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2年間のフリーランスを終えて、mikanに入社しました

自己紹介

はじめまして、こんにちは。株式会社mikanの溝口です。

これまで約2年はフリーランスとして活動しており、3人〜100人近い規模までと 大小様々なスタートアップにて 時にはデザイナー、時にはPMとして、新規事業の立ち上げや、グロースを担当してきました。

mikanには 2019年12月から業務委託としてジョインし、この2020年11月より取締役として入社しました。現在はデザインを中心として、企画から、プロダクト戦略作り・採用活動など、事業・プロダクト・組織それぞれの面で横断的に動いています。

さて、一部知っていらっしゃる方もいるとは思いますが、僕は以前 mikanに3人目の社員として所属していました。

「なんでフリーランス辞めたの?」
「なんでまたmikanなの?」

こんなコメントをいただくことも多かったのですが、時間の制限もあり、全ての方に背景を含めてしっかりとお話しするのは難しく、毎度もどかしさを感じていました。困っていたのは僕だけでなく、先日ブログを出した飯田髙岡をはじめ、社内メンバーも同様だったことをきっかけに mikan社の入社理由ブログが始まりました。


「好きなことで、生きていく」というYoutubeのコピーや、「世界一やさしい 『やりたいこと』の見つけ方」という本が注目される昨今の流れからも、「自分が本当にやりたいこと」に悩み、葛藤している方は少なくないと思います。
振り返ってみると、30~40社ほどの会社さんとお話しさせていただき、実際に仕事をし、最終的に今回の意思決定に至りました。

この記事では、こだわり、葛藤を経たうえで 、なぜ転職したのか、なぜmikanなのかといったことを背景も含めお話させていただければと思います。

休日にポツリポツリと綴っていたら想定より長くなってしまったのですが、スキマ時間にでも読んでいただければ幸いです。


これまでの背景

先述したように僕は以前にもmikanで働いていました。
(2016年10月 ~ 2018年12月 )  

ひとことに mikanといっても、つい最近出た代表髙岡のブログにあったように、英語事業からビットコインの事業へのピボットを経て、社名もYenomに変えていました。
当時はブロックチェーンについて日々勉強しながら、なんとか使われることを願って、作っては壊し、作っては壊しとスクラップアンドビルドを繰り返して奮闘していましたが、自分たちすらもビジョンを持てず悶々とする日々。ビットコインはひとつの技術として高いレベルで完成してはいるものの、まだプロトコルレイヤーでの問題も多く、自分の専門分野であるデザインで解決できるIssueが少ないことを実感し、焦りや不安を感じていました。そこで いろんな方に相談させてもらいながら、次のステップへ進む意思を固めていきました。

ですので、「独立するぞ」という意思でフリーランスになったわけではありません。デザイナーという職業柄、1つの細かいタスクから関われることが多いので、いろんな会社を見て、最大限自分が納得できるところに全BETするために、選択に柔軟性のあるフリーランスを選びました。

(当時は自分がフリーランスとしてやっていけるのか本当に自信がなく、いろんな方に相談させていただきました。ありがとうございました🙇‍♂️)


自分に向き合い続けた2年間

当初の目論見では、半年を目安に次に頑張る場所を決める予定でしたが、結果的に2年近く迷い続けることになりました。30~40社ほどスカウトも含めてお話しさせていただき、結果的に7社とお仕事をさせていただきました。その全ての会社が、ユーザーに価値を届けていて本当に素晴らしいなと実感する一方で、全力でディープダイブしていても自分自身どこか納得感を持ちきれず、もどかしい気持ちになっていました。

単純に領域へのフィットだけでいうと、全力で関わってさえいれば その業界にも詳しくなり、課題感や手触り感は後からどうとでもついてくると思います。しかし、僕個人として「社会的な意義の大きさ、そのわかりやすさ」は重要なファクターの1つでした。

やっていくからには人生をかけてやりぬきたいと考えており、目的がぼんやりしてしまうと 途中の辛いシーンで迷ってしまうことを ビットコインの事業をやった際に痛感していたからです。

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すべてをNotionに書き出して整理していました
(メンタルとしてはめちゃ元気でした)


もちろん、簡単に 社会に大きなインパクトを与えたり、爪痕を残せたりできるわけがありません。どんなに少なくとも10年はかかると考え、自身が続けられる環境を作ることが肝要でした。だからこそ 「自分が本当にやりたいことを、自身が責任もってやること」にこだわり続けていました。そういった文脈から、挑戦する際は 1人ではなく一緒に挑戦していける仲間が必要だとも考えていました。

まとめると、下記のような軸で会社を探そう(もしくは起こそう)と考えていました。

・社会的意義がわかりやすい領域か
・大きな課題があるか
・一緒に挑戦していけるパートナーがいるか

この3つの軸でこだわり続けた結果、「何が何でもここじゃないとダメな理由がない、もっと自分が納得しきれるところがあるはず。」と、一種の青い鳥症候群になっていました。当時お世話になっていたA川さんから「その時 1番の選択肢だと思えるところにディープダイブした方が良いよ。」と助言をいただいてたのにも関わらず、「自分は違う、そう思うのはこだわりきって決めてこなかったからだと思うんです。」とクソ生意気なことを当時は本気で考え、悩んでいました。

業務委託としての始まり

そんななか、社長の髙岡との定期モーニングがありました。
髙岡は高校の同級生であり、以前mikanにいた頃から共に苦楽を過ごし、お互いに良いところも悪いところも知り尽くした友人です。 退職した後も薄いながらに定期的に会ってお互いのことを報告しあっていました。

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モーニングは大体 並木橋のBuy Me Standで

そのとき話題に上がったのがホーム画面のリデザインプロジェクトの発足です。在籍当初からやりたかったこともあり、依頼を受けて業務委託を開始しました。
依頼を受けた当時も、前述の「本当にやりたいことをやる」ということには 良くも悪くもこだわり続けていました。このプロジェクトを成功させたら稼働を終えて、他の会社を探すか、自分で会社をやるつもりだと話していましたが、結果的に過去の経験含むいろんな要素が折り重なって mikanの一員になることとなります。


領域への納得感とその背景

mikanの事業領域 「教育 / 英語」の分野は 実は僕の専門領域です。
中学、高校生だったころの溝口少年は英語が得意だったことから、英語の先生になるべく、英文学科へ進み、第二言語習得理論の研究をしていました。

教育実習では授業数も多く持たせてもらい充実していたのですが、自分の身体というリソースの都合上 教えられる範囲や時間は限られており、自分の担当範囲の生徒(30名強×3クラス)にすら平等に教えきれませんでした。この課題は先輩の先生に相談しても解決できることではなく、モヤモヤしたまま実習を終えることになりました。

また、僕は 英文学科を卒業し、中高の教員免許までとっているにも関わらず、いまだに英語で話すことが苦手です。
読み書きやリスニングは一定できるのですが、座学ばかりやっており、話す時間をとらずに過ごしてきました。僕のような、英語を話せない英文学科出身の人は学科内にもたくさんいましたし、優秀な大学へ行った友人にもいます。東大を出ている髙岡もその1人です。 

この原因は、勉強する内容が学習指導要領ベースで決まっているところにあります。授業の内容も、先生の資格を取るのに必要な能力も、 基本的に座学が中心のカリキュラムとなっており、話す時間はほとんど取られていません。もちろん時代に合わせた変化はありますが、めちゃくちゃ忙しい現場にしっかりと対応しきる余裕はありません。誰が悪い、どの機関が悪いなどではなく、仕組みとしてそうなっているのです。

「言語」はあくまでわかり合うためのインターフェースであり、媒体です。
実用的なシーンで使えない自分が 生徒の将来を背負って教壇にたつことは自分自身許せず、現場での実習の経験も相まって教員にはなりませんでした。


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実習当時の若き溝口少年
学級目標「無」のインパクトにボロ負けしています。


言語は、数万年ほど前から(ここは諸説ありまくるのでスルーしてほしいですが)使うようになった伝達手段です。話すことでコミュニケーションができ、わかり合うことで文明や文化が生まれ、また言語によって広げられてきました。それらはインターネットにより爆発的にさらに広がりましたが、言語の壁は大きく、多くの日本人がまだまだ英語の情報には触れられず、リミットがかかっているシーンは読者の皆様ご自身の体験も含め 感じるシーンが少なくないのではないでしょうか。

このような、自分自身が強烈にペインを感じた経験もあってか、続けているうちにどんどん熱を帯びていき、気づけばプロジェクトを完遂した後もmikanで動き続けていました。当時 持っているカードの中で、前述した3つの軸が最も揃っているのがmikanだとうっすらと感じていたからです。


mikanには、前述していた課題を解決できるビジョンがありました。

デジタルプロダクトなので教えられる対象の制限は無くなり、たった数人の小さなチームで何百万人ものユーザーに価値を届けられる。

・既存のカリキュラムに囚われずに 、本当の意味で「英語ができるようになる」体験を自分ごととして作っていける

社会的意義がわかりやすい分野で「人々の人生の可能性を広げる」という大きなミッションを掲げ、進んでいける

表面的に見ると、ただの英単語学習ツールかもしれませんが、「言語」という媒体を通して、「人の可能性を開放していく」こと、それを自分ごとで進めていけることはすごく魅力的に映りました。

それでも、まだ迷いはありました。
なにせ、自分としては一度ピボットした事業そのものでしたから。
今度はしっかりやり遂げられるだろうか、周りにはどう見えるのだろうか、本当にこれが1番良い選択肢なのだろうかと考えていました。

しかし、時間をかけてミッションとバリューを言語化していくうちに 不安は少しずつ自信に変わっていき、採用責任を負って会社の未来を考えたていたころには、 ほとんど気持ちは固まっていました。
最後は ほんの少しのエイヤ!を足して、挑戦することを決心しました。

待ってくれたmikanのメンバーや、相談させていただいた方、快く送り出してくれた家族には本当に感謝しかありません。


どんなことをしてきたいか

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11月1日に入社してからは1週間が経ちましたが、業務委託としての関わりを含めると1年弱経っており、自然と担当範囲も増えていたのでほぼ変化はありません。あるとすればフリーランスの頃とは違い、自分のリソースの100%をmikanだけに使えるようになったことでしょうか。

直近は仲間集めに奔走しています。最高の福利厚生は、同じチームに思わず嫉妬してしまうような、切磋琢磨できる仲間がいることだと考えています。mikanはまだまだ本当に小さいチームですが、周りに誇れる最高の仲間に入ってもらえるように尽力していきます。少しでも興味ある方、ぜひお会いしたいのでお気軽にご連絡ください。

また、採用面に加え、事業面でも今月からPMとして動き始めています。目下は基盤での変更が多く変化が見えづらい場所ではありますが、早いイテレーションでの連続的な成長にくわえ、非連続な成長も狙い、「あらゆる人が英語を使える」サービスとして、今の単語だけの状態から、英語学習全体のインフラになることを目指していきます。

マクロの流れとしても追い風が吹いており、2020年以降の学校教育改革では、小学校英語の必修化や、中学以降での英語授業の実施、1人1台タブレット構想、民間試験の活用促進など、制度ベースでも動き出し、今後も間違いなく存在感を増していくでしょう。一筋縄ではいかず、時間もかかる(しかも儲からない)と言われている市場ですが、大得意な泥臭いこともたくさんやって、成長しながら事業・組織をつくっていけることにワクワクしています。


あなたの力が必要です

まだ見ぬ仲間に届いてほしいという気持ちで書いていたら長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

自身の英語力に課題を感じている方、教育に関係する仕事のご経験がある方、人生の可能性を広げたい方、読んでいただき少しでも面白そうだなと感じてくれた方、フルタイムの他、ちょっとの時間だけど手伝えるよ!という方もいましたら、こちらからお気軽にご連絡下さい

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本当に面白くて良い事業なので、ユーザーのためにも、世の中のためにも経営1年生としてがんばっていきます。押忍!

(がんばって書いたので、響くところがあったら ぜひスキ&拡散してほしいです!)


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