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国立国会図書館デジタルコレクションで読める藤澤清造作品


はじめに

 2022年に心疾患で突然この世を去ってしまった作家、西村賢太。

 私は近代文学、中でも第二次世界大戦前後の作家や作品ばかりを読んでいてあまり現代の作家には詳しくないのだが、西村賢太は好きで読んでいた。

 西村賢太を知ったのは「苦役列車」が芥川賞をとった時の報道で、受賞の報が来るのを待っている間のことを聞かれたのに「そろそろ風俗に行こうかと思っていた」と応えたのを見て、おもしろい人だなと思った。しかしすぐにその「苦役列車」を買って読むことはなかった。自分でもなぜだかわからないが、それくらい現代の小説を読むことには高いハードルがあるのだ。

 初めて買ったのは文春文庫の『小銭をかぞえる』だったと思う。帯文を町田康が書いていて、「激烈におもしろい。」というそのシンプルな推薦文に惹かれた。また町田康というのも私が読む数少ない現代作家の一人だった。ミュージシャンとしての活動を追っていくうちに小説も読むようになったのだ。

 それで読んだ「小銭をかぞえる」がおもしろかった。主人公貫太の下品で愚かな行動や言動に笑っているうちに、やがて悲惨な結末に向けて、ブレーキの壊れたトロッコのように突き進んでいくのを胃が痛くなるような気持ちで見つめ続けることになる。貫太の愚かさは露悪的に誇張されているが、貫太の考えていることが全く理解できないかというとそんなことはない。大なり小なり貫太のようなことを考えることがある自分が居て、その考えが行き着く先は必ず悲惨な結末だということがわかっているので、自分が追い詰められていくような苦しさを感じるのだ。

 それから西村賢太の文庫本を買って読むようになった。なぜ文庫本かというと私は居酒屋や交通機関で本を読むことが多いので、持ち運びに便利な文庫本を選びがちなのだ。そして西村賢太の小説は毎回おもしろかった。様式美のように毎回同じような流れで同じような結末を迎えるのだが、はじめは馬鹿馬鹿しさに笑ってやがて胸が苦しくなるという感情の揺れは、西村賢太の小説でしか味わえないものだった。何より、近代文学からの伝統的な私小説と現代的な娯楽性が奇跡的な結びつきを見せているあの文体に一度読んだら抜け出せない中毒性があった。

 そして話はようやく本題に入るのだが、西村賢太の小説を読んでいくうちに、彼が小説を書くことになったきっかけであり没後弟子を自称して私淑している大正時代の作家、藤澤清造を知った。

 藤澤清造は明治22年(1889年)に石川県で生まれた作家で、初めは劇作家を目指していたのだろうか、演劇関係の雑誌社で記者をするなどしていたのが1922年4月に刊行した長篇小説「根津権現裏」で文壇に登場する。この辺りの経緯は織田作之助に似ているが、織田作と違うのは、藤澤清造はその後の評価があまり芳しくなかった。そのため貧困と、従前から持っていた右脚の骨髄炎に悩み、ついには梅毒から脳疾患になって深夜徘徊をしたのか1932年1月29日早朝、芝区芝公園内の六角堂内で凍死体となっているところを発見された。

 作家以前の日雇い労働で日々をしのいでいた西村賢太は、酒を飲んでの暴力事件で逮捕されたのちに藤澤清造の「根津権現裏」を読み、その作品と境遇に他人とは思えないものを感じたという。それから西村賢太は藤澤清造を師と仰ぎ、月命日の掃苔と、毎年の清造忌への出席を欠かさず行った。さらには藤澤清造の墓を新造すると聞けば古くなった木製の墓標を頼み込んで譲り受け、ガラスケースに入れて自室に据えた。並の執着ではない。

 そして西村賢太は没後弟子としての最大の祈願である、藤澤清造全集の刊行を目指すべく自筆原稿や掲載誌を集めていた。「苦役列車」で芥川賞をとったことで一躍有名になったのちは「こんなチャンスは二度とない」とばかりに出版社に藤澤清造作品の復刊を提案した。そして西村賢太が自ら校訂した原稿を提供して、新潮文庫から藤澤清造の代表作である「根津権現裏」と短編集が、角川文庫から「根津権現裏」と短編集が、講談社文芸文庫から短編集と随筆集が刊行された。

 現在私たちが読むことができる藤澤清造作品は基本的にそれらの文庫本に収められたものだけなのだが、大正時代の作家ともなれば著作権は既に切れているはず。ということは掲載誌が国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている可能性が高いのではないかと思い至った。そうして実際に調べてみると、数は多くないが小説や随筆の掲載誌、そして単独で刊行した「根津権現裏」も公開されていることがわかった。

 そういうことなので、ご自分で「藤澤清造」と検索してみてくださいねと言ってしまってもいいのだが、親切ついでに各作品へのリンクと掲載誌の情報を下にまとめた。印刷もできるので、当時の印字や紙の質感と一緒に藤澤清造作品に触れてみてほしい。きっと西村賢太作品の味わいも深くなることだろう。

国立国会図書館デジタルコレクションで読める藤澤清造作品

根津権現裏

 日本図書出版より大正11年(1922年)に刊行された長篇小説で、藤澤清造の代表作。

 聚芳閣文芸部より大正15年(1926年)に刊行されたもの。

春風往來

 大正13年(1924年)4月に高陽社より刊行された文芸春秋社編『創作春秋』に収録された短篇小説。現在は講談社文芸文庫『狼の吐息/愛憎一念 藤澤清造 負の小説集』で読むことができる。

帝劇萬歳

 大正14年(1925年)10月に国際情報社より刊行された『劇と映画 第三巻第十号』に収録された随筆。

芝居人形箱

 大正15年(1926年)3月にプラトン社より刊行された『演劇・映画 三月號』に収録された随筆。

築地小劇場のこと

 プラトン社より刊行された出版年月不明の『演劇・映画 三月號』に収録された随筆。現在は講談社文芸文庫『根津権現裏より 藤澤清造随筆集』で読むことができる。

拾錢銀貨のひかり

 昭和5年(1929年)9月に文芸風俗社より刊行された『文芸風俗 第二巻第九號』に収録された短篇小説。

郊外風景

 昭和5年(1930年)5月に大雄閣より刊行された『現代仏教 第七巻第七三號』に収録された随筆。

電燈に集る思ひ

 昭和5年(1930年)9月に東京芝浦電気より刊行された『マツダ新報 第十七巻第九號』に収録された随筆。

明方の電氣

 昭和6年(1931年)7月に東京芝浦電気より刊行された『マツダ新報 第十八巻第七號』に収録された随筆。

土産物の九官鳥

 昭和7年(1932年)5月に東京芝浦電気より刊行された『マツダ新報 第十九巻第五號』に収録された短篇小説。現在は講談社文芸文庫『狼の吐息/愛憎一念 藤澤清造 負の小説集』で読むことができる。

此處にも皮肉がある 或いは「魂冷ゆる談話」

 昭和7年(1932年)に改造社より刊行された文芸家協会編『文芸年間一九三二年版』に収録された短篇小説。現在は講談社文芸文庫『狼の吐息/愛憎一念 藤澤清造 負の小説集』で読むことができる。


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