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バレンタインから思い出す自己肯定感

一昨日は2月14日バレンタインデー。
この日に向けた女子の葛藤と努力は
自己肯定感と密接な関係にあるはず。

よし!
昔の話を思い出してみよう。



初めてチョコを渡したのは小1。
買ったチョコを彼の家に1人で持って行った。

ピンポンを押して
「○○くんにチョコレートを持ってきました」と言ったら
お母さんが「はーい」と玄関に入れてくれた。

彼は遊びに出ていなかったからお母さんに渡した。

翌日から
学校で彼との関係が何か変わったかというと特に何も。
ホワイトデーにお返しをもらったかどうかも覚えていない。

私からのチョコレートか分かるようちゃんと名前を書いただろうか。
手紙はつけなかった記憶だ。
ピンポンやお母さんとの会話の中で名乗ったのだろうか。
さっぱり覚えていない。怪しいぞ。



2年生になってクラス替えがあり
毎日楽しく過ごしていく中で好きな人は変わった。

こんな感じで小学生の頃は
同じクラスの中で運動ができて
一緒に遊んでいて楽しい男の子を好きになっていた。
クラス替えで離れると新しいクラスの中で好きな子ができた。

チョコは毎年渡していた。
小4からは手作りもした。
テンパリングして型に入れて固め直すだけだが
自分にできる範囲の一生懸命さで作った。


高学年にもなると
男の子もホワイトデーを意識するようになり
ホワイトデーにお返しを持ってきてくれる。
(母親がもらったんだったら返さなきゃねという言うのか)
(おそらく言うだろう。私も数年先に言ってそうだ)

お返しの中身が
クッキーだったらこういう意味
チョコレートだったらこういう意味
というのがあり女子でキャーキャー騒いでいた。

結局
小学生の私は誰とも両思いになれなかった。
でもフラれもしなかった。
学校では普通に話すし一緒に遊んでいた。



中学高校のバレンタインも似たようなものだった。

・どんなチョコを作るかレシピ本を見て考える
・チョコを大量に買う
・ちょっとしたプレゼントを選ぶ
・メッセージカードを選ぶ
・ラッピングの箱や袋を選ぶ

当時の手作りチョコ売場には人がたくさんいて
メッセージカードやラッピングを真剣に選んで人酔いした。
あまりの人の多さにヘトヘトになるが
これに決めた!と心定まるまで選び抜くしか道はなかった。
自分に作れる最高クオリティのチョコと
ベストと思えるプレゼントに出会うまで必死だった。

放課後に2人で会えるよう教室に呼び出し
少しばかり話してチョコとプレゼントを渡した。
ホワイトデーにはお返しをもらった。

中高でも私は一度も両思いになれなかった。
そしてフラれもしなかった。
いや一度「ごめん」と言われた。
受け取ってはもらえたが他に好きな人がいるからと。

その時は泣いたし友達になぐさめてもらった。
あきらめようと努力したがあきらめられず
好きな気持ちをなくすことができず
両思いになれなくても好きでいることにした。

そして翌年のバレンタインも同じ相手にチョコを渡し
ホワイトデーはお返しをもらった。
その年は「ごめん」と言われなかった。



学生時代のバレンタインは
まったくもってハッピーバレンタインでない。
笑ってしまう。
だがどれも楽しく微笑ましい思い出だ。

中学で「ごめん」と言われた時は悲しかったが
私自身をダメとは思わなかった。
私がその子を好きなように
その子だって好きな女の子がいて当然だ。
それが私でなかっただけの話。残念ではあるが。

バレンタインから見えるのは
一生懸命だった私の姿。
それぞれの男の子を当時の精一杯で好きだったし
バレンタインはそれを表現する機会だった。

バレンタインからは
自己肯定感が低い要素を感じなかった。
1つ確認が終わった。



※最後に一つ書いておきたい

バレンタインは
私にとって楽しく懐かしい話だが
相手の男の子たちにとってはどうだったろうか。
嫌な想い出になっていたら、、申し訳ないと思う。

私は20年前に地元を出て戻る予定がない。
もう彼らと会ったり話すことはないだろうし
仮に会ったとしてもこちらから聞くことはない。
彼らの近況も入ってこない。

かっこよかった彼らも今は40代。
どんな風に歳をとってどんな生活をしているのだろう。
それぞれ元気にいてくれたら嬉しく思う。



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