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再出発、又は、別れと出逢い

お久しぶりです。数カ月ぶりの投稿。

昨年末より、ユダヤ系保育園で働き始め
noteやXへの投稿を控えていた。

「保母」という責任ある仕事に
専念したかった。

久々に家の外に出て
最初にもらってきたものは、コロナ。

陰性になっても、
イマイチの体調が続いた。

それまで、ずっと、
健康だけには自信があったのに
何度も40度近い熱を出した。


2ヶ月ほど続いた
コロナの後遺症が終わった頃、
夫が心筋梗塞になり
緊急手術で、一命を取りとめた。


それから少しして
私は帯状疱疹を発症した。
胸をキリで数か所刺される様な
痛みを抱えながら働いた。


そんな状況を
投稿することも出来たはずだが、
実は、
日本語で
日本の方々に向けて
発信する事を、
意識的に控えていた。



私は、18年前に
保守派のユダヤ教徒に改宗した、ユダヤ人だ。

ユダヤ教徒になるという事は
旧約聖書を学び
そこに書かれている戒律を
遵守して生活する、
と約束する事。

食事制限や
安息日や祭日の決まり事を遵守すると
日本の家族や
日本人との交際は難しい。


私は、
二つのアイデンティティを
何とかバランス良く保つには
どうしたら良いのか
18年間悩んできた。

宗教にのめり込むのは、良くない、と
日本の家族に言われ続けてきた。

宗教はほどほどにして
(ユダヤ的な言い方をすれば、神に背を向けて)
生活していた期間もある。

日本人にも
ユダヤ人にもなりきれず、
私は完全に
アイデンティティを失ってしまった。

数ヶ月前、
何となく保母として
ユダヤ系保育園で働き始め、
私の魂が、真の目的地を
見つけ、進み始めた。

母が認知症になり、施設に入り、
連絡を取るのも難しくなった事も、
私の魂が解き放たれる事ができた
大きな理由だと思う。

日本の家族に好かれ、
良き娘、
良き妹、としての役割を放棄した。

何か大切なものを得る時、
同じ様に大切だったものに
別れを告げなければならない。

その悲しみや辛さを抱えながら、
残された命の続く限り、
新たに見つけた
私らしい行き先に向かって
突き進もうと思う。

日本の方々には
珍しく、
理解の難しいトピックや、
ウソ偽りの無い
ユダヤ人としての
私の行動と、思想や想いを
これからも
投稿してゆきたい。

よろしくお願いいたします!





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