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#43|娘を抱きしめたときのプニプニ感が記録できる機械があったなら。

『2人目の予定は?一人っ子はかわいそうよ』、娘が一人っ子だと知った方からいただく”アドバイス”。

にっこり愛想笑いしながら「いやー、子どもは1人で手一杯ですよ。私も高齢ですしね」とスルリかわす。慣れたものだ。
なぜ私は、初対面のあなたに自分の年齢を暴露せにゃいかんのだ、と内心毒づきながら。


高齢出産だったのは事実で、娘は38歳で産んだ。
仕事仕事仕事…の人生だった上に、子どもを持つつもりなく生きてきたから、ご縁があったときには既に「高齢」と言われる年齢だった。


とはいえ年齢が「一人っ子」の理由ではない。出産するまでは「兄弟はいた方がいいかな」と思っていた。産むまでは!

娘が無事産声を上げた瞬間、「二度と出産するもんか!」と決心したのが、我が家が一人っ子の理由だ。

お母さんという生き物は、口を揃えてこういう。

『出産は大変だけど、あの時の痛みなんて忘れちゃうのよねー』


不思議なほど、皆同じことを言う。10人いれば10人がそういう。だから2人も3人も産めるんだそうだ。

そして『忘れちゃうのよね』という部分は、イントネーションまで全員同じだ。そこに含まれる感情が同じだからなんだろう。

私は『忘れちゃった』とは思わないから、どんな感情がこもっているのかは知りえないけれど。

そう、『出産の痛みを忘れた』と思えない。今でもありありと思い出せる。もう4年も経つのに。
「あれをもう一度」?? 無理、絶対無理!誰がどんな親切心で「2人目は?」と言おうが、嫌なものは絶対に嫌だ。


私が忘れられないのは「出産のフルコース」を体験したからかもしれない。予定日超過、促進剤2種類。間隔が狭まらない陣痛に耐え2日。そのうち子どもの心拍が不安定になり緊急帝王切開。術後のあれこれ。経験あるママならわかる、陣痛時の内診も!

もちろん「2人目は?」と尋ねる方に、経緯をいちいち説明したりはしない。


今日は朝からスタバで仕事をしている。

ふと視線を上げると、向こうのソファー席に赤ちゃんを連れたご夫婦が座っっていた。

二人並んでソファに身体を預け、コーヒーとシナモンロールを楽しみながらゆっくりおしゃべりしているようだ。

赤ちゃんは生後2~3か月だろう。まだ首が座らず、ちっちゃな身体がふにゃふにゃしているのが分かる。お母さんに横抱きにされ、身体をのけぞらせたり、窓から外を見たり、げんこつを動かしたりと結構忙しそうだ。

全くぐずらなかったその赤ちゃんは、そのうちお母さんの胸に顔をうずめて寝てしまった。


そんな赤ちゃんを視界の隅で眺めながら仕事をしていた最中、形容しがたい感覚に包まれた。


切ない、とも違う。
うらやましい、も違う。
ほほえましい、でもない。


そうだ、「懐かしい」だ。
そして「愛おしい」だ。


ソファーのご夫婦に「抱っこしてもいいですか」とお願いに行きたくなる気持ちをぐっと抑え(母親になると、みんな図々しくなる)、巡る思いを整理してみる。

私はもう子どもを産むことはない。
そして年齢的にも、これから出産を予定している友人もいない。

だから私が、あのふにゃふにゃな小さな身体をこの手に抱くことは、おそらく一生ない。

その事実は分かっていることだし、自分でも受け入れていることなので、何ら問題はない。


ただ、わかってしまっただけ。

ふにゃふにゃ感を愛おしく思い、もう一度この手に抱き味わいたいと願っても、娘が赤ちゃんになってくれることはないということを。

同じようにいつか、今の娘の「幼児らしい身体の柔らかさ」をもう一度この手に…と思う日が来ても、叶わないなのだ。

当たり前だ。
時間を戻せるわけはないのだから。


『未来に、既に叶わないことが確定している願いがある』なんて。


自明のことのはずなのに、衝撃だった。


今の娘は、今しか味わえないんだ。

こんにゃくのようなプニプニお腹も、
肉まんのようなほっぺたも、
かすかにシャンプーの匂いが残る髪も、
かさぶただらけの手足も、
クリームを塗るとくすぐったがる小さな肩甲骨も、
切りにくい薄い爪も…

どれも、「今しか味わえない」んだ‥‥


子育て4年。
毎日自分なりに頑張ってきた。
ルーティンを終わらせることだけだった日も数えきれない。


味わずに過ぎ去ってしまったものが、沢山あるんじゃないか。いや、きっとある。忙しさを理由に、見逃してしまったものが…。


便利な時代だから、娘の成長は万の単位に届きそうな写真や動画で記録さえれている。0歳のアウアウ言う姿も、すぐに見れる。

でも「触覚」や「嗅覚」だけは残せない。


残せないからこそ、懐かしくなるのか。
もう味わえないからこそ、愛おしいのか。

もし触覚や嗅覚を記録できる機械があったら?

いつか小さな娘を思い出したくなったときのために、柔らかな身体の感覚や匂いを残しておきたい……

と思ったが、やめておこう。


いつかではなく、いま味わおう。
いま、目の前にいる娘をもっともっと撫でまわそう。わちゃわちゃしよう。


赤ちゃんから4歳まで、過ぎてみればあっという間だったように。
きっと大人になるのも、あっという間だろうから。

書きながら泣きそうだ。
スタバのカフェ音が、他人の中にいることを自覚させてくれるのが幸い。



今日、あの赤ちゃんと出会えたのは、「いまを生きよ」という神様のメッセージだ。



夕方、迎えに行ったら今日は抱っこで帰ろう。
「重いなあ」なんて口をとがらせながら、娘のいまの重さを腕に刻み付けよう。

一緒に楽しみながら高め合える方と沢山繋がりたいと思っています!もしよろしければ感想をコメントしていただけると、とっても嬉しいです。それだけで十分です!コメントには必ずお返事します。