noteスランプ|#128
それは周期的にやってくる。そしていつも唐突に始まる。
noteが書けなくなる、「noteスランプ」が。
いや、分かってる。
noteは「好きで書いているもの」だということ。
書けない時は書かなければいいし、無理して書くものでもないし、書けるときに書けば良い、と。
分かってる、わかってるけど。
これまで120記事以上うち101記事は毎日連続で書いてきた。既に自分の中で「当然書くもの」として位置づけられている。習慣の力ってやつか。
だから「ちょっと今忙しくて」という理由にせよ、書かない日が数日続くとソワソワしてくる。
やるべきことをやらずにいる気まずさというか、
見て見ぬふりをしている居心地の悪さというか。
そんな得も言われぬ心境が、自分のマインドに巣食い始めるんだ。
それなら、と書こうとしてみると、今度は「書けない」。
あれ、私、これまでずっと何書いてたんだっけ。
何をどう考えて、どんなモチベーションで書いていたんだっけ。
はい、キタ。noteスランプ。
*
noteスランプに陥る原因は、たぶん2つ。
『考え過ぎている』か、『人格の乖離が起きている』かだ。
『考え過ぎ』は、心当たりがある人もいるかもしれない。いろいろと考え過ぎてしまって、思考や文章が停止してしまうんだ。
何か「イイタイコト」がある文章をかかないといけない、とか。
論理が整った文章でないといけない、とか。
深く思索して得られた気付きを言葉にしないといけない、とか。
「ライター」を名乗ってるんだから、それなりのクオリティを維持しないといけない、とか。
2,000字くらいの分量にはしないとなあ、とか。
そんな「文章を書く」ことの本質から離れた、見栄やミテクレが気になり始めたとき、私は思考が止まりやすい。考えようとしても、ちっともまとまらない。
もう1つの『人格の乖離』も時々起きる。
多重人格だとか、そんな話ではなくて。
noteをはじめTwitterなどSNS上の人格(つまりアカウントの個性、自分のブランディング)と、自分本体が考えていることに乖離が生じ、「自分のアカウントなのに、自分を素直に表現できない」時期が周期的にあるということなんだけれど。
ちょっと説明が難しい。
「アカウント」というのは確かに自分なんだけれど、自分そのものではなくて、SNSに適応させて自分の一部を切り出した存在だと思う。
自分は日々実に沢山のことを感じ、考えているけれども、発信するのはアカウントの方向性に合致した部分だけ、という感じ。
私は発信する内容に制約をつけるのが性に合わなかったので、noteもTwitterもかなり幅広く何でも書いているけれど、それでも自分の全てではない。
実体としての自分が考えていることのうち、note上の「みゆな」が持つ世界観にない内容の割合が増えてきたときに「実態とアカウントの人格の乖離」が起きる。
「みゆな」の世界観にないことを実体は考えているのに、いざnoteを書こうとすると「みゆな」の世界観で書くことになるというジレンマ。
で、書けない。
これがアカウントと実態の人格乖離によるnoteスランプ。
*
私の場合、こうしたスランプは時間が解決してくれる。時間が経てば考えていることが変わり、状況も変わり、思いも変わり、また書けるようになるから。
スランプのときはじっとしていればいい。
でも何となく書かないとソワソワが止まらなくて、今の心情をそのまま吐露してみた。
誰得でもないけれど、noteは自分の心境を整理する使い方があってもいいと解釈して。
そんな日も、あります。うん。
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