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【映画レビュー】『愛がなんだ』:「好き」の度合いはいつも不均等だから…

 恋愛ってぶざまだな、かっこ悪いな、つくづくそう思う。もちろんそうでない幸せな瞬間もある。それがあるから、みんな恋や愛の囚われの身になり、人生のかなりのエネルギーを費やすことになるのだろう。
 けれども、恋愛って、たいていの期間は、思いが通じなくて悶々としていたり、嫉妬にかられていたり、時にはフラれて絶望の淵に落ちていたりする、苦しいものではないか。
 その大きな要因は、お互いの好き度が違うことじゃないかなと思う。この映画を観て、改めてそう痛感させられた。まさに「痛い感じ」。

「好き」な気持ちは理屈ではどうしようもない

 自分が好きになっている相手は、自分が相手のことを思っているほど、自分のことを好きでないことがわかっている。そういうことってある。どうして自分がこんなに思っているのに受け止めてくれないのか、応えてくれないのかと、相手を責めてしまいたくもなる。
 しかし、当然ながら、それは相手の自由であるし、ましてや「好き」とか「愛」とかいうのは、気持ちの問題であるから、変えようがない。約束とか契約とかであるなら、それはおかしいでしょと言えるのだろうが、気持ちは論理や力で制御できないものなのだ。
 「好きな気持ちが湧かないからしょうがない」と言われればそれまでである。

目をそむけたくなる「愛の苦しみ」

 そんな状況に陥ると、自分が惨めになる。そして、「どうしようもないことを考えてもしょうがないじゃないか」と、頭ではわかる。しかし、理性で好きな気持ちを消すことなどできない。いや、むしろ、そういう貶められた状態になると、好きな気持ちが燃え上がってしまうかもしれない。人間とは矛盾を抱えた哀しい生き物だ。
 多くの人が経験したことのあるであろう、この「愛の苦しみ」を、こんなにリアルにわかりやすく目の前に見せてくれた映画は、これまでなかった。
 主人公のテルコは、マモルに思いを寄せるが、マモルはそれに応えてくれない。それでもマモルにしがみついてしまうテルコの姿は、見ていて痛くなるし、哀しくなるし、つらくなった。目をそむけたくなるくらいだ。けれども、まさに画面の中に自分がいるような気がして、目が離せなかった。

他人と自分の思いの強さが一致しないのは当然なのだが

 冷静に考えれば、他人同士である二人の思いが、見事に一致することなど、ありえない。ものすごい低確率のはずだ。どちらかの思いが強くて、相手の思いがそれより弱いことは自然なのである。人間の気持ちを計測器のように制御することなどできないのだから。
 それでも必死に、あの手この手を使い、お互いの思いを高め合ったり、確認し合ったりして、恋人たちは二人の関係をつなぎとめているのであろう。実際は均等でない思いの強さを、疑似的に均等だと思い込ませて、釣り合いを保っているのであろう。相思相愛という形であるように取り繕っているのであろう。
 それは、恋人でなくても、友人でも同じかもしれない。「友達のことをこんなに私は考えているのに、向こうはそうでもない」……。自分の思いと相手の反応が見合っていないと感じることは、しょっちゅうあるのではないか(それが家族となると、ちょっと当てはまらないような気がするが、今回はそれには触れないでおく)。

苦しみから抜け出すために 

 さらに、思いを寄せる相手が、自分のことを思ってくれないだけでなく、ほかの人に気を惹かれているのを見るのは、最悪に惨めである。思いのベクトルが、「自分→相手→別の人」になっている状態は、超残酷な状況である。
 そうなったときに、好きだとか愛だとかそんなことを相手に求めたら、自分が崩壊してしまう。耐えきれない。
 この映画で、テルコはそんな状況に陥った。そこで彼女がとった行動は、相手に惹かれることはやめないけれども、自分の気持ちを相手にぶつけることもしないというものだった。
 そのためには、自分のことを好きになってほしい気持ちをあきらめ、封じ込める必要がある。その代わりに、テルコは、とにかく相手の近くにいられることを目指すという極めて実用的な戦略をとった。愛とか恋を成就なんてしなくていい、ただ、時々会えれば、離れないでいられれば……。
 好きな気持ちを捨てられなかったから、タイトルのとおり「愛がなんだ」と思わなくては、生きていけなかったのだと思う。それは具体的にどんな行動だったかは、映画を観てほしいが、やりきれないほど切なくて、残酷である。

絶望のセリフ

 一方、同じ境遇に陥ったナカハラ君は、テルコとは違う選択肢をとった。このまま相手に思ってもらえないままでは辛すぎる。辛すぎるくらいなら、いっそ近くにいない方がいい、という道を選んだ。その結果がどうなるかも映画を観てほしいが、テルコとナカハラの行動のどちらがいいとか悪いとかではまったくない。現実で、どちらがうまくいくかもわからない。
 ただ、どうして恋愛のベクトルは同じ長さにはならないのであろうかと、恨めしく思うばかりであった。
 ナカハラの「幸せになりたいっす」というセリフが、胸に残る。おそらく、同じ境遇に陥ったことがある人なら、強く共感できる「絶望」のセリフである。


 テルコが思いを寄せるマモルの側から観てみても、この映画は面白いような気がしました。最初はひどい男かもと思いましたが、だんだん、そうでもない気がしてきました。彼の思いは一貫しているし、彼もまた同じように苦しんでいることがわかってきました。だから、この映画が類型的な浅いものにならなかったのではないでしょうか。
 それにしても、それぞれの役を演じる俳優さんたちが、すごくぴったりで、本当の出来事を見ているようでした。


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