感覚で腑に落ちている。きっと、誰に頼まれなくても一生文章を書き続け、写真を撮り続け、どこまでも果てしない理想に、悩みもがき続けるのだろうと思う。

その覚悟はできている。

問題は、なにを伝えたいかわからない時がある。それはいつも不確かで、ふわふわしたもの。それを知るために、noteを綴っている気さえする。

あと、鎌倉の観光パンフ作りに躊躇してしまったこと。ゼロから作品を生み出せるチャンスがあったのに。鎌倉という地に精通した経験者が条件だったから諦めてしまったけど、応募すればよかった。編集もしたい。たくさんの情報を集めて五感で感じたものをカタチにしたい。

私はこの2つの後悔を、たまに思い出している。

ふと頭に過ぎること、それが本当の望みだと思う。

チャンスを逃しても、そのおかげで自分の気持ちに気づけることもある。

反対に思い出さないことは、やりたいことじゃなかったんだ。エゴでやろうとしたことは、きっと数年後には忘れている。

寄り道の多い人生は嫌いじゃない。

でも、たまにはマリオのスターを獲得したときみたいに

チャンスをものにして、颯爽と走り抜けてみたいのだ。

#エッセイ #チャンスの神様 #チャンス #心理学 #やりたいことがわからない時 #やりたいこと


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