見出し画像

【小説】奔波の先に~聞多と俊輔~#137

24 維新の終わり(8)

 イギリスのロンドンに戻った馨たちは、またそれぞれの勉学を続けて、いろいろな人との交流を図るということの日常に帰っていった。
 いつもの日課となっていたロンドン公使館への散歩で、馨は日本で起きた重大な事件を聞いた。
「井上さん、大変です。こちらへ」
上野公使が顔を見るなり、公使室へ招き入れた。
「薩摩の連中が動きました。武装蜂起したようです」
「西郷さんはどうなった」
「はっきりとしたことはわかりません。東京でも情報が錯綜しているようで」
「そうか。地租は引き下げられたのじゃったな。一揆の方は落ち着いとるんじゃろうか」
 そう言った馨の頭の中には、まさかと、いよいよかと、いろいろな言葉が駆け巡っていた。しかし上野は薩摩だ。迂闊なことは話せない。
「しかし、組織だったものだと、今までのようにはいかんだろうな」
「鹿児島には私学校というのがありまして、こちらが兵の主力となっておろうかと」
「そうか。大事になると、熊本の鎮台が攻略の要になろうな」
「はい、ただ今のところはまだなんとも」
「重要な情報を知らせてもらい、ありがたいことじゃ。新しいことがわかったらまた知らせてほしい。どうせ、毎日来とるんだしの」
「はい、私どもとしても、ご意見をお聞きできるのは大事なことです」
「それでは、またくる」
 公使館を出て、公園のベンチに座った。薩摩が武装蜂起した。これで事実上割拠していた薩摩を、組み入れることができるようになる。後はどれだけ早く鎮圧できるかだ。

「大久保さん、薩摩で、鹿児島で、軍の武器庫が襲われたというのは本当ですか」
 鹿児島での事件を聞き入れた伊藤博文が、内務省に出仕した大久保の元を訪ねていた。
「あぁ、とうとう動きだしたようだ」
「このような時期に、弾薬を動かそうとするから」
「いや、このような時期だから、動かそうとしたのだ」
「西郷さんは動いたのですか」
「西郷のことははっきりとしたことはわからん。だが軽挙妄動はつつしむだろう。この暴発に大義名分はない。明らかにあちらが道を誤ったのだ」
「これで、士族の反乱を終わりにできると」
「そうだ。私が薩摩に入り、西郷を説得しても良い」
「しかしそのようなことが」
「そうなったら、伊藤くん、君が内務卿を代理してほしい」
「大久保さんはどうなさるのですか」
「とりあえずは神戸に行き様子を見る。帝も奈良・京の行幸で京に滞在されている。不必要に混乱を招くようなことはしたくない。情報の収集からの点で大阪にいるほうが対処がしやすいかもしれない」
「電信を使えば、東京とも連絡は取りやすいですし、良いことだと思います。京には行幸に随行されている、木戸さんもおられます」

 陸軍も動き出す。熊本の鎮台の防御の強化にまず乗り出し、連携が予想される地域にも警戒を命じた。熊本への動員体制も整えるよう出動命令も出した。海軍だけでなく三菱などの民間船も徴用し制海権と兵站・輸送も万全の体制を敷いていく。一番気になったのは土佐の動きだった。

 事態は深刻化する。西郷は薩摩軍の総帥となり、熊本の鎮台に薩摩軍が押し寄せる状況が発生していた。熊本鎮台はこの地を守るため、熊本城の籠城を決定する。そんな中で熊本城の天守が炎上する事件も発生する。籠城のための食料も失われ、再び確保に努めた。どうにか籠城の継続が可能となった。そして、熊本鎮台に征討令が発令される。これにより薩摩軍は賊軍となった。
 そして、熊本城の攻防戦が始まった。薩摩軍の支援を考える不平士族の間でも、名分か時機かによって実際の行動が違っていた。時機の重要さを考えた士族たちが熊本に集まってきた。
 攻防は攻撃側にも、守備側にも疲弊をもたらしていた。特に籠城側は支援がなくては食料は減る一方だ。少しでも保たせるため、文官や指揮官は粮食を減らしていた。
 このままジリ貧に窮するわけにも行かない籠城側は敵の包囲を突破し、すぐ近くまで来ている旅団との合流を図った。この背面軍は、八代から上陸し川尻から、熊本城との連絡を成功させ、戦局を転換させることになった。

この記事が参加している募集

#日本史がすき

7,220件

サポートいただきますと、資料の購入、取材に費やす費用の足しに致します。 よりよい作品作りにご協力ください