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日記 等

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夢20220404

あまりに苦しい夢を見た。母の夢である。

脚を悪くしてヨタヨタ歩く母を、私はどこか疎んで避けている。母が私を愛しており、私が逃げてしまうことで孤独を抱いているのはわかっているが、遠くから歩いてくる姿が見えるたび、忙しい、と言って逃げてしまう。

母は、医師の勧めで、脚を全て鉄にする。鉄だから、鍛えるほどに強くなる。さらに、膝にはウランを埋め込んだという。リハビリのため、今まで以上に歩き回る母は、私

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心中未遂

どうやら、隣人が、彼のアパートのドアの前で、生死の境を彷徨っている。呻き。ベチャベチャと体液混じりの嗚咽、嘔吐。どういうことか。とりあえず、隣人は、執着や不信や、その他様々な感情の具現たる暴力を、目一杯に体に受けて、そうしてアパートの前で倒れているらしい。僕はどうしたらいいかーーーぼんやり、考えてみる。どうしようもない。僕は僕で、死について考えていた。腕を切ったり爪を噛んだり薬を飲んだりする代わり

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ハイアンドロー、キックエンドラン

なぜ人間はドラッグとかアルコールとかを摂取して「ハイ」になろうとするのか、ということを頻繁に考えていた時代があります。かつての雑考を思い出したので文章化しました。以下、思考の吐瀉です。

人間の精神安定には「ロー」と「ハイ」が必要で、「ロー」だけだと狂うので、正常であり続けるために「ハイ」を求めます。芸術鑑賞とかスポーツとか(残業とか…)は「ハイ」状態です。何も服用せずともハイにはなれますが、より

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いろがみと祖母

いろがみと祖母

今年大晦日、正月と実家に帰った際のこと。

祖母、JAのカレンダーと鋏を持ってきて曰く、年明けのディケアで折り紙をするというが、自分は子供時代は戦時中、学校では農作業、娘時代は挺身隊、嫁いでからもいろ紙なんて触ったこともない、ディケアの皆も、学校の先生をしていた人はやったことあるという人もいるけど皆んなほとんどやったことがない、何にも折れないと笑っていたが、皆が職員さんに一から全部教えてもらうんじ

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20161012

20161012

理由のない気分の塞ぎの理由を考えて気分が塞ぐ。何にでも理由を欲しがるのが弱く悲しきヒトのサガ、とかいう常套句に乗っかったみたいだけど、多分生理前だからじゃないかな、と至極乱暴に子宮のせいにしてみる。いつも子宮は悪者である。女は子宮でモノを考える、という言葉があるが、アレは極端な物言いが逆にギャグ、みたいなものなのだろうと思っていたけれど案外その言説を真とする人は多いみたいで驚く。私は周りとおんなじ

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20160919

20160919

http://www.dialoginthedark.com/

同僚と共にダイアログ・イン・ザ・ダークに参加してきた。ダイアログ・イン・ザ・ダークとは、ドイツの哲学博士の発案による、「暗闇のソーシャルエンターテイメント」である。内容としては、視覚障害を持つ方にアテンドされながら、白杖を使いながら、見知らぬ方々と複数人のグループを組み、共に暗闇で活動する、というような試みである。

このソーシャル

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20160711

20160711

僕はスモーカーではないけれど、スモーカーの傍に居て、彼らの吐き出す微かな煙を浴びるのが好きだ。ひとりでカフェに入る時はわざと喫煙席に座る。喫煙所だと、一服する以外の目的の人間は完全に余所者なので堂々と立ち入り難いけれども、喫煙席ならば何か食べたり飲んだりしていればそこに居てもまあ許される、と思っている。ハンチングを被ったおじいちゃん、サイケデリックな柄のワンピースのおばちゃん、日経新聞を拡げるおじ

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20160703

20160703

私を取り巻く外的世界が青を謳歌している。

白いスカートをぬるい風に游がせて、肌に張り付く熱に充ちた空間をかき混ぜるよう駆け抜けていく少女たち。
間抜けに伸びた茎の頂き、狂う程黄色い円の真ん中に、宇宙の如き大口をぽかんと開いている向日葵。
頭上に広がる空の果て無さ、蜃気楼の如き雲の広がり。
世間はせわしなく祭りの支度。
身体の内部を通る管の渇き、くらくらとまばゆく揺らぐ私の視界。

夏!

20160516

20160516

歩道橋から身を乗り出して、灰色の道路、車の往来、遥か向こうでやんわり明らむ夕焼けを眺め、世界はたくさんの物で溢れているのに、ここは果てしなくがらんどうだな、と思う。しかし何も無い様な空間だって、空気だったり時間だったりが常に流れて、充満していて、何処も彼処も存在は密。常におしくらまんじゅうをしている。四方八方、虚無感であり圧迫感、何処にも逃げ場なんてない。

流れ流れて押し潰されて、カラカラに

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20160211

20160211

立春過ぎて、暦の上では春だけれどもやっぱりまだ日は寒くって、外出すると太ももからつま先まで感覚がないほどにすっかり冷えきってしまう。

死んだような足と気持ちで帰宅すると、即座にこたつに入って足を解凍しないといけない。こたつに入って暫くして、やっと自分の足が「冷えている」という感覚が生じる。冷え切っていない足の付け根と、冷え切ってしまった太ももの冷たい部との境目が生々しくわかってくる。

それから

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20151020

20151020

最近、仕事を終えて職場の玄関を出ると、ちょうど目の前でお月さまが出迎えてくれている。さきおとついは鋭利な上弦の月、おとつい、きのうとだんだん膨らんでいっていて、今日はほとんど半月である。

私の頭にはいつもねこが乗っていて、お月さまの出ている夜には、ねこがお月さまに向かって何やらおしゃべりをするのを、何もわからずにただ聞きながら、たまに頭のねこを撫でながら、私は歩いて帰るのだ。

しかし今日はどう

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20151012

20151012

悶々と、鬱々と、湿っぽい土曜、日曜が過ぎて、月曜の朝。祝日。はやくに目が覚めて、思い立ち、東京に出ようと思う。

目白の駅まで電車。かつての新宿系自作自演屋を聴きながら、日の丸の町を歩く。前を歩く子がどんぐりを拾い、つられて私も拾う。

永青文庫へ辿り着く。春画の展示をやっている。早くから、長い列。年齢確認をされ、やっと中。大混雑。大勢の老若男女ら、狭い建物の中、ひしめいて、真面目な顔で、春画を眺

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20150911

20150911

会議中、窓からカナブンが入ってきた。

小さいカナブン程度ならば、私はそこまで苦手とはしない。私はGやGを彷彿とさせるような形態や動きをする大きい虫、毒のある蜂などの虫は苦手だ。しかし尺取り虫やら毒のない虫やら比較的小さめの羽虫などが部屋に紛れ込んだとしても、普段ならば比較的落ち着いて虫を外に逃がしてやれる。

しかしその時は会議という場で、立ちあがり虫を逃がそうとすることもできず、いわば椅子に縛

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これが私の吐瀉物だ

 何かを無性に書きたいけれどしかし何も書くことが無いという時がある、ということを知人が書いていた。身に覚えのある感覚。何も書くことがないけれど何かを書きたい、書かねばいられない、そういう何かに急き立てられる時がある。吐き気はあるのに胃の中が空っぽの時のような、気持ちの悪さ、もどかしさ。「気持ちの悪さ」とか「もどかしさ」とか述語付けることでその何かがどういうものか何となく書くことも出来ているのだけれ

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