一生の後悔 「十角館の殺人」
「十角館の殺人」ってあるじゃないですか。
あれ、僕がまともに小説を読み始めてから二冊目の作品だったんですよ。
そのこともあって、まだ本を読むのに慣れていなかったんですね。
今となっては余裕のある、ちょどいいページ数の「十角館」ですが、
当時の僕としては多いのなんのって。もう文字を追うのに疲れるわ疲れるわ。
そこで何をしたかというと、
「十角館」には実際に殺人が起こる「島」パートと、
それとはまた別で事件に重要な意味をもたらす「本土」パートがあるんですが、
僕はこの「本土」パートをいっさい読まずに先に進んでしまったのです。
とにかく、「次に誰が殺されるのか」とか「誰が犯人なのか」を知りたい気持ちが前に出すぎてしまって
このような悲劇を起こしてしまいました。
もちろん、「本土」パートにも重要な意味があります。
いや、二つに分かれていなければ「十角館」という作品そのものは成立しません。
今や、現代ミステリの金字塔とされている「十角館」。
この作品が世に出ていなかったら、何十人もの作家が文章で飯を食ってない。
たぶんこれだけミステリがまだ人気ジャンルとして生き残っているのも、「十角館」が蒔いた種がまだ芽吹き続けているから。
それくらいすごい作品です。
そんな作品をつくる要素に意味がないわけがない。
だが当時の僕は、そのようなバックグラウンドなど知るわけがない。
そして当然、「十角館」の真骨頂である「たった一行で犯人が分かる」アレも
気付かないままスルー。
なんかしっくりこないまま最後のページまでたどり着く。
しかもさらにひどいのは、「十角館」を薦めた母親に「犯人誰」と聞いて、真実を知る始末。
今考えたら、本当に最悪のことやってるなって。
これまで愛情を持って育ててくれた母親を恨む気は毛頭ないですけど、
この件だけはどうしても、どうしても、許せいないです。
なんで、本読みの初心者にもうちっと簡単な本を薦めてくれなかったんだよ!
あのね、確かにサスペンスドラマはその頃から好きだったし、よく観てたけどさあ、
本もそうだとは限らないでしょうが。
しかもしかも、薦められた一冊目が貫井徳郎の「慟哭」ですよ?
「慟哭」も「十角館」も『本来のミステリーを知った上で楽しめる、なおかつ騙される上級者向け』の作品でしょうが!
貫井徳郎ってのがまたひどい。
別に、作者がひどいんじゃなくて、『読書後の後味が日本でもトップレベル』といわれてる貫井の作品だよ?(まあ『慟哭』自体はそれほど鬱的展開じゃなかったが)
てことでみなさん、ちゃんと本文は全部読みましょう。
以上です。
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