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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#92

19 予算紛議(2)

 その頃ある問題で英国駐日大使が、外務卿宛に書簡を送っていた。ペルー船マリア・ルス号の清国人苦力が脱走し、英国軍艦に保護され、清国人苦力に対する虐待を神奈川県にある英国領事館に訴えた。このことが契機となり他の苦力も虐待を訴えてきた。日本国政府としてマリア・ルス号の実態を把握し、善処するように求めてきたのだった。
 次に米国代理公使からは解決のための手助けをするとの書簡も送られてきた。
 寄港地である横浜を管轄する神奈川県で外務省による裁判が行われることになった。
 この異例な裁判は、司法省の権益拡大を図る江藤新平を刺激して、すでに裁判に取り掛かっていた外務省と管轄争いを引き起こしていた。
 外務省からは、大蔵省に神奈川県は「開港場を管轄し、外事が常に内地に波及する」場所なのだからと、財政支援に対して配慮を求めてきた。陸奥の意見も聞いた上で、この件では大蔵省は静観することにした。
 その裁判での過程で明らかになった、清国人苦力の処遇が馨の目を引いた。騙され、強制的に連行されて労働を課せられ、虐待されていた。内局から準備された資料をもとに、それらのキーワードを考えていた。
 そして、五箇条の御誓文と去年発した解放令とつながっていった。明治の新しい世では、当人の意思に反した束縛は認められるべきではないのだ。
 思考をまとめて馨は、「人身売買をいたした儀について」という司法省からの「男女永年季奉公」についての諮問を、大蔵省へくだされたことの答申書として書いた。幹部会でその文章について、意見を交換した。
「今や時世文明に趣き人権といった自由を得られる様になった。人の婦女を売買し、遊女・芸者といった名目で自由を束縛し渡世する者たちがいることは嘆かわしいことだ。神奈川の事件を鑑みて、我が政府の行う仁恵を他国民に及ばせるというのならば、国内にいる同様な人にも及ばせるべきである。解放令や様々な改正されたことの主旨をもって、遊女や芸者と言った者たちにも、束縛から開放し人権の自由を与えるべきだ」
馨は答申の内容を読み上げた。
「たしかに、すべての人民から束縛をなくす、のはこれで良いと思いますが」
「遊郭の必要性、必要悪としての存在をも認めるべきと言いたいのじゃな」
「大輔、遊郭をなくすというのも無理がありましょう。やはり、例え建前でも、自由意志をもって契約を行えば、可能とするべきだと思います」
「佐伯くん、新しい仕組みについて説明を」
「遊郭は座敷を使用者としての遊女と賃貸する契約を結ぶことでその営業を認めるという趣旨です。ただし、この営業を行う遊女は鑑札を所持する義務を持ち、免許税を支払うことが求められます。つまり、遊郭は公のもと管理されることになります」
「これでやってみるかの。どうじゃ」
「よし、まとめてくれ」
 こうやって、作られた建議と貸座敷制の規則だったが、規則の方は「風教の害が起こる」という理由で左院から不採用になった。また後日改めて建議書を提出した。
 太政官は、人身売買を禁じ遊女等の開放を命じた「芸娼妓解放令」を布告した。
 司法省でも、「牛馬きりほどき」と言われる、遊女解放令以後の金銭関係の無効を表記した通達が出された。
 解放令だけ出された遊郭は、公娼制の維持を巡って大蔵省と司法省が対立し、衰退するかと思われたが、東京府が貸座敷制を敷くことになり、近代化を手にしたのだった。

 


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