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束縛しているのは自分自身。私たちはとことん自由な存在

三人姉妹の三女として生まれた私は、姉二人が美人でモテモテだったこともあって、天性の美貌には到底勝てないので、勉強で勝負するしかないと小学生のうちに悟ります。大学生になってサルトルの哲学書を読んで、これが『投企』という概念なんだと知ります。

背が低い、目が細い、鼻が低い、太っている…誰しもいろんなコンプレックスを持っているはずですが、サルトルもまた容姿に強いコンプレックスを持っていました。けれど小説家や批評家などたくさんの肩書きを持つ一流のインテリとなることで、セクシーさを手にいれ、失明した後も晩年までモテ続けた哲学者。

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私は書くことから生まれた。その前にあったのは、鏡に映った像だけだった。

本でかじっただけなので間違って解釈しているかもしれませんが、サルトルの思想では、人間には本質がなく、他の動物のように種の保存も義務ではないし、もともと生きる目的がない。人間とはとことん自由な存在なのです。

親も生まれる国も人種も容姿も選べず、「自分」というものを与えられ、ある日突然、この世の中に放り出された私たち。一見、いろんなカテゴリーにはめられて不公平を感じるかもしれませんが、人間は与えられた自分というイメージから自分を解放し、どんな自分にもなりうることができる素晴らしい存在なのです。これは他の動物ではもちろんできないこと。犬が犬以上のものになろうとし始めたら大変ですから。

ライター業の育休期間にボランティアで子育て情報誌の制作を始めて、外注費が出せないので撮影の仕事をとってきてカメラマンのふりをして撮影したり、イラストレーターを使ったことがないけど見よう見まねで広告のデザインをしてみたり、営業経験はないけど(天下のD通の企画書を真似て)企画書を書いて営業したり(本当に申し訳ありません)。カメラマンの自分、デザイナーの自分、営業マンの自分…何にでもなれると思っていました。おかげでどれも仕事スキルになり、お金を生むようになりました。

今日は自社縫製工場が稼働することが決まった特別な日。まだ絵に描いた餅だった一年前から、“自社工場を持っている自分”を思い描いてきたことが実現につながったのだと思います。

被投的投企=人間は世界に無力に投げ込まれた『被投』的存在だが、こんな自分になろうと企画できる『投企』的存在

つまりは、コンプレックスや能力、与えられた境遇なんて関係ない!だって、いくらでも「企画」によって、与えられたイメージ以上の自分になることができるのだから。それなのに私たちはいろんなしがらみに縛られ、自分はこうなんだと決め込み、“とことん自由”な存在であることを忘れてしまっている。私はいつも『投企』を大切にしています。さて、明日はどんな自分プロジェクトを始めようか企んでいます。たまにいくらなんでもやりすぎ!と言われますけど。

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