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モーニングページの真の目的

先日、モーニングページについて書いた。


早速実践して、気が付いた事がある。


モーニングページは手書きが原則だ。


ジュリア·キャメロンは言う。

指先からほとばしる、血液のインクで、心の真実を描写する、それが手書きだ。

パソコンやスマホで書いたほうが、早く、きれいに書けるし、漢字変換も超便利で、手書きより、多量に美しく書くことが出来る。既に意識の表層にあるアイデアをまとめ、清書や仕上げ、投稿には最適な手段だ。



モーニングページの目的は全く違う。

私達の脳裏では、無意識層で、眠っている多くのアイデアや思想が、出番を待っている。しかし、その殆どが、表層化も言語化もされずに、肉体の死と共に、完全に闇に葬られてしまう。

モーニングページを書くという事は、無意識層の宝を掘り起こす作業だ。

私達は、日々の生活で、嫌なことがあっても、明るくポジティブに振る舞い、仮面で真実を覆い隠して生きている。

家計の心配、パートナーや子供、同僚や友人に対する小さな不満や怒り、健康面や自分の体型や容姿で気になる事、絶対に知られたくない、自分だけの秘密など、口に出すこともできず、SNSや日記にさえ書けずにいる事は、実は多い。

この様な、くだらない愚痴や不満は、無視され、存在を否定される。ポジティブであることが、良し、とされる今、これらに、しっかりと向き合う事をせず、解決もされない。

ポジティブになれば、ネガティブな気持ちは、完全に消滅するのだろうか?

残念な事に、これらの心のゴミは、焼却も分別もされぬまま、大きな無意識の世界に捨てられ、蓄積される。そして、全ての人が持っている、才能や美しい心、深遠な魂は、ゴミの下に埋まり、その存在にすら気が付かずに、私達は生きている。

モーニングページは、何十年も前から捨ててきた、私達の中の、ゴミの存在を認め、観察し、分別し、焼却したり、葬ったり、別の物に変化させるのを、可能にする。

だから、初期のモーニングページは、愚痴や泣き言で埋め尽くされる。いや、初期には、愚痴さえ書けない。そういう事を書くのは良くない、という暗黙の規則や道徳から、自分を開放するには、時間がかかる。

書く内容が自由なだけでなく、漢字が書けなくても、文法や句読点がおかしくても構わない。突然、想いが湧いてくることも多いので、前後の辻褄も合わず、支離滅裂な文章になっても良い。

そんな文章を、書く時間も楽しい。

そして、時々、指が勝手に動き、自分の魂が動き出すこともある。後で読むと、本当に自分が書いたのか、と疑いたくなるほど、素晴らしい一文に遭遇する事もある。

脚本家時代、ジュリア·キャメロンは、モーニングページを書いている時に、物語の主人公が現れた、と言っている。

無視されてきた、自分の負の部分に、光を当て、その奥に隠れている、繊細で深遠な自分の心の真の姿を、見つけ出し、救い出したい。

しかし、そこにだどり着くまでの、
モーニングページの目的はただ一つ、
ゴミを毎日書きなぐって、
少しずつ、
自分自身に近づく、ということだ。


モーニングページで、心のごみ処理をする。

心の断捨離だ。

明日の朝の、
モーニングページと
コーヒーの時間が
待ちきれない。




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