見出し画像

【#4】人生の春/エッセイ

 僕の季節は今は何であろうと考えていた。


 僕の人生の季節は春であろうか、夏であろうか、秋であろうか、冬であろうか。

 僕の人生の夏は二十一歳半の頃に過ごしたとある夏の数ヶ月間であったように思う、その夏に出逢った人が僕の人生を変えた。今までの人生は序章の序章に過ぎなかったのだと思った。その頃まで僕が夏だと思っていた季節は夏では無かった、本物の夏は青春の香りと色彩を放っていた。

 人生に運命の人が一人いるとしたら、その夏に出逢った彼が運命の人で、僕の人生は彼に出逢う為にあったようにも思う。彼から序章が始まった、クラシックの序破急で例えるならば、彼は序で、一人目の運命の人だった。恋愛と云う意味ではない、僕の人生にとって、僕の人生を変える大きな存在と云う意味だ。

 そうして僕は彼と出逢ってからも、出逢う前も無為に人生の秋を過ごした、秋はいつも勝手に流れていく季節だった。人生の夏、冬、春以外の多くの歳月が秋だった。


 人生の冬……そこにも多くの年月が費やされた。僕にとって自分が生まれた季節である冬は、中学に入ってから、暗い陰鬱としたジメジメした印象だった。迎えたくない、喜ばしくないもの、迎えたとしても決して何の感慨も無いものだった。これまでは——。

 去年の冬、大雪が降った日に、僕は産まれて初めて自分の誕生日を迎える午前0時00分を、誰かと過ごした。そうしてそれは他の誰かでは駄目であったし、誰かと迎えていなければ決して一人では迎えられなかった誕生日であった。だから多分に、それも起こるべくして起こった必然で、運命だったと思う。運命の人が複数人いるとしたら、二人目はその今の僕が存在する為に、絶対不可欠な存在であった、彼だと思う。彼と僕との関係は、序破急に例えると明らかに破だ。だから彼は序破急の破の人である。僕の憂鬱で物憂げな人生の冬を破壊してくれたのだから。


 と云うことは、僕は今、残った人生の春に居て、僕にはもう一人、序破急の急にあたる運命の人が現れる筈である。それはどう云うことか、それはこれからの僕の運命を決めるのは今のこの人生の春に賭けられている、と云うことだ。きっと今僕がとる一挙手一投足が、触れる言葉の全てが、精神を含めた六感で感じ取る全てが、僕の運命に繋がっている。僕が読むもの、見るもの、聞くもの、会う人、言うこと、すること、全てが僕の運命を決めることに懸かっている。そんな予感がするのである。
  

 ……今が人生の春なのだ、今が一番大事なのだ、一大事なのだ。そうして一番肝心なこの季節に、僕はもう一人の運命の人に出逢うだろう。序破急の急の人、まだ見ぬその人が僕の人生の春を終わらせてくれる。そうなれば僕は穏やかな心持ちで、これからの人生を生きて往ける気がする。この春に出逢うであろうまだ見ぬ運命の人の線をなぞりながら、僕は人生の春を謳歌する。


 ——一歩間違えば冬になる、一歩間違えれば夏になる、破滅と誘惑と隣り合わせの、危険な季節だ。


この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,258件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?