【映画レビュー】『怪物』:どうか光の差すほうへ!
ほとんど予備知識なしで映画を見に行ったのですが、見に行く前に勝手に抱いていたイメージと、映画の内容が全然違いました。もちろん見た後のほうが断然深くて、心に刺さってくるものでした。
良い映画見たときに感じる、ずっとこの世界から離れたくないような、寂しい気持ちになりました。
怪物とは誰なのか、何なのか……、いや、そんなことどうでもよくてただ見続けていたくなります。
怪物はどうでもいいかもしれない
「怪物」というタイトルと、教師と保護者が登場する物語ということだけを知っていたため、モンスター・ペアレントを題材にした人間ドラマだと勝手に思い込んでいた。しかし、実際には、そういう場面は登場はするものの、まったく違うところに焦点を当てた映画だった。やはり映画は見てみなくてはいけないなと痛感した。
では、この映画はどういう映画だったのかというと、なかなか言葉にするのが難しい。
ネタバレになるようなことは、今は書くことができないが、とにかく主人公は、大人たちではなく子どもたちであった。子どもたちというか、二人の子どもである。彼らが二人だけになるとき、周りの現実から切り離されたように、みずみずしい世界が浮かび上がる。それは残酷だけれども、美しかった。それがこの映画のすべてだと言ってもいいほどだ。
怪物が何なのかというのも、ある意味どうでもいいような気もする。
繊細で純粋でみずみずしくて優しい
そして、その子どもの親と担任教師。最初は、モンスターペアレントと事なかれの教師、いや、というより、必死に自分の子どものことを訴える母親と無気力なとんでもないダメ教師と思わせておいて、実はそうではない。これ以上書くとまたネタバレになってしまうが、必死に子どもたちのために頑張っている
けれども、子どもたちの苦しみと純粋さには届かない。そのもどかしさが、画面を通じてひしひしと伝わってくる。大人が頑張れば頑張るほど、子どもたちの苦しみが救いようのないほど遠くにあるように思えてしまう。
それほどまでに、繊細で純粋でみずみずしくて優しい子どもたちの心の動きを、見事に描き出していたのが、本当にすごいと思った。もう画面にくぎ付けになった。
二人の子役が本当にすばらしかったということもあると思う。
他の人には理解できない苦しみを抱えて
それに比べると、主人公のクラスメイトであるいじめっ子を含む子どもたちや、担任教師以外の教員たち、保護者仲間といった、スポットの当たっていない人たちが、なんというか非常に類型化された、深みのない人たちに思えてしまった。彼らにも主人公たちと同じように、それぞれに抱える悩みや苦しみや喜びもあるはずだが、そこはものすごく抑制されている。
その分逆に、主人公たちの繊細な人間性が浮かび上がってくる。他の人からは切り離され、他の人には理解できない苦しみを自分の中に抱えていることが伝わってくる。それが意図された演出なのかどうかはわからないが。
壊されてはいけないと願う
ラストシーンをどう受け止めるか、人によって解釈が分かれると思う。「あれっ、これで終わりか」と感じた人も多いと思う。私もその一人である。映像は光に包まれるが、子どもたちがどうなったのかはわからない。
でも、とにかく子どもたち二人が、映像が見せるまま、光の差すほうに歩いて行ってくれてほしい、そうであってほしいと願わずにはいられなかった。純粋で美しいものは、壊されてはいけないのだと、信じたい。
作り手もきっとそう願って、この映画を作ったのだ……と思いたい。
この映画を見て、何かを書こうと思いましたが、正直なところ、何を書いたらいいのか、どう言葉にしていいのかがわかりませんでした。すごく胸を打ったのですが、何に打たれたのか、どうしてそんな感情が湧いてきたのか、自分の中で漠然としたままで、形になってきていません。
時間がたって、それがまとまった形になってくるようなら、改めて、この映画について書いてみたいなと思っています。そういう映画でした。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?