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コムニ   1

苔むした深い緑色の世界、そこがわたしが生まれ育った場所だった。

母が気を付けるよう何度も言った底なし沼、そこでわたしたちは毎日のように泳いだ。母がそう言うのは、わたしがまだ幼い頃に父がオオナマズを捕えようと潜り、毒ヒルにやられて亡くなったからだ。
湿地は毎年のように広がるため、わたしたちグループは度々居住地を移動した。迷路のような樹林はわたしたちを守り、同時に閉じ込めるように、おそろしい勢いで深みを増していた。それでもわたしたちグループは樹海エリアを選んで生きていた。

旧文明都市が崩壊して久しいこの星に、ひとが限られた資源と情報(ネット)とを活用して生きるには、まだたくさんの課題があった。新システムの都市建設は限定的で、100年前より人口は3分の1に減少したといえども、都市のひとびとは小さな街の居住区に身を寄せ、不安定なライフラインのもとひっそりと生きていた。持つものも持たざるものもなかった。ひとびとにあったのはただ、選択だった。

わたしの両親の親たちは、崩壊後に都市を離れ、樹海で生きることを選んだものたちのひと家族だった。同じようなものたちが集まった。小さな結束のもと協力し合ったが、特別な決まりもなく、グループには去るものと新しく参入するものとで常に流動的であった。


崩壊後、突如爆発的に成長し始めた‘ 樹海 ’は、次々と古い崩壊都市を飲み込み広がっていった。絶滅したと思われていた動植物たちが、不思議とこれまでもそうであったきたかのように生息し始めていた。
世界は、ゴーストタウンの砂漠と、小さな新都市と、樹海とにくっきりと分かれたかのようだった。わたしの両親の親たちは、そんな自然に畏怖の念と回帰願望を抱き、帰ってゆくように樹海へ向かったのだ。

わたしはほとんどこの緑の世界しか知らなかった。動植物たちは年々少しずつその表情を変えながらも歩むわたしたちの周りに常にあり続けた。どんなに知識をつけても彼らは常にわたしたちに彼らの違う面を見せ続けていた。彼らはわたしたちの生を支え、発見と、世界の流れについて教えてくれた。すべてがかけがえのない友人のように。


特別に、わたしは彼らとの‘ 対話 ’を任せられ、流れを読むものとして‘ コムニ ’と呼ばれていた。わたしにとってそれは風を感じるかのごとくに自然なことだったが、当時その感受機能を閉ざしていたものが樹海にもまだたくさんいたのだ。