夢の続きを見るために


#デザイナーになったわけ

なぜ、デザイナーになったのかなんて、正直今まで、あまり深く考えた事はなかったような気がする。明確に思い出せるのは、高校から先の進路を模索していた時期に、「自分の作ったモノが街中の色々なところにあったらどんなにステキだろう」と漠然と思ったことくらい。それは大学進学を目指し、受験勉強をしていた時の、行き詰まりから来る現実逃避だったようにも思える。勉強が嫌いだったわけではなく、中学時代は真面目にそこそこの成績を収めていたものの、高校入学の後、突然の「燃え尽き症候群」的な状態に陥り、高一の1学期をかなりサボってしまった。結果、高校の授業にちゃんとついていけない部分ができてしまい、そんな状態で大学受験へと挑んでも、良い結果など望めるべくもなく、抑えとして同時並行で仮申し込みをしていたデザイン系の専門学校に行くこととなった。
もちろん先の思いが、単なる言い訳であったわけではなく、今思い返してみると、高校3年の体育祭にマスコット制作の委員長となり、コンパネ3枚、高さ6メートルほどの「力道山」(他のチームはアニメキャラクターなどが多かった中、ほぼ委員長の独断で決めてしまった)を作り上げた時の高揚感が影響していたようにも思える。全校生徒の集まる校庭に燦然と立ち尽くすその姿は、「自分が作ったんだぜ!」と言う自慢と、メンバーやチームからの賛辞が交わり、なとも言えない達成感に包まれた瞬間だった。
そうして、デザインの世界に入ったが、最初の数年は、デザイナーと言うよりは、版下制作という作業を仕事にしつつ、作りたいものを追い求める作家のような考えに飲み込まれていた。そんな中、ある日先輩のベテランデザイナーに「芸術とデザインは違うものだ」と言うことを教わり、そこからようやく本当のデザイナーになれた。
それでも「自分が作ったものが…」と言う気持ちは薄れることはなく、そこに、「クライアントに喜んでもらえてこそ」と言う考えが加わり、長い間デザイナーとしてやってこられた様に思える。仕事で報酬を得るのだから、辛いことや面倒臭いことはいっぱいあるが、その中でも、『自分で作る』喜びと、それによって喜んでもらえる人(クライアント)がいることを思うと、デザインが好きなんだなーとあらためて思う。そして、時を重ねていくうちに、人間関係から、組織、スポーツ、料理、DIY、から遊びに至るまで、全てをデザインしていく事の楽しさに包まれていると感じ始め、広義的な『デザイン』と言う考え方はきっと自分に持って生まれたものであった様に思う。そう考えると、全てのデザイナーがそうだと思うけど、きっと、なるべくしてなった様な気がしてならない。ただ、そうなる「きっかけ」に気づく事や、そこに踏み込む一歩が出せるかだったんだろうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?