見出し画像

非母を望む女性の声

子どもを産むかどうかは、社会の要請によって決めるのではなく個々人が決めるべきことだ。だから、私が「自分の娘が結婚して出産して子育てをする」ことを当然のように想定するのも、押し付けになりうると最近気が付いた。

社会を維持するためにはある程度の人数が必要なので、女性が子供を産むことは昔も今も期待されている。だから、子供を望まないと表明するのは難しいことも多い。多産な国イスラエルでは正気ではないという反応をされるようだし、韓国でも非難を浴びるそうだ。逆に産児制限が行われている社会もあった。
子供を産みたい、産みたくない、何人産みたい、といった個々人の希望は社会によってすりつぶされてきた。

しかし母も一人の人間だ。妊娠、出産は命がけだし、子育ては相当な時間、体力、お金を費やすことなので、「自分が本当にそれをしたいか」と考える権利は当然あると思う。

母親になって後悔している人、母親になりたくない人も現実に存在する。2冊の本を読んで女性の志向の多様性を感じたので、ここで紹介する。

1冊目は「母親になって後悔してる」。イスラエルの研究者がまとめた本で、母ではない人生を望む人の声が集められている。
この本での「後悔」の定義は以下の2つの問いにノーと回答することである。
「今の知識と経験を踏まえて、過去に戻ることができるとしたら、それでも母になりますか?」
「あなたの観点から、母であることに何らかの利点はありますか?」
自分の子供を愛しているが、母親という役割は自分にはそぐわない、という声など、理解が難しい声も含まれていた。そして、ちょっと怖いのが(怖いと思ってしまうのも社会の刷り込みによるものだけど)、自分も「そっち側に転落」する可能性があること。私はなんとなく母になって子育てを楽しんでいるけれど、「母にならなければよかった」と将来思う可能性はゼロではない。そうなったとしても、せめて自分で自分を責めないですむように、この本を手元に置いておこうと今は考えている。


2冊目は「ママにはならないことにしました」。韓国の著者による本で、子供を産まないと決めた人の声が集められている。産む前から心配しすぎだと感じる記述も沢山あったが、競争社会の韓国では子供を普通の人に育てるだけでも並大抵ではない時間とお金がかかることも、「産まない」と決める背景にあるのだろう。また、この本を読んでいると、家父長制、同調圧力、女性蔑視、雇用の不足などの問題が日本よりも顕著なのだろうと感じた。

私は常々、娘が将来子供を産んだとしても、仕事をやりたいなら躊躇せず仕事も続けてほしいと考えている。しかし、その前提自体が押し付けになりうると今回思い至った。
ちなみに、年を取ったら孫が欲しくなるのだろうか。今は自分の子育てで精一杯なので孫がいようがいまいがどっちでも良いし、年老いてから孫の面倒を見るのも大変だろうからいなくても良いかというのが今の正直な気持ちである。子育ての追体験をしたくなったら、近所のお子さんのお世話をするのもありだと思う。


この記事が参加している募集

#読書感想文

189,141件

#多様性を考える

27,819件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?