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100点コンプレックス

自分を癒すのは、最終、自分でしかない。体も心も、その回復に、最終、頼りになるのは自分のみである。そう感じております。なので、私の施術のスタンスは『その人の身体へのリスペクトと信頼を忘れない』こと。治してあげてるなんて思ったことはないのです。勝手に治せる、治す能力はある。その手伝いと、その邪魔をしている要素を発見して、本体(その人)に教えてあげれば良いだけ。と、いう意味で、身体の声を聞く、それを本人に伝える、回復しやすいように血流を上げたり、ゆるめたり、ちょっとだけこちらでも手伝っときますね、的な施術になるのです。

そうなってくると、結局、生きていく中で、何に対しても、大事になってくるのが、自分の【自分】との関係性。よく言う、自分で自分を信頼するだとか、自分を愛するだとか、自分を好きになる、みたいなところになってくるのです。けれど、多くの人が、かつての私のように、『そんなの無理。自分を抱きしめるとか、自分の好きなところあげるとか、それって恥ずかしくない?あんまなんも変わった感じもしないし(フン)』って境地にまず陥るのです。普段、自分をあまり褒めない人、やってみたことないことに抵抗を示す人、リアルガチをガチガチ生きている人は、特にそう感じて、必要性を感じなくて辞めてしまう。けど、結局、掘り下げると自分への信頼や、自分への愛情不足から起こる様々な現象に悩まされるのです。それをさらには、過去の家族からの愛情不足やら、トラウマだなんだって表現されちゃうと、さらに自分では解決不能な無理難題となったような気がして、嫌になる。

そこで、私がいろいろやってみて、しっくり受け入れられたのが、【毎日自分に100点をつける作戦】である。自己肯定感を高めるべく、毎日良かったことや嬉しかったこと、ラッキーだったことを3つ書く。そんなお題をやってことのある人もいると思います。ポジティブ日記。しかし、私はそんな日記もやってみた結果、あまりしっくりこなくて辞めたくなっていたのです。そんなある日、書く事がなかった日があったのです。書くことないので、適当に思いつきで【今日も100点な1日でした】そう書いたのです。実際は特に思いつくような良いこともラッキーもありがとうもなかったのです。しかし、【今日も100点な1日でした】そう書いた瞬間、心の荷物がふわっと降りた感覚が、心が軽くなった感覚がしたのです。

そう、私はどちらかと言いますと完璧・潔癖が好きな方です。その一種の細やかさが施術に生きているので、今や長所だと思っています。99点じゃモヤっと、80点も70点も98点も一緒で、100点とってなんぼ。その差たった1点だけど、きっと人よりストレスを感じます。40点台とかもう、私にとっては、ポジティブに40点は取れたじゃん!得られたものを見て喜ぼうよ!なんていう気休めな言葉はノーセンキュー。全く響きも納得もしません。そんな価値観で生きていると、小学校って100点取るのは容易いじゃないですか。でも、中学、高校とステップアップするごとに難しい。その微妙な、不満の残る答案用紙をもらい続ける中で、高校では部活の剣道に注力して点数を取れなくなりながら、もうテストなど、どうでも良くなっていくうちに、私の自己肯定感がみるみる下がっていったのでしょうか。そんな気持ちにも気づかず生きてきて、急に、自分からもらった【今日も100点な1日】そんな何気ない一言です。だけど、そう言われただけで、救われたのです。

人によってそんなちょっとキーになる言葉って違うと思うのです。【ありがとう】が刺さる人もいれば、【ステキ】が刺さる人もいれば、【かっこいい】が刺さる人もいれば、【100点】が刺さる人もいる。逆に刺さらないときは無理したって、思い込もうとしたって、刺さらないものは刺さらない。無理せず、飾らず、やってみたけど微妙だな、でいいのです。私はたまたま見つかったのですが、いろんな言葉を試しに自分に投げかけてみてください。そして、目からの情報はとても刺激的なのです。あえて書くことを通して、目から情報を入れると、一番響きます。

最終、人は自分を頼るしかない。
そんな自分を信頼できる、好きになるには、
コツコツとした日々の習慣であり、簡単なのが言葉を使うことです。
自分にとって、心が刺激され動くと書いて、まさに感動するような
自分を支える言葉、自分を励ます言葉、
是非とも見つけてみてくださいね。

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