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音楽というもの

私はトレッキーである。トレッキーとはSTAR TREKという米国のSFドラマのファンを言う。
1966年に始まった「宇宙大作戦」(日本では1969年)はSFファンのみならず幅広い支持を得た。発案のジーン・ロッデンベリーは西部開拓時代の幌馬車をイメージして、宇宙をファイナルフロンティアとして宇宙船エンタープライズで探索する物語を展開した。

STARTREK風の風の宇宙艦


このSTAR TREKは宇宙大作戦(STAR TREK Original Seriesとして略称TOS)以降、1987年に「新スタートレック」(Star Trek: The Next Generation 略称TNG)で20年ぶりに復活、以後、「スタートレック:ディープ・スペース・ナイン」(Star Trek: Deep Space Nine 略称DS9 1993年) 、「スタートレック:ヴォイジャー」(Star Trek: Voyager 略称VOY 1995年)、「スタートレック:エンタープライズ」(Star Trek: Enterprise 略称ENT  2001年)と続き、「スタートレック:ディスカバリー」(Star Trek: Discovery 略称DSC 2017年)と数年おきに新シリーズが登場している。(今もピカードやニューワールドといったシリーズがあるがあまりピンと来なくて見ていない)

さて、タイトルと縁遠い話になっているが、このスタートレックのVOYで音楽を知らない、というより持たない宇宙人種と出会う。
第133話「心に響く歌」Virtuosoで、コーマー人という星人は優れた技術を持っていたが、音楽を知らなかった。たまたまヴォイジャーに来た、コーマ人が、ドクターの鼻歌に驚く、そして、彼らは母星へヴォイジャーを招待し、食堂でドクターのリサイタルが開かれる、というものだ。

我々には音楽がある。それは当たり前の世界だが、コーマー人のように音楽の存在を知らないとなると、異様だがありうる話だろう。宇宙には多様性ということ菜では片付かないほどの星人がいるのかもしれない。


割と昔の自分に似ている

考えてみると、自分にも思い出とともに音楽が流れていることがある。ジングルベルとかそり遊びの歌を聞くと小さい頃のクリスマスを思い出すし、テレビドラマの主題歌も思い出に残っている。
吉田拓郎を聞けば、中学時代に懸命にギターを弾きながら歌っていた。はっぴえんどの曲を同級生の家で聞いた時はなんか大人になったような気がした。サザンオールスターズは同級生の兄がギター、ドラムはその人の同級生でともに高校が同じだったので聞き始めたが、すぐにその世界観に引き込まれた。はっぴいえんどから出てきた、大瀧詠一にもはまったし、細野さんのアジアとかを取り入れたトンチンカンな曲も好きだった。たまにMCソング等で流れると、名古屋の下宿が思い出される。松田聖子の曲を松本隆が書くようになってからは松田聖子もよく聞いた。ドライブデートでかけるはなぜか松田聖子が多かった。
学生時代に、父親から車をもらい、フェリーで名古屋に上陸したときに聞いていたのは柳ジョージとレイニーウッドだ。今、その曲を聞くと、名古屋港のシーンが浮かんでくる。
名古屋の大学に通うのに本山という駅から15分ほど歩くのだが、駅から歩いて5分ほどのところにカフェあった。その店の入口をジャケットにしたレコードがあり、センチメンタルシティロマンスというバンドで、歌詞にも「どうせ涙にゃー縁がにゃー」と名古屋弁が入っていたのを思い出す。

それだけ音楽と生活は密着していたと思う。しかも音楽には国境がない。よい音楽は流行する。良い曲はヒットする。

クラシック、ポップス、演歌、KPOPやJPOPとカテゴリは増えているが、音楽は多様性のあるものであり、素晴らしい存在である。

カラオケスナックによく行くが、演歌しか認めない的な方もいらっしゃる。若いのに、客層が高齢なので、小林旭の自動車唱歌を歌う人もいる。
私も年齢層を見ながら選曲するときもあるが、お客さんが少なくなると、YOASOBI、あいみょん、official髭男爵、bucknumberなどを歌っている。覚えるときには車でその曲、1曲だけをずっと流している。
お客さんである椎葉村役場に行くと、往復6時間あり、けっこう覚える。

いっしょに歌うという世界もある。軍歌は大勢で歌うもののような気がする。それで奮い立たせていたのだろう。
デュエットは楽しい。音楽の掛け合いとでもいうのか、とにかく楽しい。


乙女の祈りのイメージ

今、見ている韓国ドラマの「ドドソソララソ」はピアニストが田舎に行ってピアノ教室をやる話だが、キム・マンボクという老人がピアノを習いたいという。
弾きたい曲があり、それは「乙女の祈り」。亡き妻が好きだった曲。回想シーンがあるが、1959年に出会った二人は、事情があって別れる。数年後にマンボクが道端で聞こえてきた乙女の祈りを立ち止まって聞いていると、同様に立ち止まってきている女性がいた。それが再会の場面だった。二人は結婚し、幸せだったが妻は認知症に。一念発起したマンボクはピアノを習い、妻の一周忌に演奏会をおこない、見事に弾くのだった。

このドラマで主人公のソヌ・ジュンがギターで弾くのが「愛の喜び」。この曲、聞き覚えがあると思ったら、アメリカの戦争ドラマの傑作「バンドオブブラザース」で使われていた。
調べると「バンドオブブラザース」の曲はマイケル・ケイメンとなっているが、似ている。
この曲を聴いていると、ドラマのいろいろなシーンが浮かんでくる。

音楽について書き出すといろいろな思い出とそれに絡む曲が浮かんでくる。
東芝で働きだしたころ、8ビットPCの担当だった。東芝はNECの大ヒットの陰でまったく売れていなかった。最も大きな欠点はソフトがないこと。ハード的(ソフト的)には簡単に音階が出せなかった。つまり曲を流すことはできなかった。(必要と思われていなかった)
すぐ下の弟、浄(きよし)は高校生からマイコンをいじりだしていた。私に東芝の8ビットで音楽が出るプログラムをくれた。その曲が松田聖子の「天国のキッス」だった。他に比べるとそこまでのヒットはしなかったが、松本隆、細野晴臣の作品だった。これを聞くと弟の顔を思い出す。42歳で亡くなった彼の面影はこの曲の向こうにある。

割といい感じ。NEC色かな

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