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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#39

9 薩長盟約(1)

 聞多が、桂さんが束ねてくれればなぁと言ったことが俊輔の頭の中に残っていた。たしか桂さんが一度文をくれたことがある。まだその場所にいてくれるのならと、文を書こうと思った。

  藩論が武備恭順でまとまった後、下関開港を試みようとしてうまくいかず、聞多と晋作が亡命してしまったこと。安全の確保がされなければ帰国する意思のないこと。本来ある危機の一つ、公儀からの追討が迫っているのに、対応が遅れている。束ねとなる人が必要だがそれがいない。一時も早く桂さんに帰国願いたい。そうしないと二人も帰ってきてくれないのが問題だ。
 このような内容で分かってもらえるだろうか。不安ながらも文を出石に出した。返事を待っていると、急に村田蔵六から呼び出しを受けた。
 
 何事だろうと鋳銭司村の村田の家を訪ねて行った。そこには、もう一人見たことのない男がいた。
「村田先生でございますか。伊藤俊輔です」
 晋作が火吹き達磨と呼んだ男で、密航のときの協力者だが、俊輔はあまり面識がなく緊張していた。
「伊藤くんか、そこに座りなさい」
 俊輔が座るのを待って、村田がもうひとりの男に声をかけた。
「こちらの伊藤俊輔君は、桂さんの育み、弟分みたいなものです。桂さんの居場所を知ってる数少ないものです」
「伊藤くん、こちらは出石から来られた、桂さんの使者のお方です」
「桂さんのお使い。桂さんはお元気なのですね」
「はい、我が家の小間物屋のお手伝いなどしていただいております」
「それで、桂さんはこちらに戻られるのですか」
 俊輔は、使いの男に尋ねた。
「お戻りになりたいお気持ちはお強いです。ですがこちらの状況もわからず、道中の危険も考えますと不安もございますので、まずはわたくしが様子を見に行ってと言うことになりました」
「長州の中でもいろいろありましたから。僕、いや私としてはぜひとも、桂さんに一刻でも早く、お戻りいただきたいのです」
 俊輔にとっては切実な問題だった。
「周布様がお亡くなりになり、束ねとなるお方が不在の辛さをお分かりいただきたい。政庁に欠かせぬと思う人たちが、未だ亡命先から帰れずにおります」
「お気持ちはよくわかりました。桂さんにもしっかりお伝えします」
「ありがとうございます」
 村田が今後のことを訪ねた。
「お戻りになるときは、どのようなご連絡をいただけるのでしょうか」
「まず文を村田様にお送りします。その時の状況にもよりましょうが、こちらの鋳銭司村のお屋敷に一時お入りいただき、そのあと萩か山口にという段取りはいかがでしょう」
「それがよろしいでしょう。伊藤君もそれでよいかな」
「わかりました」

 俊輔はまた三人でやっていける日が近いことがうれしかった。あとは、どの時点で呼び戻すのがいいかと考えていた。

「村田様、その時にはご連絡をお願いします」
「亡命中の者たちとは連絡はとれてるのですか」
「はい。文や金の無心など一応」
「それはよかった」
「では、これにて失礼いたします」

 ひとり会談の場から下がると、緊張が解けてぐったりした。桂さんの帰参が近いと知れたことで、下関への足も軽くなった。空も青く澄んで見えた気がした。

 だが、なかなか事態が動かない。多少の焦りを持ちながら待っているとようやく望んだ知らせがやってきた。村田から連絡を受けた俊輔は、さっそく鋳銭司村の村田の屋敷を訪ねた。礼を失していようと構わない勢いで対面を願い出た。

「桂さん、やっとお帰りいただけた。どれだけ待ったと思うんですか」
「まぁ伊藤君、落ち着きなさい」
 村田がたしなめるように言った。
「早く殿にお目通りをしていただかなくては。藩庁だって、やっていただくことがたくさんあるはず。そうでないと高杉さんと聞多、ではなかった井上さんを呼び戻すことはできないです」
「伊藤君、待たせた。大丈夫だ。晋作も聞多もすぐに呼び戻す。山田様よりご連絡があればすぐに山口に参る」

 その言葉通り、桂は山口に行き藩主敬親、世子定広と対面をはたした。名を殿から賜り、木戸貫治と変えて改革に乗り出した。

 まずは攘夷派にむけて天誅などという暗殺は許さないという命を出した。それをきいて俊輔は高杉と聞多に文を出そうとしたところ、どこで聞きつけたのか高杉は帰国してきていた。連絡が頻繁ではない聞多については、迎えを出すことにした。
 そうしてやっと、聞多も別府から戻ってきた。


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