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戦時のウクライナ、ひとり旅 11 〜 ミサイル攻撃のドニプロ、今日は雨降り〜

前線基地であるクラマトルスクを出発し、鉄道で半日かけて20時に到着したのがドニプロ。首都キーウからだと、鉄道で500以上を東南に移動する場所だ。大河のドニプロ川がサマラ川と合流する。このドニプロ川を挟んだ攻防が続く。

宿泊の条件のとおり、朝7時にドニプロ中央駅前の混雑したホステルをチェックアウト。ゆっくりできたわけではないが、シャワーを使って数時間眠れた。ここに泊まる人々は観光客に見えなかったが、ドニプロで何をしているのだか、問えなかった。

こう朝が早いとこの町でできることが限られている。
次の宿泊地も未定のまま、バックパックを背負って町を歩く。だいぶ荷物の量を減らしているつもりだが、寝不足の翌朝はつらい。ただ、天気は爽やかな青空だ。

廃ビルに描かれたウクライナのシンボル。ドニプロ

広い公園があり、その中には小さな屋外劇場や動物園、ゲームセンターもある。子供連れの人々の姿も見える。アイスクリームの屋台も出ている。戦争が起こっていても、やはり自分たちの拠点にとどまったほうがいい、と決めた人たちなのだろう。

さて、どうしようか。
タクシーをつかまえ、Google翻訳機能を使ってこの町の爆撃を受けた場所まで行ってくれるようにお願いする。

多くの住人たちが犠牲になった団地。ドニプロ

ドニプロ市の東部にある団地は、2023年1月14日にロシアからのミサイル攻撃を受けた。爆撃されたところは完全に外壁が崩れ、屋内が丸見えになってしまっている。ここからの退去が必要になった住民たちは、今どこで何をしているのだろう。

2棟の大型団地は赤白のバリケードテープで囲まれ、今は誰も住めなくなったのが明らかだ。
3人の若者たちが車でこの団地にやってきて、瓦礫になった様子を見ている。だれか、知り合いでも住んでいたのか、それとも私と同様、キズアトを目に焼き付けに来たのか。

犠牲者たちのために誰かが供えたのだろう、ありあわせのペットボトルに真っ赤なカーネーションが生けられている。しかし、この花も半分死にかけている。
この大型団地では子どもも含む40名以上が死亡、負傷者は75名以上にのぼった。

タクシーはまた走り出し、一軒家の爆撃跡も案内してくれる。粉々になった木材や土が混ざる様子を見て、激しい爆撃を受けた歴史のある住宅がここまで破壊されるのだ、ということを実感する。

このような様子を何度も見て、目も頭も疲れてくるのを感じる。
もう破壊された場所を見るのは、今日は無理のような気がする。

タクシードライバーに、予定変更でドニプロ川でおろしてもらう。ここから中央駅までは4キロとすこし。1時間も歩けばいいだろう。ドニプロ川、市街から東の河畔公園で降りると、小雨が降り出す。河畔にはレストランやバーが何軒かあるが、どこも閉まっている。狭い軒端の下に座り、雨上がりを待つ。広い川の上の空は、暗い灰色の雨雲で覆われているが、爆撃の跡を見たあとには、少しだが心が休まるように感じる。雨降りのせいで、普段は人々が時間を過ごすこの河畔公園には人気も少なく、ひたすら静かだ。

雨のドニプロ川

ただぼんやりとドニプロ川を眺めながら雨止みを待ったあと、川沿いを西に歩いて駅に向かう。

次の目的地は、とりあえず、オデッサだ。

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