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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#98

19 予算紛議(8)

 定額問題の裏でもう一つ馨が主導している事が進んでいた。
「アメリカからの報告があった。2分金の外国での売却価格が100円のところ107円でいけるとの話じゃ。それで、これを密かに買い占めようと思っておる。その売却益を貨幣の準備金とするのじゃ。そのためには資金調達の方法じゃが」
「事前に大輔により、方法を考えるようご指示を頂いておりました。兌換証券を発行するのが理にかなっているかとおもいます」
「そうなってくると発行手続きは、大蔵省でしていると時間が掛かるの」
「三井にまるごと委託するのも手ですな」
「その方針で正院提出の建議書を作成してくれ」
こうして、兌換証券を発行することになった。右院での話し合いの中で、この証券のことが話題になった。
「大蔵省は証券を発行する事になったのか」
江藤新平が発言をしてきた。
「あたらしい証券を発行することに決めたが」
馨が受けて答えた。
「そうやって価値の下がる物を発行して意味があるのか」
「必要だからやっている。それにこれは下がることはない。兌換証券つまり金と交換できるものだ」
「下がったらどうする」
「首をかけても良い」
「そうか、楽しみだ」
 この話の後、馨はため息を付いていた。
 そうは言っても、地方でこの証券を使って、2分金を買い占めようというのだから、下がるよなぁ。まずは相場を確認して、買い支えるか。太政官札、兌換証券、2分金を持って街に出た。いろいろな両替商をまわって、それぞれの交換比率を確認していった。違法な比率の店は江藤に報告して、取り締まりをさせた。
 さて、買い支えを実行するかと、馨は横浜に向かった。
ある茶屋に行くと、一人の男を呼び出した。
「おう、糸平よう参ったの。どうじゃまず一献」
「どうなすったのです、井上さん。なにか企みでもお持ちのようですな」
「企みじゃと。よう分かったの。その通りじゃ」
馨は笑いながら言った。
「私のようなものにどのような御用で」
「三井が発行しておる兌換証券を買い占めてほしいのじゃ」
「はぁ、そのようなことならば承りましょう」
「よいか、わしや大蔵省が裏にいることを知られるでないぞ。それで、いかほどできるかの」
「70万ほどならば」
「わかった。それで頼む」
糸平はよく名のしれた相場師だった。その相場師を利用して兌換証券を買い支えて、下がらないようにしようと考えたのだ。
数日後、馨はまた糸平の元を訪ねた。
「首尾はどうじゃ」
「70万でこれほど買い占めに成功しました。それでかかった費用のことですが」
「あぁ費用か。費用じゃの」
 少しやることを焦っていた馨には、資金のことが頭になかった。費用と聞いて思わず眼が泳いでいた。その様子を見てとった糸平は驚きながら言った。
「井上さんまさか。あの、このかかりには信用借りも入っております。早くお支払いいただかないと差し押さえられてしまいます」
糸平は必死な表情で訴えた。
「大丈夫じゃ。大蔵省がついておるんだからな」
 馨は苦笑いをしながら、早々にその場を離れて、大蔵省に戻った。電信を使って造幣寮に大至急20円硬貨を作って東京に送れと命じた。一番効率良くできる貨幣だと考えたからだった。どうにか70万円分揃えて糸平に渡すことができた。
 こうして作った金の他に、昨年執行した国庫金の余剰金などをあわせて、2000万円を金銀貨にして、準備金として保管することに決した。国家100年の財政の安泰のため約定するとしていた。これには現職の卿・輔すべてが署名押印して封印の上紅葉山の金蔵に収められた。
 しかしその約定も安泰なものではなかった。
「司法省の定額を希望通りにできぬというのなら、紅葉山に眠っとる金を使うべきだろう」
「そのようなことはできぬ。あれは国家100年の安泰のため必要なものじゃ。そもそも経済のありかたを我らは考えて」
「経済とは経世済民と申して世を治め民を救う意味である。おぬしらはただの算段にすぎんではないか」
「我らはポリティカルエコノミーの意を持つ言葉として経済を使っとる」
「蟹になど興味はなか」
「準備金には触れさせぬ」
「司法省は裁判所だけでなく、刑務所にも不足が生じておる。定額はそのまま受け入れられねばやって行けぬ」
「善人ですら金をかけられぬのが現状だ」
 どちらも一歩もひこうとしなかった。問題解決に至りそうもないと考えた司法省側は、司法卿江藤新平を始め大輔らが辞任願を提出する事態になった。     これに調整に回っている三条実美らは慌てて、司法省の意見を受け入れることにしてしまった。そうなると、大蔵省側も黙ってはいられず混乱に拍車をかけることになった。

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