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都会のオアシス「太閤園」から見えた知られざる藤田観光の60年

先日、都会のオアシス「太閤園」へ。
30代前半、起業してまだ「会社経営のイロハ」も分からず手探りの頃、50代60代の経営者の方々が集う会で、大先輩方に混じって勉強していたことがあります。
この頃、毎月の例会で通った太閤園。

自分でもランチ会議や講演会などを企画した際などによく使わせて頂きました。

太閤園は、明治期に藤田男爵が子息のために築造した網島御殿の邸宅が、戦後、結婚式場、料亭、宴会場となって藤田観光が運営しているところです。

久しぶりに行ったのは、今年6月30日に営業が終了する、と聞いたから。

築100余年の料亭「淀川邸」

藤田男爵の東邸であった邸宅が料亭になっています。
池と回遊式庭園に囲まれた癒し空間。

ガーデンイルミネーションで夜花見

庭園は夜になると桜モチーフのイルミネーションが開催されています。
めっちゃキレイでした!
入場料500円は料亭やレストラン利用の方は無料。

藤田観光知られざる60年

藤田観光グループがどのように規模を広げて行ったのか、その時代背景が見えてきました。

⭐藤田伝三郎氏によって創設された藤田財閥は、鉱山業、土木建築業、鉄道、林業、製材所、紡績・化学電力など幅広いグループ企業で、そこから分離されたのが藤田観光。

⭐1877年、山縣有朋公が「つばきやま」を購入し、自然を生かした庭園と本邸を建築。
1918年に藤田男爵が譲り受け、その後引き継いだ小川栄一氏が終戦3年後に「つばきやま」の名にちなみ、ホテル椿山荘(ちんざんそう)としてオープン。

⭐戦後、華族、財閥が独占していた様々な庭園や邸宅を大衆に開放することが観光事業だとし、1948年、別荘を箱根小涌園として開業。

開業当初、温泉がなかった箱根小涌園。
多くの専門家が「この地は堀削しても温泉は出ない」という中、何度も調査を重ね、継続。
1949年11月の夜8時、掘削深度が75Mに達した時、箱根周辺に轟音が響かせながら蒸気が土砂とともに吹き上がったのです!

ビジネスホテルのパイオニア

1964年、まさに東京オリンピックの年。
都内のホテル建設が急がれる中、ワシントンホテルなどのビジネスホテルを全国展開。
コンセプトは、「サラリーマン向けのホテルを建設すべき」

ユニットバスを使ったコンパクトなお部屋で一人での宿泊、という概念を作り、従来の「出張は上司と旅館に相部屋」という問題?を解決。
そうだったのかー!

引用 藤田観光知られざる60年

守られた日本の文化財・美術品

今回、食事に行った、料亭「淀川邸」をはじめ、築100年以上の歴史ある建物。
庭園には鎌倉時代の十三重の石塔や石鳥居、室町時代の阿弥陀像、安土桃山〜江戸時代の石橋など、歴史あるものが沢山!

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何度か来ているはずなのに、今まで気付かなかったけど、これらの歴史的なものがここに保存されている理由。
それは。。。

明治維新後、大名旧家や寺社に伝えられてきた文化財の多くが、海外へ流出したり、国内で粗雑に扱われたりすることに危機感を感じた藤田男爵が、数多くの美術品を収集。

それらを展示する藤田美術館には、国宝 9 件、重要文化財 53件を含む、約2000件のコレクションが!
現在長期休館に入り、2022年4月 リニューアルオープン予定、だそうです。

昨日のニュースで、営業終了後の太閤園は創価学会が購入した、と聞きました。
歴史ある建物は残されるといいですね!

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