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#86 わたくし、空の巣症候群をスッキリ抜けられそうです


昨夜は息子が家にいる最後の夜だった。

ワインを開けながら三人で話し込んだ。いや今週は毎晩こんな感じだったかもしれない‥‥
この息子というのはうちの長男で、夏前から4か月間家で同居した。

これまでどんなに時間があったと言っても、やっぱり家を出ていく時は慌てふためいてバタバタと車に乗り込んだ。

駅に着いて、重たい方のバッグの持ち手を片方ずつ持って階段を上がる夫と息子の後を軽い方のバッグを抱えてついていく。

無人駅のプラットフォームに賑やかな女性たちの笑い声がはじける。見ると皆、私と同年代で、中には知った顔もある。

きっとここに居る彼女たちのほとんどが、こうやって自分の子どもたちの旅立ちを見送ってきた人たちだろう‥ だけど今は仲間と一緒に元気に出かけて、こんなに生き生きと楽しそうに笑っている‥‥

少し前の私なら、私だけが世界で一人寂しい、と落ち込んだかもしれない‥‥

だから自分は進歩したな、と実感した。

なぜなら、私は彼女たちから目に見えないエールを貰った気がしたから。
彼女たちが皆『人生の節目にそれをしなやかに吹っ切ってきた戦士たち』に見えたから‥‥


間もなく電車が入ってきた。

見送りの場で私はもう泣かなかった。元気な女性たちの前でメソメソしないで済んだことが嬉しかった。

6月に次男を見送った私は、もう泣かないと決めたのだから‥‥


正直に言おう。
本当は2日前に、息子と向かい合って昼ご飯を食べていて、「これが終わるかと思うと寂しい」と泣いたのだ。泣きながらご飯を食べたのだ。

私たちは昼間夫が仕事でいない間、一緒にご飯を作ってきた。その後息子のリモートワークが始まると、定時に「お腹空いた~」と出てくる彼と一緒に昼ご飯を食べてきた。息子は、夫のように自分の食べたいときに思いのままに作って勝手に食べたりしない。私が用意しているところへ、必ず「おお~っ!」と歓声を上げながらキッチンに入ってくるという甘え上手だ。
また一人になってしまったら、昼ご飯をいそいそと作る自分が想像できなくなった。
泣かないと決めて泣かないでいられるほど感情は簡単なものではない。
込み上げてくるからどうしようもないのだ。

息子は「いいよいいよ」と泣かせてくれたし、そこから元気になる言葉もたくさんくれた。

家族の中で性格が一番似ている私たちは、許し合い、甘え合い、まるで自嘲するようにお互いのことを笑い合った。


その息子が、電車を三度乗り継いで七時間かかる帰路に着いた。

息子がいつも側にいてくれた間、つまらないとか悲しいとか思う必要がなかった。『楽しさ』がそこにあったから。その支えが居なくなってしまったら、私は以前のような不安定な状態に戻ってしまうんじゃないか‥‥と不安だった。

私はすがった。腐ってもクリスチャン‥‥すがる相手は神様だ。(ここで宗教色を出したいんじゃない。私はここ数年、ほんまに腐っていたのだと思う)

不安な気持ちが襲ってくるたびに、聖書のフィリピ人への手紙4章6~7節を唱えてみた。

Do not be anxious about anything, but in every situation, by prayer and petition, with thanksgiving, present your requests to God. And the peace of God, which transcends all understanding, will guard your hearts and your minds in Christ Jesus.  Philippians 4:6-7 (New International Version)

これは「不安になったり思い悩むのをやめなさい」という言葉から始まっているからだ。ここで、「神様に自分のリクエストを打ち出せ」と言っているのだが、私が注目したのはその前の、"with thanksgiving" 「感謝と共に」の部分である。

心がザワザワと不安になった時に、さてどうする?祈るか。祈るよ。「祈りと嘆願によって」って書いてあるもん。だけど、コンマで区切ってあるからどこをくっつけて読んでもいいと思った。

つまり、神様にリクエストしてごらん、だけどサンクスギビングも一緒にね」こんな感じに受け止めた。

サンクスギビングとは、自分がありがたいことをどんどん挙げていくこと。‥‥今日素敵だったことを10個ノートに書いていく、あの感じ。

気分が憂鬱になったり、わけのわからない不安がやって来たら‥‥

そこだ~、その時にこそ私は神様に感謝できることをひとつひとつ挙げて、心の中でどんどん「ありがとうございます‥‥」を続けたり、フォーカスできない時はノートに感謝を書き連ねていった。

不安は不安として。‥‥自分で戦おうとしない‥‥ とにかく「朝の熱いシャワーが感謝だ」とか、「身体が健康で動くことに感謝だ」とか、数えだせば有難いことなんて無限に溢れかえっていることに気づくのだ。

フィリピ人への手紙4章6~7節は本当だった。不安が襲ってきたら、なんとかしようとしないで、神様お任せしますから、とサンクスギビングに没頭する。

そしたらもう、「あらゆるものの理解を超えた神様の平和が、イエスキリストによって私のハートとマインドをGUARDしてくれる」というのだ。心の中も、頭の中もガード、警備ですよ。護衛ですよ!


息子は我が家からいなくなった。だけど不思議なくらいに心が穏やかで、自分が驚いている。

思春期からの過程には、ほんとに尖った時期もあった。夫と気が合わず、なにが不満なのか食卓で口をきかない時期もあった。

そんな彼が精神的に成長したからこそ、不甲斐ないと思えた親を許し、自分が傲慢だったことも認め、ようやくまた素直に甘えることができたように感じた。

夫とも食事の終わったテーブルで本当に楽しそうに語り明かした夜も数えきれない。難しいと感じたこともある長男と、然るべき時期を経て大人として相手を尊重しつつ付き合える仲になれたようだ。父息子を見ている私も嬉しかった。

ひと夏、25歳になった真ん中の息子の、最初で最後の一人っ子体験だったと言えよう。楽しい楽しい宝のような4か月間だった。これが感謝でなくてなんだろう。この宝は息子が居なくなったからといってなくなる宝ではないのだ。

今回はたっぷり時間があるから、スッキリさっぱり荷物の整理をしていっておくれ、と言い続けた私。
まかせとけ~、と言ったくせに、去っていった部屋を見たら、私が笑って許すだろうという甘えがいたるところから感じられる。以前ならばビシ~っときれいにしていく代わりに「絶対文句は言わせるものか」という意地みたいなものを部屋に残していたと思う。
なんだこりゃ~、もっときれいにしていけ~と思ったけれど、なんだか微笑ましい。

親子はこの程度甘え合って許し合えばいい。

さあ、空の巣を取り除く時が来たよ






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