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【映画レビュー】『夜は短し歩けよ乙女』:『四畳半タイムマシンブルース』と比べて

『四畳半タイムマシンブルース』の公開に合わせて上映されていた、同じく森見登美彦原作の2017年の映画である。『四畳半タイムマシンブルース』と似たところもあれば、違う所もあり、ついつい比べたくなってしまう。

黒髪の乙女

 「先輩」なるさえない大学生があこがれて追いかけている「黒髪の乙女」が夜の街で大活躍する一晩の物語である。
 『四畳半タイムマシンブルース』のヒロインである明石さんと、どちらが好きかというような話題もあったようだが、黒髪の乙女は、何よりお酒が強い。飲みっぷりのよい女性は気持ちが良く、惹かれてしまう世の男性は多いのではないだろうか。
 一方、男性に媚びたりせず、凛としてマイペースであるところは、明石さんと共通する。これまた、あこがれの的になる女性像であり、ヒロインとして輝いている。原作者の理想の女性像を反映しているのだろうなあとは思う。

恋のゆくえ

 それから、さえない学生とヒロインの恋がどうなるのかというのも、どちらの作品でも見どころになっている。
 『四畳半』のほうでは、「私」なるさえない男は、明石さんを無意識のうちに気にしているがそれを自認してはいない。だから明石さんを追いかけたりはしない。明石さんのほうも、「私」のことをどう思っているのかということは、映画の中ではほとんど出てこない。最後の最後で、「私」のことが嫌いではないことは明らかになるが、好きなのかどうかというところまでははっきり描かれない。はらはらさせる、洗練された恋の描き方だ。
 一方、『夜は短し』では、「先輩」なる男は、ずっと黒髪の乙女を追いかけている。しかも、綿密な作戦(?)を練って計画的に狙う、ストーカー寸前のような男である。それに対して、黒髪の乙女は、あっさりと「先輩」が好きなのだと自覚する。ここまではっきりしているのも、黒髪の乙女ならではのキャラクターであり、飲みっぷりの良さとも通じる。
 そして、最後も二人はあっさり恋人になることを示唆して終わるわけだが、恋のゆくえという点では、『四畳半』に比べてドキドキ感がなく、あまりそこに重きを置いてはいないのだなということを感じた。

夜は短し

 『夜は短し』では、若い黒髪の乙女に比べて、年をとっている人たちの時計が早く進んでいる場面が何度も出てくる。若いっていいな、でも、ぼやぼやしているとすぐに年老いてしまうよ、時間はあっという間に過ぎていくから今をできるだけ精一杯生きなさいと、いうような、ちょっと訓示的な内容を含んでいたりする。映画の中でも出てくる「命短し恋せよ乙女」は黒澤明監督の『生きる』でもテーマソング的に使われていた。
 「若い時にもっといろいろやっておけばよかったなあ」と思う今日この頃である私には、この部分がかなりずっしり来た。
 『四畳半』のほうは青春真っただ中の映画になっていると思うが、それに比べて『夜は短し』は、どちらかというと青春讃歌になっているように思えた。

ご都合主義

 『四畳半』のほうは、緻密なストーリー構成によって、ばらばらに思えてた話が最後に見事にまとまっていく。そこが面白い。
 一方、『夜は短し』のほうは、いろんな出来事が次々と、それこそ「これもご縁」という感じで連ねられていき、最後まで、そこにあまり一貫性はない。映画の中でも「ご都合主義万歳」というようなことが言われるが、まさにご都合主義讃歌になっている。もちろんあえてそうしているのである。それはそれで、『四畳半』とは違ったおもしろさがある。実は、映画を2回見たのだが、2回目のほうがおもしろさがぐんと増したのも、そのせいかもしれない。
 というわけで、さまざまな場面が登場し、それぞれ印象的なのであるが、私は、学園事務局長とパンツ番長のシーンが好きだ。パンツ番長が思いを寄せていた女性は、実は女装していた学園事務局長だったことを知ったとき、パンツ番長も学園事務局長も「それならそれでいい」となってしまう、あのシーンである。それまで、個々のシーンは面白いものの、つながりがあまりなく淡々とつながってきた映画が、ここだけは一気に盛り上がったように感じた。


 この映画を見たのは、映画の舞台ともなっている京都市左京区の映画館でした。映画館の近くの場所が登場してきたりして、ライブ感のようなものがあって楽しめまし。映画の地元で映画を見るのはおもしろさを増す、一つの楽しみ方方もしれません。

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