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エッセイ| 友達のこと

雨に降られたみたい。大丈夫、すぐに止むから。少しこの音をきいていよう。雨が止んだら出かけに行こうか。桜が散る前には行きたいな。

 そうして2年もの間、私たちは雨の音を聞いていた。状況が落ち着いたら、なんてもう誰も言わない。決して戻れない昨日までを悔やむ言葉。どうにもならない今を生き抜くための優しい唄。ひとりじゃないって言われる度、私たちは皆ひとりなんだと思った。

マスクをしていても息はできたし、顔を合わせなくても、言葉を交わせば私たちは分かり合えた。変わってしまった世界を受け入れるのに、私たちは十分賢かった。止まっていた針はもう一度、正しく回りだす。精巧に書き写された風景のように。

 「私ハンバーグがおいしく焼けるようになったよ」そこにだけ、まだ現実が残っている気がした。1年半、話したいことは数えきれないほどあったはずだけど、出てくるのは取るに足らないことばかり。次は何を頼もうか、そのことの方が私たちにはずっと重要だった。何時間話しても意味のあることなんて何一つなかった。マスクを外しても、どれだけ言葉を重ねても、目の前の友人が何を考えているのかなんてちっとも分からなかった。そのことが嬉しかった。

 ほんの数センチ、指先をのばせば触れられる。胸の真ん中を切って見せれば、私の内側まで見渡すこともできるだろう。でも、私たちは足りないままでいられた。分からないことも、あなたのことだと思うと不思議と怖くなかった。遠ざけたわけではない。触れなかった私たちの距離。少しだけ近い私たちの距離。私はそれを友達と名付けた。

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