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仕事に感情を持ち込め! ~グラフィックファシリテーションは職場や地域でこそ活用できる~

感性の時代が来ている?

「仕事に感情を持ち込むな」というのが定説だ。個人の好き嫌いや、やりたい・やりたくないで仕事をしては組織にとって有益ではなくなる。これがいままでの仕事観だった。組織の中に個人があるという考え方。でも、これが大きく音を立てて変わろうとしている。組織から個人へと主体が移り、個人がどうあるのかが問われる時代と言われる。個人としての専門性を磨き、自分らしさや個性を発揮し、会社に依存しない存在であることを求められる時代。それにも関わらず、仕事も社会も依然として合理的な人間であることを求めてくる。成果は何か、なぜそう考えるのか。その人らしくあれ、と言いながら論理的に説明せよと言ってくる。でも人間はそんなロジカルじゃない。感情の生き物だ。社会や仕事に合わせようと左脳中心に生きていると、右脳を使わないことにだんだんと慣れてしまい、次第に「感じる」機能が失われていく

あなたは最近、何に感動しましたか?」この質問への答えがいくつもスラスラと出てくるようであれば大丈夫だろう。もし出てこなかったとしたら・・・その人は知らず知らずのうちに左脳中心の生き方になっている危険がある。それも仕方がない。社会や会社に適応しているだけなのだから。問題はそれが、あなたが望む働き方、生き方なのかどうか。人間らしく、あなたらしく生きている、と心から感じられているかどうかだ。

山田夏子さんのグラファシ講座を受けてみた

グラフィックファシリテーターとして有名な山田夏子さんの『グラフィックファシリテーション講座【アドバンス編】』を受講した。グラフィックファシリテーション(グラファシ)は、「対話(はなし)を見える化することで、場の活性化や相互理解をうながし、参加者の主体性を育むコミュニケーション手法」のこと(一般社団法人グラフィックファシリテーション協会より)。最近流行っているグラフィックレコーディング(グラレコ)は「議論、セミナー、インタビューなどの内容を、 グラフィックや文字を用いて、リアルタイムで記録し、全体の内容を保存する手法」で「グラフィカルに記録する」ことだから、グラファシが「場づくり」に焦点を当てているのと大きく異なる。

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今回は場をつかみ、感情を絵(グラフィック)で表現するトレーニングを中心に講座が構成されていた。とはいえ、夏子さんの真骨頂は“対話”だ。受講者との対話、受講者同士の対話の時間がたくさん組み込まれ、なぜグラフィックファシリテーションを使うとよいのか、何のために使うのか、どうやって使うのか、ということを頭と体でじっくりと理解していく進め方。ノウハウやスキルを提供して終了という一般的なスクールとは一線を画していて、終わった瞬間に充実感と寂しさが同時に襲ってくる。まさに受講者との間でも場づくりを実践してみせてくれていたのだろうと思う。

最大の気づき

今回の講座での最大の気づきは、「グラファシで合意を生むことがゴールではない」ということだ。ファシリテーションをすると、その人の性格が残酷なほど現れてしまうのだが、私はどうしても「介入したがる」タイプ。良い方向に行ってほしいという想いが先行してしまうあまり、気をつけないと自分が思った「正解」を提案し、何とかして場をまとめにかかってしまう。それは典型的なNG行為。夏子さんは言う。「ファシリテーターに不安な気持ちがあると場をコントロールしたがってしまう」。グラファシで100%合意「させる」ことはゴールではない。グラフィックにもファシリテーションにもそのような神の力はない。そこはおごってはいけないし、そもそも合意しなければならないわけではない。それよりも大事なのは、参加者が主体的であること。対話の結果、合意したら素晴らしいし、そうならなくても少しでも主体的に、心から納得できる合意形成に近づくための有効なツールがグラファシ。夏子さんの言葉とワークを通してそう気づいた。

夏子さんはこうも言っていた。話し手が主体的になるために「待つ」必要がある、と。ファシリテーターは言語化を急がず、言葉にならない感情に立ち止まり、参加者を信じて居とどまる胆力が必要だ。大切なのは解決することでも成果が出ることでもない。人間の本能的な生きる力として感情、感覚、純粋な意欲を引き出すことだ。本音で語れる状態を作り、感情を出しながら対話する。そのためのツールとしてグラフィックを使えるファシリテーター。素敵な記録人ではなく、素敵な場づくり人。私もそんな人になりたい。

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グラファシは仕事や職場でどう使えるのか

役所で働いているとたびたび思う。職場や地域で問題が起きている時、多くの場合はスキルやノウハウなど技術が足りないからではなく、誰かが反対しているとか、誰かがヘソを曲げているとか、誰かが認めたがらないなど、感情や人間関係がこじれていることが本当の原因なんじゃないか、と。それに対して、不幸にも多くの場合は「こうしたらいい」「この問題はこう解決できるはず」など左脳を使って論理的に問題解決しようとするから、一向に前に進まない。反対するために必死に反対の理由を考えている人もたくさん見てきた。根っこにある感情のもつれ、人間同士の関係性を解きほぐさない限り、何も良くならない。こんなとき、グラファシが特に効力を持つ。構造化や図式化など左脳で整理するのではなく、言葉にならない感情を絵にし、場を表現するなど右脳をフル回転させる。当事者が主体的に考えることを促し、一人一人が心から納得できる方向に持っていけるかを考え、感じながら対話し、最後に左脳でまとめる。

仕事のプロジェクトチームや地域住民の方との対話の場、職場のチームビルディングには人間関係づくりが避けて通れない。言葉にできないこともたくさんある。葛藤、違和感、対立に気づいているのに、見ぬふりをしてスルーすることが関係性を悪化させる。本当に大事にしたい場であれば、メンバーの感情面を大切にして、時間をかけて、こうしたことを一つ一つ紐解き、関係を作っていくことが必要だ。感情はよりよく生きることのセンサーだと夏子さんも言っていた。論理、正しさ、成果の裏側で大事なことが見落とされていないかを気にかけ、心のモヤモヤを、感性を使って描きだす。上手なイラストなど描けなくていい。完璧な表現なんて必要ない。大事なのは、目の前の相手が主体的であるために必要なあらゆる働きかけだ。グラフィックファシリテーションはその一つの手段にすぎない。

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これは単なるスキルを超えた壮大な能力で、日々の積み重ねや鍛錬だけでなく、もはや生き方まで関わってくる話だと気づいた。何しろ、感性や人間性が乏しければ、その場にいる人を受け止め、良い場を作ることなどできやしないのだから。道のりは長い。それだけに、磨けば磨くほど価値になっていくとも思う。これからは日々、人の感情に敏感になり、世の中のことを情報のアンテナではなく感性のアンテナでキャッチすることを心がけよう。

最後に、2005年に放送された天海祐希主演『女王の教室』最終回での一節を紹介したい。

”ドラマ『女王の教室』最終回より”

イメージできる?
私たちのまわりには美しいものがいっぱいあふれているの。夜空には無数の星が輝いているし、街に出れば初めて耳にするような音楽が流れていて、素敵な人に出会えるかもしれない。
普段、何気なく見ている景色にも、驚くようなことがいっぱいあるんです。
そういう大切なものをしっかり目を開いて見なさい。しっかり耳を開いて聞きなさい。全身で感じなさい。
それが生きているということです。

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