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生い立ちパズル 特別編:義母 1


義母は、気がついたら いました。
なので、初対面の印象が残っていません。

 
わたしが9歳の時、実母が家出をします。
母方の祖父母の家に預けられ、その後 母の約束は 叶えられることなく、迎えに来ることなく、そのまま わたしは 大人になるまで そこで暮らしました。



母が いなくなって 暫くして 
父の言伝を伝えに 祖父母の家に ときどき 来るようになった義母。
(祖父母の家は 家電がなかったので 養育費や 父の家に遊びに行く時などは 義母が訪ねてきました)

わたしより ひと回りくらい年上だった、と思います。


後に 母は 義母のことを知っているような口ぶりだったので 知り合いだったのかも知れません。

全くと言っていいほど 家族の団欒がなかったので  身内のことも  わたしはよく知りません。
それぞれの誕生日すら おぼろげです。
また、何故か わたしには それらを知ろうと思う気持ちも ないままでした。


大人になっても 様々なことが待ち受けていたので そういうことを ふと考えられるようになったのは 重度の鬱も寛解に向かって ようやく もとに戻れたかな、という最近の事(数年前)です。


義母は 祖父母のうちに来る度に 
「勉強しろ」と 口うるさく言いました。
いっしょに暮らしたことはないです。
なので 子供のわたしからすれば、たまにやってくる口うるさくて 嫌な人でした。

義母が祖父母の家に来る度 胸や背中が ぞわっとします。
必ず 嫌なことを言われるからです。
あの頃、わたしは、周りの大人が 本当に嫌いでした。
近所の人も 先生もみんな嫌いでした。


 父に呼ばれて 遊びに行くと、父がいる前では 猫なで声で 話す義母の姿が 子供ながらに 気持ち悪く感じていて 大嫌いでした。

『なんだあれ。気持ち悪い』
そう思っていました。



 義母の、わたしを見る目には、
愛情を 全く感じられません。

なんだろう。
嫉妬に似た感情の目なのか…

この目は 大人になってからも
いろんな場面で いろんな人の目の中で 見かけます。

重たくしつこい目線。
なんにもしてないのに 向けてくる。
見つけると しんどくなります。


義母は 子供を産めない身体だと あとあと実母から 聞きました。
いろんな思いがあったでしょう、きっと。
おとなになってから よく考えますが 子供の頃でも 感じていて それなりに考えたりしました。

子供はよく見ています。
よく聞いています。
気づいていないふりもできます。
おとなが思うより 理解はできていなくても その場の雰囲気はわかります。


父が仕事に出て 義母とわたしがふたりになると、
義母の従姉妹の自慢話オンパレードです。
これは、大人になってからも続きました。
でも ほとんど 内容は記憶にありません。

早口で 物凄い勢いで話すので 頭に入らないのです。
ただ、比較されているんだな、というのは わかります。

わたしは その従姉妹に 一度も会ったことはないし、写真でも見たことがないので 義母からの早口で喋る話の中でしか知りません。


 それでも、穏やかなことが わたしは好きで
義母とも 仲良くなれるきっかけは どこかにあるのじゃないか、と 探しました。

義母は 若い頃は 少女漫画が好きで
ほぼすべての少女漫画を 毎月買って 読んだ後 わたしにくれました。

そういう部分もあるし、
安易だけど 
ほんのすこーしでも 仲良くなれる可能性がある気もしてました。


結果、叶いませんでした。
子供の頃は 必ずあるはず!仲良くなれるはず!と 思い込んでいました。
本にも 努力は報われること たくさん書いているし。
そうできないのは 自分の努力が足りないんだと 思ったりもしました。



好きになりたかった。
仲良くしたかった。
笑い合いたかった。



嫌いになって ふん!ってできれば 楽な気もしましたが 仲良くなることを諦めませんでした。

毎回 会う度に 嫌味を言われて、
『出来損ない』と貶されて、
比べられて、落とされて、
辛い思いを たくさんするのに 人を嫌うことが嫌いだったのかなぁ。
嫌いになれないから
とことん 努力しました。



わたしが 結婚したあと
子供が生まれて 初孫を父に 見せに行ったとき 父は大喜びしました。
父は もともと 子供好きだったと思います。

わたしは、義母の気持ちを思いやることができていなかったかもしれません。

というか、
義母にも 実の母のように 接した方が 仲良くなれるかな、と思って
義母に 孫だよ、おばあちゃんだよ、と 微笑んでみたりしたんですが、
 子供たちを 可愛がる姿も見たことはありません。


理解し合えなくても 義母と わたしのように 家族で 会わなければ済むという間柄では無いなら なるべくお互い 寄り添いたい。
普段 無理に会わなくていいから 会ってるときくらいは。


自分以外の人そのものにはなれないけど
その人の痛みを 知ろうとしないと いけないと思うけど
それには お互いが歩み寄ろうとしなくては、 恐らく 一方通行では 無理です。


いろいろと 付き合い方を模索しながらも やっていたのですが、
三人目の子供が生まれた時、
 父に 会いに行こうと思い、連絡をしたところ

いきなり 父に言われました。



「同じ女やのに 子供が産めん気持ちわからんのか。ぼこぼこ産みやがって」



 頭が動かなくなりました。
予期しない言葉だったので 何を言われているのか把握するのに 時間がかかりました。


何があって そう言われたのかは その後も知ることはなかったですが 義母の気持ちなんだろうと思いました。




咄嗟に

「わかりました」

と 電話を切って それ以降 数十年会わなくなります。連絡もしなくなりました。

向こうからは 連絡がくることはないので
こちらから連絡をしないと 会うことも話すこともなくなります。



ずっと 不思議だったのですが、
うちの親は 向こうから 連絡してくることがありませんでした。それが普通でした。

子供をもつ親となって 更に不思議で、全然 理解が出来ないままです。

わたしは 親となった今、
子供から 連絡ないと 元気かどうか  気になるし、心配します。
そのまんま 何十年も 連絡もしないなんて 考えられないです。



でも。


わかったんです。

『そういう人間もいる』ということ。
『そういう親もいる』ということ。

 自分に理解できないことがあるということは、
そういう相手にとっては
『どんなに誠意をもって 接しても 分かり合えないことがある』ということ。


起きた出来事を なんで?と思いながら 考えると わけわからなくなりますが
これはこれ、と分けて 感情も 一旦 隣りに置いて、更には 一旦 片付けてしまって、
ひとつひとつ、まずは 自分がやることを ちゃんとしていこうと、思うことで 飲み込んでいけるようになりました。

なんで?と思うということは 自分の常識で考えて 疑問がわいているということです。

わたしには 簡単なことではなかったです。
その考え方を 自然にできるようになるまで かなり時間がかかりました。

だけど、これは わたしが わたしとして 生きるための 『大切な考え方』となりました。
怒りがほぼ なくなったのも この考え方が大きい気がします。

家族に対して 乗り越えていかなければいけないもので
わたしがいる、狂っているような世界から 抜け出す術を 自力で、ひとりで、
孤独の底から 何度も
自分も歪んだり 折れそうになったりしながら 破れないものを 自分の素手で 死ぬ気で 破いて 

ようやく、自分として生まれることができた感覚です。
大袈裟なようですが、
わたしは そんな感覚です。

植物たちの進化みたい。ふふ。





2 へ続きます。

𝓽𝓸 𝓫𝓮 𝓬𝓸𝓷𝓽𝓲𝓷𝓾𝓮𝓭










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