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【映画レビュー】『セシボン』:失った人、過ぎ去った時はもう取り返せない

 実は、「ビューティー・インサイド」という映画を観て、ハン・ヒョジュの魅力の虜になり、彼女が出ている映画を見たくて探し当てた作品だった。 
 ハン・ヒョジュはやはり美しかった。ヒロイン中のヒロインといっていい。彼女の存在で成り立っている映画だ。でも、それだけの映画ではなかった。 
 大切な人を失うこと、後悔だらけの過去、そして時間は決して元には巻き戻せず、取り返しようがないこと。厳しく切ないものを突き付けられて、涙がボロボロこぼれてきた。


涙腺が緩みっぱなしだった

 1970年代の韓国。音楽喫茶「セシボン」は、若い歌手たちを競わせ、才能あるスターを生み出そうとしている。
 そこで誕生したフォークトリオが、この作品の主人公たちだ。そして彼らの前に現れるのが、ハン・ヒョジュが演じるジョヤンという女性。トリオの3人ともが彼女に惹きつけられアタックするも、彼女が選んだのは3人の中で一番さえない田舎出身のオ・グンテだった。
 二人はしばらく楽しい時間を過ごす。しかし、彼女は最後、女優になる夢をかなえるために、かつて思いを寄せていた演出家からのプロポーズに応え、結婚してしまう。そうして、オ・グンテは無残にも捨てられる。
 捨てられたオ・グンテは姿を消し、フォークトリオは二人となるが、皮肉にもデュオとして大成功を収める。
 ……というストーリーである。ありがちな話かもしれない。しかも、ややコミカルな感じで描かれる。でも私の涙腺は緩みっぱなしだった。

失った人は戻らない

 ジョアンとオ・グンテの二人の関係が中心にあるのだが、厳密に言えば、二人は恋人というところまでは行っていなかった。でも、二人でいればとても楽しくて、気も使わなくていいし、いろんなところにも出かけて、とても楽しかった。それでも彼女は、オ・グンテを捨てた。というか選ばなかった。ここでまず、私の涙腺は崩壊した。彼女は自分を選んでくれなかった。もう二度と彼女と時間を過ごすことはできない……残酷だ。
 しかし、それよりもっと悲しい事実が判明する。ジョアンは、演出家との結婚を選んでしまったが、実は、オ・グンテと過ごした時間が一番楽しかった、あんなに笑ったことはなかったと、ひそかに思っていたことが後で明らかになる。それなのにどうして捨てたのだ? そこに論理的な理由などない。人間というのはそういう理屈で割り切れないものなのだ。
 そんなふうに大事な人を失って、二度と元に戻ることはないのだ。
 ここで私の涙腺は再び崩壊した。今、こうして書いていても切なくなって泣けてくる。
 こんなふうに感情移入してしまうのは、なにより圧倒的にジョアンが魅力的だからだ。ジョアンの屈託のなさ、素直さ、優しさ……ハン・ヒョジュが神々しいほどに輝いている役柄だった。

時間は巻き戻せない

 この映画の、もう一つの軸として、音楽がある。トリオは音楽でつながっていら。良い音楽を追い求めていた。映画の中でたくさんの歌が出てきて、本当に心地よかった。
 しかし、そのトリオの友情も、オ・グンテがジョアンを失ってしまった苦しみで失踪してしまったために崩壊する。そして…
 その後何十年もたった後に再会する。しかしもう時は巻き戻せない。失ってしまった時間は戻らない。若いときに一緒にいられたらどんなだっただろうと想像してしまうが、そんなことはあり得ないから、余計辛くなる。会わないままのほうがよかったのかもしれない。でも、やはり会えてよかったような気もする。いや、どうだろう……わからない。
 実は、作品としては、かなり欠点もあって、若いときと年老いてからの姿が違いすぎて、ギャップを感じてしまう。もしかすると年老いてからの場面はいらなかったのかもしれない。
 それでも何も言わずに、トリオの三人が再会して抱き合うシーンは、理屈抜きにジーンときた。


 ハン・ヒョジュの出演作の中でも、「ビューティー・インサイド」とこの「セシボン」そして、次の「愛を歌う花」が、最も輝いているのではないかと思います。世界で一番美しい人といってもいいです。少なくとも私にとっては。
 でも現実には、ハン・ヒョジュも年老いていきます。それでも一番美しいときがフィルムに焼き付けられ、それはずっとそのままの姿をとどめるのです。なんだか残酷な気もしますが、人間の美しい瞬間と出会えるのも映画の楽しみなのかもしれません。

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