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僕が出会った最高のローマ人たち #1

ようやくである。2018年にこのクラブに魅せられて5年とちょっと。
念願のローマ上陸である。

オリンピコでの試合観戦とトリゴリアでの選手出待ち意外、やることが思いつかなかった1週間半の旅はほぼ無計画で強行された。

そもそも旅とは赴いた場所での偶然を楽しむものだと、頑固にも自ら定義付けている以上、今回のような縁に包まれた時間を過ごすことは予定されていたとも言える。

9泊11日のローマでの生活で知り合った最高のロマーニ。
恐らくこの記事だけでは書ききれないだろう。
彼らに迷惑がかからない範疇で、この場で彼らについて語らせてほしい。

【一人目】全ての始まりオジ

滞在2日目。SerieA37節。オリンピコでのGenoa戦を観戦する予定だった僕は、二人の日本人ロマニスティと共にスタジアムの近くにあるRiver Barに入った。試合時間までまだまだ時間がある。店を除くとBoysやquadraro(元Fedaynだっけ多分)といったローマのウルトラスグループがわんさかいた。全身刺青のやつもいれば、吸ってキマってるやつもいる。そんな店内で不自然に背筋を正すことで、恐怖心と劣等感が滲み出ることがないようにしながら、無事席を確保。ペローニを片手に時間が過ぎるのを待つことに。

何も話すこともなく沈黙が続く中、ふと友人の一人が口を開いた。
「あのおっさん、JPツアーの時に俺らの前にいた人じゃね?」
まさかそんなことはないだろう。じっとそのおっさんの顔を見つめるーー。

ーーローマが来日し、国立競技場で横浜Fマリノスと試合をしたのは2022年の11月。あの日、ローマ側のゴール裏には我々日本人の他に数名のイタリアやフィンランドのティフォージも混ざっていた。彼らの何人かは毎試合Cruva Sudで声を枯らす、所謂ウルトラスと呼ばれる存在である。試合当日は彼らがリードしてくれたこともあって、異様な団結が生まれていた。声を枯らし、寒空の下で汗をかき、忘れることのできない日であるーー。

勿論その時の動画は残っている。フォルダを遡って見返すと、ああ、いるいる。今斜め後ろに座っているおっさんが自分のスマホの中にもいた。見えている彼の右顔と動画にかろうじて映っている彼の右顔。こめかみのシミや頬髭の生え方も一緒だ。これは確定だと、長期間の捜査の末真犯人を突き止めた刑事たちの如く、彼の座る席に押しかけた。

「僕たち日本人なんだけど、あの時君と一緒にナショナルスタジアムで…。」
『いたのか?あの時?いたのか!?』
彼もスマホを取り出し、あの時の動画を見せてきた。
『どこに映ってる??こいつか?』
当時彼の真後ろにいたのもあって、動画には映っていなかったが、自分たちのゴール裏での自撮りを見て相手も確信したようで、大声でイタリア語で彼の友人と嬉しそうに話し始めた。店内全員の目線が僕らに集中する。隣に座っていたティーンガールは怪訝な顔をしている。無理もない。うるさすぎる。ごめんな、それはそうと性欲爆発しそうな俺の友人の相手してやってくれないか?

お決まりの写真撮影会。全員満面の笑み。

『それで、お前ら今日どこで見るんだ?Cruva Sudか?』
「チケット取れるわけないじゃん笑。Monte Marioだよ。」
『Andiamo a Cruva Sud』
「は?」
『れっつごー、くるゔぁすっど』

何を言い出すんだ、このおっさん。僕らがそんなとこ行ける訳ないじゃん。断ろうとした時にはもう遅かった。彼は誰かにビデオ電話をかけていた。

【二人目】Cruva Sudの伝説

彼のスマホに現れた男はヘルメットを被っていた。恐らくバイクの運転中。顔を一目見て分かった。Nun c'e problemaだ。

多くのロマニスタは画面の中でも彼をいつも見ることができる。Cruva Sudの中心最前列でいつも掲げているゲーフラは異様な存在感を放つ。書かれている文字は”Nun c'e problema”。”問題ない”という意味である。

後に別のイタリア人から聞いたのだが、生涯一度を除き、全てのローマの試合を現地で観戦しているらしい。最早レジェンド。どこかウルトラスグループに所属している訳でもない。ただ一人、Cruva Sudの最前列で旗を振り、声を枯らす。今夏のオーストラリア、パースでの親善試合にも行っていたらしい。

JPツアーで国立競技場のゴール裏で時間を共にした多くのロマニスタは覚えているだろう。縦にも横にも大きいその身体から響くには、あまりにも妥当な声量。ゴール裏に集まったはいいものの、チャントを歌えるわけがない我々日本人ロマニスタを見て、彼らは我々でも歌えそうな簡単なチャントであの場所をぶち上げていた。

始まりニキはそんな彼と店内に響く大声で通話した後、僕らの方を向いた。
『ヤツがお前らをCruvaに連れてってやるってよ』

いや流石に不味いでしょ。と思いつつも日本人お得意の空気読み能力で最高に嬉しがる。始まりオジは満面の笑み。いやでも俺ら別の場所で観戦予定だっての。

そうこうしている内にあの巨漢は店内に姿を現した。ご本人登場である。

ズカズカと歩み寄り、僕らの手を握った後彼は一言こう言った。

『何も言わずついてこい』

オリンピコ前の道路は既に発煙筒の煙で視界がぼやけていた。
赤と黄のスモークの中、Nun c'e problemaや始まりオジの後ろを付いていく。

そこからスタジアムまでは全く記憶にないと言えば嘘になるが、この場で綴るにはなかなかアウトな出来事の連続だったので忘れたことにする。忘れてしまった。しかし流石イタリア人、イタリアクオリティ。

初めてオリンピコに足を踏み入れたあの感動は一生忘れないだろう。
しかもCruva Sud。あの景色を見せてくれた彼には心から感謝している。

彼の言葉で忘れられないものがある。

『俺らが日本に行った時、お前らはとても親切にしてくれた。だから俺もお前らにそうするんだよ。』

最大限の感謝と日本ではそういうカッコ良さを備えた人間を”漢”という文字で表す、なんてことを何とか伝えたかったが、Grazie Grazieとしか言えなかった。本当にありがとう。次はStefanoが作るパスタを食べに行くよ。

【三人目】古着屋の”Li sordi mejo spesi”

どうやらJPツアーの時、全ての始まりオジは数人のロマニスタの友人と共に来日していたらしい。Nun c'e problemaもそうである。
『うぃあ、ふぁみりーあ』
勿論血縁関係はないだろうが、イタリア語混えながらも僕らに英語で話してくれる彼らは勿論国立競技場のゴール裏にもいた。

その中の一人、サングラスをかけたペトラーキにしか見えない彼はローマ市街で古着屋を営んでいるらしい。覚えている人はいるだろうか。国立競技場のゴール裏でメガホンを持っていた彼だ(動画や写真を見返してみればいるかも)。始まりニキはペトラーキに僕の連絡先を渡していたようで、後日Whatsappで「Ciao」の一言と店の住所が送られてきた。始まりニキ曰く、彼は日本に自分たちのバンディエラを持ってきていたという。文言は”Li sordi mejo spesi”。

Google翻訳によると、
”聴覚障がい者の方が過ごしやすい”

なかなかな意味を持つこのフレーズだが、言いたいことが分からないわけではないし、イカした言葉だと思う。そして、どうやら実際にこのバンディエラは国立競技場に存在したようだ。

下部は見えないが右がその旗(ちなみにその左は僕の旗)

『そのバンディエラが彼の店にあるから見に行け。』
そう始まりニキに言われたので、翌日行くことにした。

店の名前は”Stravaganze Romane”。Piazza Navona、ナヴォーナ広場から南に3分ほど歩いたところにこの店はある。17時に集合だったが、あいつらいつも遅刻するので僕らも5分ほど遅れて向かった。店に入るとサングラス姿のペトラーキは受話器を片手に立っていた。どうやら何か話しているようだったが、僕らの姿に気づいた途端、それまで固かった表情が柔和な笑顔に変わり、電話をぶち切りし、両腕を広げて駆け寄ってきた。

『Parli Italiano?』
「Non posso、English、a little bit」
『おけおけ、よく来たな!』

『どれくらいいるんだ?』
『どこに泊まってるんだ?』
『俺は日本のどこどこに行ったぞ!』

質問攻めと日本旅行の話に気押されながらも、楽しく会話が続いた。

『あの時、俺ら独自のチャント作ったもんな!Roma roma roma roma roma roma roma roma roma ale…』
「GIAPPONE!!」
『GIAPPONE!!』

かつて長い苦楽を共にした友人と再会した気分だった。

円安で辛すぎる話をしていた時、急にHow many*****と聞かれた。
どれくらいお金を持っているか聞かれていると解釈した僕は、大体240ユーロくらいだと答えるも、NoNoと言われる。なんのことだ?

『You, how many…?』
「は?」
『How many…., I'm 48…』

年齢のことだった。薄々気づいていたが彼の英語レベルは僕と同等かそれ以下だ。会話の節々に意図が伝わっていないのを感じていた。自分がイタリア語を話せればもっともっと会話は楽しいのだろう。

店の天井に”Li sordi mejo spesi”はあった。

店の前で彼と写真を撮る。その様子を見て、通りすがりの老翁が首から下げたカメラを僕らに向け、シャッターを切っていた。親指を立て、笑顔で去るシニョーレ。

誰だったのだろう。

【四人目】薬局勤務のコールリーダー

Genoe戦のオリンピコでの観戦は結果として、少なくない人脈の広がりを産んだ。恐らく全ての始まりニキの友人である彼も、オリンピコで知り合ったティフォージの誰かから僕らの連絡先をもらったに違いない。

試合日同行していた友人のスマホに一緒にディナーをしようとメッセージが届いた。日々一緒にいる友人3人と向かうことに。そろそろ疲れが出てきた5日目だっただろうか、外国人が多い通りから逃れた店で彼と僕らは会った。

『ここは僕の一推しの店なんだ。』
歳は25歳。地元の先輩と同世代。イタリア訛りがあまり見られない彼の英語は大変聞きやすい。話の節々に多分相当頭がいいことが予想できる。

軽くパスタを食べるだけかと思ったが、前菜が山のように出てきた。何かのフリットやカルパッチョ、その他諸々とにかく沢山。どれも絶品で、流石イタリアだと思わせる品々である。ローマに来てまだカルボナーラを食べてなかった僕は、彼に早く食べろと急かされ注文した。こちらも絶品。こういうのは下手にレポートをしない方が良いだろう。

店内では最初SerieBの降格プレーオフ、TernanaとBariの一戦が放送されていた。
「Ternanaには元プリマヴェーラのFaticantiがいるよね」
『そうだね、君下手したら俺よりも色々知ってるんじゃない?笑』

自分は地元のJ2のロアッソ熊本を応援しているが、確かに下部組織の選手まで網羅することはない。そりゃそうだ。

彼はウルトラスグループ”ROMA”に所属しているらしい。勿論Cruva Sudにも色んなグループがある。BOYSやquadraro、Maglianaその他諸々、数多のグループが存在している。ROMAはそんな全ウルトラスグループの統合を目的として10年程前に作られた団体らしい。

彼はたまにコールリーダーも任せられるようで、あの忌まわしきアウェイBodo戦でも指揮を取っていた。写真を見せてもらったが、あまりにも格好良すぎる。スタジアムのフェンスに跨ってピッチではなく、スタンドを向き、メガホン片手に咆哮する彼の姿は、ローマの剣Marcellusのようだ。勿論彼は女受け満点の容姿端麗バチくそイケメンなのだが、男のかっこよさも兼ね備えている。憧れちゃうね。

『そういや君たち今のローマだと誰が好きなの?』
お決まりの話題である。
「Cristante」
「Paredes」
「Mancini」
『なるほどね笑。多くの人はDybalaやLukakuって言うけど、君たちはこのクラブにとってマジで大事な選手のこと分かってるのね。』

カピターノPellegriniを含め、僕はローマのために闘志を持って尽くす選手が好きだ。DybalaやLukakuがクラブのためにプレーしていないと言う訳ではないが、彼らは自らのキャリアを犠牲にしてまでローマに忠誠を誓うことはないだろう。

いつの間にかスクリーンはCagliariとFiorentinaの一戦に。我らがRanieriの引退試合である。この瞬間を現地のロマニスタと共に見ることになるとは。
Grazie Mister.
お孫さんとオリンピコに足を運んでね。

幕間

ここまで4人のイタリア人、最早友人と呼ばせて欲しい彼らについて綴ってきた。いずれも出会いのきっかけは2022年のJPツアーがきっかけである。体感だが、日本人以上に彼らは縁や出会いを大事にしている気がする。日本人がローマにいることの物珍しさもあるだろうが、決して排他的な態度を取ることはなく、むしろ歓迎してくれた。Nun c'e problemaの男が言ったように良い意味でやられたらやり返す関係性が続いていけば、何か良い感じになるのではなかろうか。

まだまだ多くの人間に出会った。それはいずれ綴るかも。彼らとの記憶を忘れたくない。そう思ってこの駄文をここに残す。ここまで読んでくれた方には心から感謝する。いいねしてれたらあなたの駄文も見に行くよはーと。







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