水原

子育て、保育、教育、性、性教育、ジェンダー、フェミニズム、政治などをテーマに、感じたこ…

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子育て、保育、教育、性、性教育、ジェンダー、フェミニズム、政治などをテーマに、感じたことを綴ります。まじめな話と、くだらない話。

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子どもと関わる仕事をなおざりにされてきたことについて

私は今、放課後児童クラブ(いわゆる学童クラブ)が併設された児童館に、保育士として勤めている。 具体的な仕事内容や施設の機能、子どもたちと関わる上で感じること等については別の機会に書きたいと思っているので、今回は割愛することにする。 子どもはかわいい。 それは間違いないし、私自身そう感じているけれど。 けれども。 いろんな子どもがいて、好きだなあと思う子もいればそうでないと感じる瞬間もある。 本当に楽しい瞬間、嬉しい瞬間もあれど、本当に難しい場面もたくさんある。 自分の思

    • 児童館ってどんなところ?---おもしろさとその役割について---

      こんにちは、水原です。 ここ最近、保育や児童館の仕事に興味を持っている方が読んだら「やっぱりやめようかな!?」と思ってしまいかねない、ネガティヴなことばかり書いているような気がするのですが・・・。 児童館という施設が子どもにとってなくてはならない居場所であることは、私自身仕事を始めて以来ずっと強く感じており、それと同時に、この仕事の楽しさを誰かに伝えたい、という気持ちも抱えてきました。 今回は、児童館での子どもたちの様子や指導員の仕事の楽しさについて、具体的にお伝えでき

      • 保育士の離職理由No.1が“人間関係”であるわけ

        こんにちは、水原です。 ハードすぎる夏休みを終えてから、あっという間に1か月も経ってしまいました。 今日は、保育士の離職理由について。 保育士の離職率が高いことは今に始まったことではないですが、離職理由のTOP3は、 ①給料 ②労働条件 ③人間関係 と言われています。 保育の仕事を続けるか否か、悩みながら過ごしている方も非常に多いと思います。 ①の給与面はもちろんのこと(いい加減労働量と労働内容に見合う適正な給与水準に底上げしてほしい)、②の労働条件に関しても、休憩が

        • 夏休みは、ほぼ戦争。 ---児童館の日常1---

          こんにちは、水原です。 今日は、児童館の日常について少しだけ書きたいと思います。 日常とはいっても、今は夏休み。 ちょうどお盆休みですが、子どもたちは変わりなく児童館に遊びに来ます。 今年は特にコロナの影響でどこにも行けない子どもたちも多く、気分転換や発散の場が持てない子どもも多い印象。 わかるよ、わかるー。 友達ともマスクを外して思いっきり遊べない、家族としか一緒にごはんを食べられない、どこにも遊びに行けない、気持ちが切り替えられない毎日。わかるよー。。。 それもあっ

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        子どもと関わる仕事をなおざりにされてきたことについて

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          “人のものを大切にする”ことの大切さ

          先日、工作をして遊んでいた小学4年生の女の子(Sさん)から定規を貸してほしいと言われて、貸した時のこと。 その日はその部屋だけでなく他の部屋の対応も流動的にしており、部屋を離れることも多々あったのだけど、ようやく戻ってこれた時に、私が作業をしていた机に、貸した定規と一緒にメモが置いてあるのに気がついた。 「じょうぎかえします。ありがとうございます。」 なんというか、ひどく心を動かされた。 いや、人からものを借りた時の対応としては当然のことと言われればその通りなんだけど。

          “人のものを大切にする”ことの大切さ

          性について話すことがとてつもなく恥ずかしかった頃の自分はもう、いない。

          私は数年前まで、性にまつわる話をするのが、とにかく恥ずかしくてたまらなかった。 仲のいい友人とも、オープンに話すことはほとんどなかったし、“そういう話”をすることに対してかなりの抵抗があった。元々、“そういう話”を一切しない両親に育てられたこともあり、両親に自分の恋愛話をすることさえ、恥ずかしくてできなかった。 また、性被害も数は少ないながらも受けてきており、性に対するネガティブなイメージや、性の話はしてはいけないもの、という認識をずっと持っていたのだと思う。 それがそも

          性について話すことがとてつもなく恥ずかしかった頃の自分はもう、いない。

          泣きながら、嫌々アスレチックに登った話

          保育を学んで以来、たくさんの子どもと関わる中で、改めてあの時の自分はどうだったとか、そんなふうに振り返ることがある。 今日の話は、アスレチックに初めて登った日について。 小学校中高学年くらいだっただろうか、放課後に友達数人と小学校の校庭で遊んでいた時のこと。 大きなアスレチックがあったのだが、私は高いところが苦手で、他のみんなが楽しそうに登っている中、途中までは試みるもののやっぱり怖くて、私一人だけ登ることが出来ないでいた。 そこで、友達みんなに囲まれ、こんなことを言わ

          泣きながら、嫌々アスレチックに登った話

          “かわいい“とルッキズムと、嫌悪感

          学生時代に所属していたサークルに、一つの文化があった。 “誰かをディスる(馬鹿にする、侮辱する)ことでネタを生み出し、マウントを取る“という文化。 これに関して今思うことは、ただただ下品である、ということ。こういった行動は相手ではなく自分の価値を下げる行為に他ならないと今となってはわかるものの、当時の私たちにとってはこれが日常であり、コミュニケーショの一つの手段だと思い込んでいた。もちろんそれについて何も思わなかったわけでもないし、嫌な思いはたくさんしてきたのだけれど、こ

          “かわいい“とルッキズムと、嫌悪感

          「『ほとんどない』ことにされている側から見た社会の話を。」を読んで気づいた、女性の生きづらさについて

          数億年ぶりに本一冊を読み終えた。 小学生の頃は本が大好きだった。図書館で一度に借りられる限度の10冊を借りて持ち帰っては、読書に明け暮れていた。 しかし、学生時代を終えてからめっきり読書というものと向き合うことができなくなっていた。読みたいと思う本は溜まっていく一方で、何を読もうとしても、1冊たりとも読み終えることができない自分に、心底うんざりしていた。 読書が趣味の友人にその悩みを打ち明けたところ、「本当は読みたくないんじゃない?」と言われた。その通りだと思った。忙し

          「『ほとんどない』ことにされている側から見た社会の話を。」を読んで気づいた、女性の生きづらさについて