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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#38

8 内訌(4)

 聞多は二人を送り出したものの、長崎に行った晋作と俊輔は思いもよらない提案を受けて戻ってきた。
 しかも船を一艘購入してきた。これには藩の勘定方も大騒ぎで、最初は認めないと判断された。おまけに晋作は渡した1000両も使ってしまい、返金を命じるべきという要人もいた。これを受けて聞多と広沢は海軍局や勘定方、政務役の間を走り回った。どうにか返金もせずに、船の購入も認められた。

 下関の館に二人は聞多を訪ねた。
「なんじゃもう戻ってきたとはな。艦船のこと、金子の事、押し付けてなかなか良いご身分じゃ。」
「オテント丸はいい船だ。ただな、こんな状況ではイギリスに行くよりもできることがあると、グラバーとか長崎の商人どもに言われたのだ」
「何を」
「下関の開港」
 これは俊輔が声を潜めて言った。
「しかし下関の殆どは本藩の領地ではないぞ」
「そこは君たちの腕の見せ所だろ」
「たしかに。下関が開港となれば、船への物資の提供だけじゃなく西国向けの物資に対して影響があるの」
「それこそわれらの目指す割拠の一つだ」
「晋作、割拠の形か。調整してみる価値はあるな」
 ふむふむとうなずきながら、聞多が俊輔に聞いた。
「それで、これからどうする。お役目復帰でええか。晋作も」
「それしかあるまい。だがここを動くつもりはないからな」
「僕も下関でいいんじゃ」
「おぬしらがここにいるというなら、そのようにしてくる。政庁に顔でも出してくるかの」
 翌日聞多が山口に出かけて行った。

 かえってきて、また晋作と俊輔に茶屋に集合をかけた。
「とりあえず首座の山田様や政務座役の方々に上申してきた。だが、これが支藩に根回しもなくもれたら大変じゃ。下関の利益はもともとそちらのものじゃからの。もしもの時に備えたほうがええかもしれん」
「それじゃったら、聞多も亡命したらええ。どこか傷に良い温泉にでも行ってこい」
「そうなったら僕は少し遠出をするかな」
 晋作が遠くを見ながら言った。
「俊輔はどうするんじゃ」
「僕はここにいても大丈夫じゃ。こういう時軽輩者は気が楽じゃ」
「この繰り返しも疲れたの。やはり束ねになるお人が必要じゃ」
 あぁ、と背を伸ばしながら聞多はつぶやいていた。
「聞多も弱気になるとはな」
「わしだって、いやわしは弱気な男じゃ。もとはなぁ。そういえば桂さんの消息は知れんのか」
 晋作と俊輔が顔を見合わせた。
「俊輔は知らんのか」と晋作が聞いた。
 俊輔も「高杉さんこそ知らないんですか」
 この様子を見て聞多は力なく言った。
「おぬしらが知らんで、わしが知っとるわけないじゃろ」
 これには三人でため息をつくしかなかった。
「酒でものむか」
 晋作がぼそっと言った。
 
 聞多の心配はやがて現実になった。
 下関の奉行が接待掛の控え所に飛び込んできた。
「高杉も井上もおったか。たいへんじゃ、支藩の連中が下関の開港を聞きつけて、本藩が権利を奪い取ろうとしていると、攘夷派をたきつけおった。首謀者は高杉晋作、井上聞多だとな」
「それはまことか」
 晋作が驚きを隠せなかった。
「それで、どうなる」
 聞多があきらめ顔でたずねた。
「たぶん神代あたりが、高杉、井上に天誅をくらわしてやると意気込んでいると聞いた。あいつらは本当に大変じゃよ」
「あぁ、神代か。そういえば前にイギリスの犬じゃって、因縁つけられた事があったのを思いだした」
「人を斬りたいだけのやつに斬られるのはごめんだな。亡命するしかないか聞多」
「あぁ。もうこんなことは飽き飽きじゃ。本当に政庁の連中は誰にでもよう喋る。せめて後先を考えろってな」
「井上、声が大きすぎじゃ」
「はぁ申し訳ない」
「ご忠告ありがたく頂戴いたします」
 最後は晋作が礼を言った。そなたらのことはいいようにしておくと言って奉行が立ち去った。

「いつぞやの話の通り、僕は大坂あたりと四国に行きたいところがあるから行ってみようと思う。おうのもつれてな」
「女連れか」
「そのほうがいいんだ。浪人の旅でなく町民の物見遊山に化けるんだ。士分であることを悟られると、長州人ということと合わせて危険が大きくなる」
「確かにそうじゃな。わしもお静を連れていくか。どこに行くかだなぁ。俊輔に相談して決めるか」
「僕は明日にでも出かけるから。聞多もなるべく早く行けよ。傷に良い温泉に行って、しっかり養生してこい」

 次の日聞多は朝早くから俊輔の家を訪ねた。
「俊輔、朝早うからすまん。亡命の件じゃ。晋作はもう出たらしい。それで、わしもと思ったが、俊輔に聞いてからにと思ったんじゃ」
「どこに行くんだ。あぁ傷に効く温泉だったな」
「梅さん、こっちにきちょくれ」
「梅さん?俊輔のおなごか」
「そうじゃ、もう家族になった」
「萩の妻女は、どうするんじゃ」
「まだ、そこまで考えておらん。それはええじゃないか」

 梅と呼ばれた女が入ってきた。少しうりざね顔の澄んだ目が印象的の女だった。立ち振る舞いから粋筋ということも見て取れた。
「梅さん、どこか良い温泉知らんか」
「あのぉ、別府などいかがでしょうか。いろいろな種類があるとか。きっと井上様にも良い湯がございましょう」
「別府か、ええな。船でなんとかなるじゃろ。それで、町人に化けろと晋作に言われたんじゃが。何か良いものあるんか」
 梅が少し考えて、言った。
「ただの商人ではなく、人足頭といった感じがよろしいかと。その服装では難しいですから、何かご用意いたしましょうか」
「それは有り難い、頼む。ついでに芸者のお静を連れてきてくれないか。わしの用事があると言ってくれ」
 そう言って、聞多は手持ちの金を渡した。
「聞多、面白そうじゃ」
「まぁ少しは面白うないとやってられん」
 しばらくすると梅が戻ってきた。

 「梅です。戻りました」と声がしてふすまが開いた。
 手に持った包みを聞多に渡して、着替えさせた。普段の袴と羽織姿と比べかなり雰囲気が変わった。
「そうですね、髷も変えましょう」
 結い方を変えて、町人風に仕上げた。大小の刀を置いて、歩いてみた。
「聞多、これでずいぶん変わるもんだ」
 俊輔が上から下までしっかり見ていた。梅も一緒にうなずいていた。その時、お邪魔しますという声がして、お静が入ってきた。
「あらぁ、井上様すっかり見違えてますよ。どんな御用ですか」
「お静、頼みがある。わしと一緒にしばらく別府に行かんか」
「えぇ。別府ですか」
「しばらく身を隠す必要があっての。別府に参ろうということになったんじゃ」
「ふふふ、楽しそうですね。ご一緒しましょう。旦那様」
 お静は聞多にしなだれかかりながら言った。
「旦那様と温泉なんて、夢のようですよ」
「ずいぶん惚れられているようで何よりじゃな、聞多」
 俊輔は面白いものを見たように言った。
「これで、準備は整ったということじゃな。早いほうがええ。昼の船で出発することにする」
「俊輔、お梅さんも世話になった。また落ち着いたら連絡する」
 そう言って、聞多はお静と旅立っていった。


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