『心霊マスターテープ』を観ました~“恐怖”の消費の仕方について~

『心霊マスターテープ』

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以前『フェイクドキュメンタリー「Q」』というYouTubeのホラー作品についての記事を書きました。

元々、ホラー好きの私ですが、実はまだまだにわかというか、有名作品ほど観れていなかったりします。
先述した「Q」の制作にも関わっている寺内ディレクターの名作『心霊マスターテープ』なるものの存在だけは知っておりましたが、ようやくそれを観ることができました。


これもいわゆるモキュメンタリー方式のホラー作品。実際の著名な心霊ディレクターがそのまま本人として登場し、力を合わせてとある不可解な現象の究明へ乗り出すという構成です。

監督である寺内氏もそのまま出演しており、ホラー演出はもちろんのこと、心霊調査などのドキュメンタリーパートにも非常に力が入っているため、大変質の良いモキュメンタリーと言えるでしょう。特に心霊ディレクター陣、全員しっかりした役者経験があったのではないかと思うほどリアルな顔つきで出演しているのが凄いです。


よく「本当かどうか分からないくらいが一番怖い」と言う方がいますが、最近はあまりその考えには賛同できなくなってきました。それこそ『フェイクドキュメンタリー「Q」』を観ている時もそうですが、むしろ綿密に作られたホラーほど“恐怖”という感情への向き合い方が一途に顕れている気がします。(とはいえひたすらリアルなものも好きなことに変わりはないですが。)

心霊ディレクターという人達は“恐怖”を突き詰めて作品にしており、視聴者の「こうなったら怖いな」「こういうの嫌だな」をより具体的に画として見せることに長けています。『心霊マスターテープ』に関してはフィクションではありますが、よく見かける“心霊映像作品に真偽を問う”という行為は、最早“恐怖”のラインから外れつつある行為であるとも思います。そうなると、我々ホラーを楽しんでいる視聴者側にも“恐怖という感情への向き合い方”がポリシーとしてある程度必要になってくるわけですね。

この『心霊マスターテープ』はいわばそう言った“恐怖という感情への向き合い方”への問いが込められています。

詳しいことは是非その目で作品をご覧になっていただければと思うのですが、近い話をするのであれば、過去にこんなことを思ったことがありました。


もう何年も前の話ではありますが、Twitterで「偶然写真を撮ったら○体が写り込んで事情聴取を受けた」というツイートが話題になっていたことがあります。詳細は追っていませんがそこそこオカルト界隈では話題になり、リプライでもお祭り騒ぎで、実際に直後に現地に行ってみた人もいた記憶です。

現地に行くのは「流石にちょっと…」となるのは当然として、昨日今日で出てきた仏さんのことを、わいわいとネット上の大勢で“ホラーコンテンツ”のような扱いにして盛り上がっていることにちょっと引いてしまったのです。

ただ、それと同時に考えたのは“じゃあ何十年も前の事件ならいいのかよ?”ということ。よくありますよね。肝試しスポットなんて、噂ではなく実在の事件があった場所というのはザラです。


『心霊マスターテープ』を観終えた時に考えたのはそんなようなことでした。揶揄されているのは心霊コンテンツでお金を稼いでいる人達のことだけではなく、この『心霊マスターテープ』という“作品”を観ている我々に対しても同様ではないか、と感じた次第です。

しかし、これはコンテンツそのものの否定ではなく、“リアル”と“フェイク”をそれぞれどう消費していくかという答えのない課題について考えながらも楽しめよ、ということでもあると思います。もちろん、周囲に不謹慎と思わせ、かつ不愉快な思いをさせるべきではないです。オカルト・ホラーはその中だけで完結して楽しむべきでありますが、だからこそオカルト・ホラーが好きならそこに本気で向き合うべきなのでしょう。

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