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やまとごころ~亡き者のねがい~

緊急事態宣言下、夫の年齢やガン患者であったことのリスクを考え靖国神社への参詣も取り止め自宅で静かにお祈りさせて頂くことにした。

義父は駆逐艦凉月、私の伯父は駆逐艦冬月、ともに戦艦ヤマトを左舷と右舷で護衛し戦った沖縄決戦を生き残った。
こんな御縁があるのだろうか…と。
縁というものがあるのだ。

私達が夫婦になり、つながった意味は何であろうかと考え、細々と「凉月 冬月会」として日本国をお護り頂いたご英霊への感謝の心を、義父と伯父の心を引き継ぎ、靖国神社へお詣りさせて頂いている。

私達夫婦の生きている源は、活動の源は、常にここに立ち返ることにある。
末期ガンを患い死の淵をさ迷いながらも生き残った夫は義父と通ずる生きる基軸を持たされた。

『食べる為に生きるのではく、生きる為に食べよ。ならばなぜ生きる』

広告写真家としての第一線から末期ガンの宣告を受け、それまでの人生全てが覆った。

[マガジンにて公開中
末期ガンの夫と再婚!?10年再発なく生かされているからこそ‥|Yukkie Mizo @Yukkie44108949 #note https://note.com/yukiemizoe/m/m121d9dd5149c]

病床で聞こえた【写絵】というものを生み出し、この世へ残していく使命に残命の秒針が動き出しても打ち寄せる現実は厳しく、死にたいと二人で何度泣きあったことか…。

一人では決して生きていけないことは心底お互いに分かっていたから挫折する局面の波を全身に受けては罵りあっても励ましあい、助け合いながら何度も二人で乗り越えてきた。
(ここまで越えた女は男より強くなるものだと沁々おもう 笑)

なかでも東日本大震災で出会った現地の人々との交流は、さらに私達の精神の土台を盤石な揺るぎないものにした。

[マガジンにて継続公開中
すべてを変えた あの日…(東日本大震災撮影取材記録)|Yukkie Mizo @Yukkie44108949 #note https://note.com/yukiemizoe/m/m821247d5fb90]


『必要以上のものは要らない。
一番大切なものを追及し生きていこう』

戦争の苦しみを常に忘れないように、思い出し、感謝し、己をただすことを義父も伯父も言っていた。生き残っていることを恥じ、戦いの中で亡くなられた同胞たちを人生の最後まで供養していた。

その多くのご先祖の犠牲の上に今があるのだ。
私達日本人の中には、この肉体の隅々にその刻まれた記憶が宿っているはずだ。

生き残った恥を抱きながら、その義父も伯父も同胞たちのもとへ旅立ち十余年が経つ。

生き残った者の遺族として強く引き継がねばならぬ想いがある。

義父や伯父、同胞の方々が日本国を護った先の戦争以来の今まさに国難の真っ只中なのであるが、その逼迫した危機感は感じられない。
昨日と同じ今日はないことに、誰にも明々白々となった事実をつきつけられているのに、平和ボケという一言では片付けられないほどの有り様だ。

人間たらんとする思考を奪い尽くす新種のウイルスが遅々と侵食しその肉体を乗っ取り体の隅々まで蔓延し動かしているのか、と。平時には気づかれにくいがこんな事態に炙り出された感がある。
うんざりするほど、恐ろしく反応が鈍い…無思考の人間を装ったアンドロイドか…


太陽へ向かい深礼をする。
命をかけて国を護り立ち上がらせて下さったご先祖に私達は誇れるだろうか…と深く自省をする。
義父や伯父が伝えたかったことをもっともっと深く考え受け止めねばなるまい。

だからこそ今、日本人であれば眠ったまま生きていてはいけない。
この豊葦原瑞穂の国をご先祖が護り伝え下さったように子孫へ護り伝えねばならぬ。
生きている者こそがご先祖の想いを抱き、やらねばならぬことがある。
命を掛けて護って下さったご英霊にも申し訳がたたぬ。

心が打ち砕かれ
立ち上がることもできず
ひざまずく
頭を垂れ嗚咽する

そんな絵が思い浮かぶのだ

来年は靖国の桜を亡き義父と伯父と供に、どんな心持ちで見られるのだろう

やまとごころ

潔し(いさぎよし)

行く末 祈る

平らかな 世であれ


words by yukie mizoe
photo by shun mizoe

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