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#22 私は母を傷つけ、母はそこから宝をつかんだ


よろしければ、耳で聴きながらお読みいただけます。こ林さんがとっても素敵に朗読くださいました❗️


昨日のNoteに、母が贈ってくれた短歌を載せた。

私の母は田舎の子だくさんの貧しい家庭に生まれたので、学問といえば中学を卒業したまでだ。
母を見ていると、きっと本当は勉強がしたかったのだろうな、と思うことはたくさんあった。

しゅうと姑、小姑たちまで居る大家族に嫁ぎ、まるで『家』の使用人のような結婚を生きていた母に、自由になる時間がどれほどあったとも思えないが、それでも母は、いつでも向上心を持っていた。


若い頃は、地域の弁論大会に。そこで同じく出場していた父と出会ったという話も聞いている。
私が憶えているのは、母が通信の習い事のようなもので、私達に動物のぬいぐるみを縫ってくれていたこと。そして自分で字が下手だと思い込んでいた母は通信のペン字も一生懸命やっていた。毎月練習した後に、課題の字を書いては添削を受けていた。

料理教室に通った時は、食卓に馴染みのなかったものが並び、楽しかったのを憶えている。

その母が、私がイギリスで出会い、夫となった人が日本にやって来た時から、英会話を習い始めた。といっても地域の様々な年齢の人が集まったサークルのようなものだが、アメリカで暮らしたことのある方が先生を務めていた。

私は夫とは日本で結婚したが、イギリスから家族を招待できるお金がなかったので、日本での結婚式のあと、自分たちがイギリスへ行き、もう一度教会でささやかに誓いの式を挙げさせてもらった。
なので、母は夫の家族とはまだ会ったことがなかった。

英語を勉強し始めてから母は、イギリスに住む夫の母に、少なくとも年に一度送るべきと考えていたのであろう、クリスマスカードを英文で書いた。

それはいくつかのシンプルな文の羅列ではあったが、自分でコミュニケーションを図ろうとする母の姿勢は今でも賞賛に値すると思う。

そのうち、我が家には娘も生まれ、ちょっとイギリスっぽい顔をした幼子を見ながら、母はますます英語を頑張っていたのかもしれない。


ある時、食卓で母が、娘に向かって”Could you pass me the salt?” と言ったのだ。

いや、正確には、「クッッジュー パス ミー ザ ソルトォ」と・・・・


正直に言えば、私はちょっと絶句した (ごめん)

そして英語がわかる娘も『きょとん』としていた・・・

後で夫とふたりだけになった時に、母にはわざわざ娘に英語を話さず、普通に日本語で話してもらおう、と決めた。

そして母に、英語は夫が話すだけでいいので、日本人である母は日本語で話してやってくれないかとお願いした。発音で混乱しないように、と言ったが、それは母の発音が悪くて私の発音はいいという意味では毛頭ない。ただ、私が夫に英語を話しているのを娘が聞くのは自然なことだが、日本のばあちゃんが娘に英語(に聞こえない英語)で話すのは不自然だと言いたかったのだ。

その後のことはあまり憶えていない。子育てに夢中になっていた頃だし、そのうちに私たちはイギリスへ引っ越してきた。
気がついたら母は義母あてのクリスマスカードも日本語で書いてきて、私にそれを通訳して読んでほしいと頼んでくるようになっていた。


日本の暮らしを離れて22年目になるが、
現在の我が母はすごい。
娘の私が自慢したいほど、次々と短歌を発表しては、入賞している。
飾っていないけれど、帰省するたびにトロフィーや盾、賞状が増えている。
しかもそれらは全てインターネットとは無縁の世界で動いている。母は新聞と短歌の月刊誌の情報だけで短歌を作り、郵便局まで応募作品を投函に行く。

そこには静かで豊かな生活がある。



ある時、母が言った。

「あん時、『巴奈の前で英語喋らんといて』と言われてよかった。ミズカのこと、ひどいこと言うと思ったけど、あん時英語やめたおかげで短歌に出会えてん。
今は心から良かったと思ぅとる。ありがとう」 と。


あああ、そうだったのだ。


あの時の自分を殴ってやりたい・・・

私に母を馬鹿にする気持ちなど、微塵もなかった。だが、人は言われたことが過去の傷や劣等感などに触れた時に、どのようにでも解釈してしまうものだ。
私だってそんな心境は嫌というほど知っている。

母は傷ついたのだ。
私が母を傷つけた。『使えもしない英会話を学び続けて何になる』と自嘲して、あっさり捨ててしまうほどに・・・

母は、いずれ訪れるであろうイギリスの家族との対面の時に、自分で気持ちを伝えたかったのかもしれない・・・「ミズカをよろしくお願いします」と日本の母なら必ず言うひとことを、私のために言うつもりだったのだろうか・・・(英語ではそんなことは言わないというオチがあってもなくてもだ!)
きっとペン習字の時、苦手なことを克服したかったように、これは頑張っておくべきことだと思ってくれたのだ。母の愛はいつも偉大だ。頑張る原動力は私への想いだった・・・



母は今、いつもいつも短歌のことを考えていて、本当にしあわせだと言う。
そんな母が、努力しても限界があることを続けるよりも、好きなことをやって心を潤すことのほうが百倍しあわせなのだと気づいたというのだ。

それに気づけてよかった。

「ごめんなさい」なのだけれど、「めちゃめちゃすごいじゃん!」でもある。

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