さよならあじあ

深玔の片隅を散歩する。

よく通ったその城下町は東西南北の門で囲まれ、小さな商店露店がひしめいて地元の人々でごったがえしている。まるでここだけタイムスリップしたような別世界がある。 

こないだは実に機嫌がよくお節介だったのに、今日はちょっと不機嫌でぶっきらぼうな冷惣菜屋のおかみさんが、私の特選惣菜を洗面器の中で合えている。 道端では売り物の小さな黒と白のウサギがかごの中で寄り添って寝ているのを、通りの子どもたちが不思議そうに眺めている。寝ているのを起こさないようにしながら、じっと見守る子達の眼差し。きっと彼らも、こうやって誰かに見守られながら育っているのかな。 携帯電話部品の露店では、威厳あるご老人のわがままな注文をちくいち聞いている親切な金髪少年がいる。 店の脇で器用にさばかれてゆく鶏。人をかぎまわる汚れたひょうきんな犬 。小さな路地の人ごみをかき分けて行く、積荷を山ほど積んだ自転車が坂道で立ち往生している。後ろから援護してゆく、道行く人たちのとっさに差し伸べた手。
 

こんなぶっきらぼうで、猥雑で、優しいアジアの熱気が大好きだった。およそ十五年前始めて北京へ入ったとき以来ずっと、私はこの空気に恋していた。たとえそれが化石化してゆくシロモノであったとしても。
 

不思議なもので来月の今頃はヨーロッパにいる。この一年は私の中でアジアからヨーロッパへ移行する年だったような気がする。アジアの都市で出会ったヨーロッパ人の中には、この静かで暴力的な時代をよく見据え、その上で自分がどう生きるかを選択してゆく軽快でたくましい者たちがたくさんいた。いちいち感傷に浸りがちな私は見習いたいくらいの…!

 

おかみさんにさよならを告げて門を出ると、びゅんびゅんと車の流れる大通りの向こう、どでかいウォルマートと客呼びの破壊的な音を出している電気店が見える。その音楽にふらふら誘われ、人々が群がって呆然と立っていた。


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