【短編】片羽片目

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海の向こうはどうなっているだろう。

今日は天気も良く、海は穏やか。塔の上の部屋からは、海と空が見えるばかり。

海の向こうから来る先生に話をたくさん聞かせてもらっているけど、聞くと見るとではぜったいに違うと思う。

海の向こうにはこの小さな島と同じ陸があって、それはとても広大らしい。そこには人々がたくさんいて、にぎやからしい。

はぁ……、どんなところなんだろう。行ってみたいな。

「お嬢さま。検診のお時間です」

「はーい。通して」

先生を乗せた船がさっきこの島に到着したのが見えていた。

「失礼します、お嬢さま」

「どうぞ」

窓の外を見ていた私は、背もたれのないイスの上を回転して部屋の中に体を向けた。

「あれから気分はいかがでしょうか」

メガネをかけて白髪まじりの背中の丸い白衣姿のおじいちゃん先生だ。

「いかがもなにも変わりないわ。退屈な日々のくりかえし」

いつものやりとりだ。

「さようでなによりです。お元気なんですね」

よくそれで健康状態が測れたものだ。でも、私の体に悪いところはない。先生の言うとおりいたって私は元気だ。

「今日はいつもより到着が少し早かったようだけど?」

「よくおわかりになりましたね」

「えぇ。ずっと海を見ていたから」

「さようで……」

「どうせ、この島にいたら、空と海くらいしか見るものがないから……」

あとは島を出る試みくらいか。

先生は立ったまま私を見て、それに対してなにも言わなかった。

「羽の調子はどうですか?」

話を切りかえるように先生が言った。

「先月となにも」

「少し見せてもらっても」

「えぇ」

私は先生に背を向けた。

「少し触りますよ」

「えぇ」

これもいつもの触診。私が小さい頃から先生は、私の折れた片方の羽を診てくれている。

もう完全には治らないらしい。

正常な羽を開けば、両腕を広げたくらいの幅になる。もちろん自由に動かせる。羽ばたかせることだって。

ただ、折れた羽は成長が止まってしまって、小さなまま。まるで子供天使のような羽。

「伸ばしますね」

「うっ! くっ……」

ゆっくりとこり固まった細い筋肉が引き伸ばされていく。

「普段からちゃんと伸ばす運動をしてくださいと、言ってますのに」

「伸ばしたところで、使い物にならないし」

そう。飛ぼうと思っても、バランス悪く、浮き上がることさえできない。両方の羽で飛ぶことができたら、孤島の城から飛んで行ってやるのに。

そして、海の向こうの世界を見に行くのに。

「それでも、あなたの羽なのですよ」

いわゆるストレッチをするように、くりかえし羽を開き伸ばされた。

「はい、終わりです。ちゃんと1日に1回は伸ばしてください」

「はいはい……」

毎回羽を伸ばすためだけに、来なくてもいいのに。

いつもそう強く言いたい気持ちになっていたけど、ここ1年くらい言えずにいる。

アレ?

いつもなら、「また来月来るから」って言うのに、今日は言わなかった。

ただ言い忘れただけなのかも。もうおじいちゃんだし。

「で、今日は海の向こうのどんなお話を持ってきてくれたの?」

検診のあとの先生の話を聞くのが楽しみになっていた。

私はふたたび体を回転させて、先生と向き合った。

「今日はですね、巨大な鳥と出会ったお話です」

「それは先生が?」

「そう私がです」

先生は窓際に立って言った。

「ふーん。それで巨大な鳥って、どのくらい巨大なの?」

「人が一人、いや二人は乗れるくらい大きかったです」

「えっ、先生はどこでそんな鳥と出会ったの?」

「それは、海の向こうにある森で」

「森……。そんな巨大な鳥が住める森があるの?」

「あります。私が見たんですから」

森って木がたくさん並んでいるところでしょ?

巨大な鳥が住めるというくらいなら、1本1本の木はすごく大きいってこと?

先生はチラッと私を見て、窓の外に顔を向けてつづけた。

「木にもさまざまあって、当然、森にもいろいろあります。まだ発見されていない動物やナニカも森にはいるでしょう。あぁ、海にもね」

「先生がまだ知らないこともあるんだ」

「当然です。世界中を歩き回っても、すべてを把握するなんてことは到底できません。むしろ、知らないことのほうが多いでしょう」

「いいなぁ。私もそんな海の向こうを見てみたいな」

これは私の口癖になっていた。

淡い希望と実現しないことを悟った言葉。

何度この島を出ようと試みてたか。この城の者たちに見つかってしまう。

先生の船に乗りこもうとしたが、それも失敗。

たとえ夜だろうと、誰かの目が光っている。

「見に行ってみますか?」

先生が顔だけ向けて言った。微笑んでいる。

「えっ?」

ドクンと心臓が強く打った。

先生からそんなことを言われたのは、初めてだった。

「先生が連れてってくれるの?」

思わず立ちあがってしまった。

「先生の船で?」

つづけて聞いた。

「残念ながら、私と一緒ではありません。私がお嬢さまを連れていこうものなら、この城の者に私の首が飛ばされてしまいます」

「じゃぁ、私はどうやって海の向こうに行けるの?」

私はムッとして聞き返した。

「さっきお話しした巨大な鳥を呼ぶのです」

「呼べるの?」

「はい」

「じゃ、早く呼んで!!」

「今は呼べません。ただし——」

「——ただし、なに?」

「お嬢さまのモノが必要です」

こっちを見る先生はいたって真面目だった。

「言っている意味がわからないんだけど」

「つまり、お嬢さまが身につけているモノを頼りに、鳥がお嬢さまのもとにやってきてくれます。私がお嬢さまのモノを巨大な鳥に渡して、ここへ行くよう依頼します」

「本当に来るの?」

私は半信半疑だった。

「確かにお嬢さまには海の向こうのお話をいろいろしてきました。少し大げさにして御伝えたことも実はありました。でも、今回のことは本当です。どうしますか?」

いつもの先生なら、最後にダメだと言う。

連れていくこと、島を出ることもこの城の者たちと同様に。

でも、もしかしたら……。

「それじゃぁ、はい」

羽を一枚抜いて、先生に差し出す。

先生は羽をジッと見つめている。

「もし、海の向こうに行けば、お嬢さまはきっと冷たい目で見られるでしょう。私の話を興味深く思っても、聞くと見るとでは全然違います。

ずっとここにいれば、あなたを面倒見てくれる人がいる。海の向こうはそうじゃない世界ですよ。それでも向こうに行きたいですか?」

「私を脅しているの?」

「そう思ってもらってもかまいません。現実は想像とは違うのです」

なんでここまで話しておいて、また突き戻すようなことを言うの、先生。

「私は海の向こうに行く。絶対!」

もう一度、羽を差し出す。先生の目の前に強く。

「わかりました。では、預かって、巨大な鳥に渡しておきます」

先生は、ジッと私を見つめてから言った。


   * * *


コツン コツン

夜中、窓ガラスが鳴る音で目が覚めた。

なに?

おそるおそる窓に近づいてみる。

窓の外は、真っ暗な海と星空が広がっている。

気のせいか。

バサッと上から真っ黒な塊が現れた。

ヒャッと、背筋が緊張した。

それがコツコツと、窓ガラスを突っつく。

「もしかして?」

ゆっくりと窓に近づいて開けた。

バサッ、バサッと大きな羽を広げた巨大な鳥だった。

「あ!」

くちばしには、私の羽がくわえられていた。

「先生に言われて、来てくれたの?」

鳥は片目を閉じた。

私には、そうだと言っているように思えた。

鳥は片目しかない。もう片方の目のあった場所には傷があった。

その姿は片羽の私のようにも思えた。その鳥は羽がしっかり両方あるけど、片方の目を失っている。それでも、私をここまで迎えに来てくれたことに勇気をもらった。

クワァ

鳥が口を開けて鳴いた。

私の羽がゆらゆら落ちていく。

鳥は背を向けて、高さを保つように羽を羽ばたかせる。

「乗れって言ってる?」

クワァ

「うん」

私は窓辺に足をかけ、鳥の背中に乗った。

落ちないようにつかまる。羽の羽ばたきで、決して乗り心地がいいわけではない。鳥の背中の筋肉が絶えず動いている。

そして、私が乗るやいなや、鳥は海に向かって飛んでいく。

本当に海の向こうへ行けるんだ。

ふりかえると、暗い海に小さな島と城があった。どんどん小さくなっていく。

風に流される髪は、あの城に向かっているなびいている。

あっという間に、私が住んでいた場所は見えなくなってしまった。

朝日がのぼりはじめると、海の向こうが見えた。

そして、はじめて島ではない別の土の上に降り立った。

「城からここまで連れてきてくれて、ありがとう!」

鳥は片目を閉じた。

「なにかお礼をしたいのだけど……なにがいい?」

と言ったところで、鳥がしゃべってなにか要求できるはずもないと思っていたら、突然、くちばしが目の前に——。目を突っつく勢いだった。

「ヒャッ、なに? も、もしかして、目がほしいの?」

クワァ

「そ、そう……」

目って取れるの?

自分の指をしばらく見つめていた。

そして、意を決して片目を差し出した。

巨大な鳥の失われていた片目に私の目が入ると、内陸に向かって飛び去って行った。

それから私は先生に聞いただけの海の向こうを自分の目線で歩いて行く。

あと、巨大な鳥にあげた私の目は、空からも世界が見えていた。

羽がなくたって、私には見える世界がある。

終わり


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