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知らぬは自分ばかりなりって感じかな~積読解消への道📚


積読解消への道、ということで少し前に電子書籍で買っていたアガサ・クリスティーの「春にして君を離れ」を読んでみた。
アガサ・クリスティーは中学生の時に読んで以来な気がする。外国の作家の本を読むのも久々だ。ちょっとドキドキしながら、タブレットのアプリを開いた。





読み終わった結論としては、とても読後感がよろしくない。なんだかモヤモヤしてスッキリしない。
この小説は戦前の話だけど、これは令和の今でも通じる話だと思った。

主人公のジョーンは、48歳の主婦だ。スタイルは若い頃と変わらず、見た目も若さと美貌を保っているのが自慢で、今で言うところの美魔女みたいな女性だ。自分と比べて、相手の見た目や境遇が劣っていると内心バカにしてしまう所がある。
夫は弁護士をしており息子と娘2人は独立して親元を離れ、今は夫婦2人で裕福に暮らしている。

体調を崩してしまった次女を見舞うためにバクダットへ行き、ロンドンまで帰るための長旅がこの話の舞台になっている。

今の時代なら飛行機での旅だけど、当時は列車での旅になる。それも休み休みで何日も掛かってしまう。私は列車での旅行は好きだけど、そんな宿泊しながら何日も何日も掛けるのはごめんだと思う。博多から東京まで新幹線に乗った事があるが(しかも往復)、名古屋を超えた所から苦行のようになってしまった事を思い出した。

ジョーンは自分は素晴らしい妻であり母であると思っているが、そう思っているのはどうやら本人だけのようなのだ。

夫は妻の事は、若くて美しい見た目をしているし、妻としての仕事もよくやってくれていると思っている。思っているが愛情はなさそうだ。それは、話していても話があまり噛み合わず、自分の意見を押し付ける所があるから。
過去には、妻がいながら心から愛した人もいたけれど、妻と別れる事はできなかった。おそらく、その愛した人はずっと夫の心の中にいたのだと思う。
さらに、自分が弁護士を辞めてやりたい仕事があったのに、頭ごなしに反対された事も妻から気持ちが離れる一因になっている。

子供達も、母親とは関わりたくないと思っている。ジョーンは子供達にも愛情の押し付けをしている。それは、子供達には伝わらないし、かえってウザがられてしまっている。

体調を崩した次女にしても、内心来て欲しくないと本気で思っている。だから、夫婦の仲は微妙だったにも関わらず、団結してうまい事を言って母親を早めに帰す事に成功した。
こんなに嫌われるなんて、今で言う所の毒親なんだろうか。私も愛情の押し付けをする所があるので、読みながら少し胸がチクチクしてしまった。

帰りの旅の途中に列車の都合により立ち寄った街で、偶然学生時代の友人と出くわす。友人と話しながらも、苦労している友人の事を心配するふりをして内心マウントを取っている。友人の、年齢より老けてしまった見た目や生活ぶりを自分と比べて、上から見てしまっている。
自分にはそういう部分が無いとは言わない。だけど、ジョーンみたいにマウントを取ったり見下したりは、私はしない。なんか、性格が悪いなぁと心底思ってしまう。

乗る予定の列車は、天候が悪かったりでなかなか出ない。
ジョーンは、不満タラタラでレストハウスでの日々を送る。時代的な物もあるのかもしれないが、ジョーンはなかなか差別というか選民意識が強い人のようだ。ジョーンはイギリス人だから、有色人種に対して差別意識があるのだろうが、有色人種である私はなんだかそれがモヤモヤする。

そんな性格に難のあるジョーンだけど、一度は改心しかけた。レストハウスから散歩に出掛けて、そこで急な天候の変化により迷子のような状態になってしまった。

その時に自分の在り方はこれで良かったのかと強く思い、これじゃダメだと思ったようなのだ。夫の事が浮かんで、夫にとっていい妻でいようと強く思ったみたいだ。
やっぱり、こういう極限状態になると自分の在り方を反省したり、より良くなりたいと思うものなのだろうか。

そういえば、私も体調が悪くなって死にかけた(と私は思っている)時、自分を深く深く見つめたものだった。この状態は、バチが当たったのだから死んでも仕方ないとか、いつ死んでも後悔しないように生きていこうなどと思ったものだった。

これで生まれ変わって、性格も良くなりました!なんて事はなく。運転を再開した列車での旅が進むにつれ、結局元に戻ってしまったようだ。やっぱり、なかなか持って生まれた性格は変わらないのだろう。

ロンドンに着き、家に帰って来たジョーン。久しぶりに会った夫に旅での話を聞かせる。夫は目を細めて、妻の話を聞いている。だけど、心はまったく違う事を考えている。この話の最後の一節を読んで、私は心底怖くなった。

アガサ・クリスティーはミステリー作家だけど、この話には全然ミステリー要素がないと思っていた。この話はただの気持ちのすれ違いを描いた話だったのかと思っていた所の大どんでん返し(石橋貴明風に)だ。
その一説を引用してみる。


 「わたし、ひとりじゃないわ。ひとりぼっちなんかじゃないわ。わたしには、あなたって人がいるんですもの」
 「そう、ぼくがいる」とロドニーはいった。 
 けれども、彼は自分の言葉の虚しさに気づいていたのだった。
 きみはひとりぼっちだ。これからもおそらく。しかし、ああ、どうか、きみがそれに気づかずにすむように。

”春にして君を離れ”より

そう、やっぱりジョーンは一人ぼっちなのだ。おそらく表面上は仲のいい夫婦でいられるのかもしれない。だけど、その実、円満な夫婦だと思っているのはジョーンただ一人だけなのだ。二人は決して向き合う事はない。向き合っているとジョーンは思うのだろうが、夫はくるりと背を向けているのだ。
それで夫婦でいる意味はあるのだろうか。

子供達には嫌われていたとしても、その存在は反面教師としての役割はあるだろう。
しかし、夫婦としては一緒にいる意味はなさそうだ。当時は離婚も簡単にはできないのだろうから仕方なかったのかもしれない。一緒にいても心は離れている。それは虚しい。私だったら耐えられない。

だけど、私にはこの夫の事をひどいと言う事ができない。それは、私もこんな怖い考えを持っていないとは決して言えないからだ。


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