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自分の光を見る

ポエムというか、詩を書いてみました。Twitterをやっていた頃に現代詩っぽいことはツイートしていたのですが、こうしてきっちりした記事にドンと書いたのはこれが始めてだと思います。

心鏡の湖 詩『自分の光を見る』

情報にまみれた世界で息を詰まらせている
ゴミの山だ
何を目指し、何に急ぐのだろうか
どうして他人を巻き添えにするのだろうか
それを美徳というのなら、私は光を遮るつもりだ
そして、自らが発する光こそが清く美しいものだと信じるつもりだ

人々の目は、脳は、成長しているのではない
強い光によって溶けているのだ
この世界は光を強め
人々は今、無益な戦いを繰り広げている
実際の軍事戦争もそうだが、ネットの世界もどこかで荒れているのだ
心地よいものとは思えない

だからこそ
一度立ち止まり、自分の光を見る
目的地を地図で確かめるように、心の揺らぎを抑えるように
相手の発する、屈折した光や、虫眼鏡で集められた光に
目が眩むことのないよう

自らが発する、淡く儚くも、世界で一番美しい光を
どうか見つめてほしい

心鏡の湖

この詩の解説

情報社会が豊かになる一方、人々の心が豊かになっているとは限らない現状がある。労働、ネットでの荒らし、目まぐるしい時代変化、感染予防対策など、他にも考えなければならない問題は山ほどある。

しかし、これらの問題を知ったところで、考えたところで何の意味をなさないことがあり、実際はそれが大半を占める。

TwitterのトレンドやYahoo!ニュースはいわば無法地帯であり、見ても心地のよいものではない。身近なYouTubeの生配信でも同様のことが発生している。指示厨といわれるゲーム配信上での命令コメント(ニコニコ大百科では「無自覚の荒らし」として掲載されている)などが見受けられ、また、指示厨を批判するコメントも溢れ返り、あまりいい雰囲気ではないために、私は数時間前にVtuber関連のチャンネル登録を根こそぎ解除したわけだ。

情報技術の進化が早すぎて、人類の進化が追いついていない。インターネットを利用する全員が十分な情報リテラシーを持っているわけではないし、少なからずやネットで暴走する人間が現れることも犯罪学の観点からいえば免れない。

完全にネットから離れろとまでは言わないが、それでも、疲れているときやイライラしているときはネットから離れたり、必要最低限のネット利用に留めたりなどの工夫が必要だ。生活に支障を来すほどのネットやSNSの依存症となってしまっては、回復には相当な時間を要する。

取り分けて、発達障害を持つ人間はネット依存症になりやすい傾向にあるため、自戒の念を込めて今回の詩を作成した。


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